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5.心せよ、戦いは常に弱者を虐ぐ

 本拠ほんきょの集会所にはほとんど全員が集合していた。

 アルクとシエラはリオの隣の空いた席に座った。前方には、司令のルーロンや参謀たち、ノエルタやロブクラフが座っている。

どの顔もいつになく硬い。

 招集された側の最前列には医師やエンジニアなどの技術陣が陣取り、壁際にまとまっているのは工兵隊、その他50人ほどの主だった反乱軍メンバーたちが集合していた。

 反乱軍の出自は様々だ。元は民間武装組織のリーダー、マエナス州の軍人、自警組織が丸ごと反乱軍に合流していることもある。なぜか従軍カメラマンまでひとりいる。

 広いはずの集会所が、外気より暑いほどだった。いつもと違うことは人数が証明していた。大掛かりな作戦でもこれほどに集められることはない。反乱軍はゲリラなのだから。

 「なんだろうね」

 シエラが耳打ちしてきた。

 集まった面々も分かっているらしい。これだけの人数が揃っているのに騒がしくなる気配がなく、いつも開放的なメンバーがぼそぼそと話している。


 ルーロンは無精ぶしょうひげと手入れをしない長めの髪のせいで老けて見えるが、まだ30代半ば。身体はさほど大きくないが、貫禄があるのは反乱軍をひきいているためだ。

 ルーロンが顔を上げて言った。

 「全員、揃ったか?」

 皆から、応、というようなざわめきが帰ってきたのにうなずいて、ルーロンは座り直した。やはり表情が硬い。いつもなら世間話から始めるのだが、その素振りさえ見せない。

 「みんな、聞いてくれ」

 ルーロンは一同を見渡した。

 「……『740計画』が間もなく実行されようとしている」

 末席にいたロブクラフが音を立てて立ち上がった。真っ青な顔だ。

 人々の間にざわめきが広がった。

 シエラが囁いた。

 「どういうこと? 何?」

 「しっ!」

 ロブクラフさんから「740計画」という言葉を聞いたことがある。そのために王都を出たと、彼女は怒りをにじませ、そして言ってしまったことを恥じるように口をつぐんだのだった。

 ルーロンは無表情のまま続けた。

 「つまり、50年前の『紅雷』が再び起きる、ということだ」

 集会所はざわめいた。

 「紅雷現象」に遭遇した人間は既にほとんどいないが、かつてこの国を襲った巨大な災厄として、誰もが知っている。

 それが再び起きる、となぜわかるのか。

 ルーロンが黙ったまま視線を振ると、ノエルタが進み出た。

 「50年前、この国に『紅雷現象』という災害が起こったのは皆も知っているでしょう。しかし、この『紅雷』は人為的に――当時の国家科学省の手で故意に起こされたものなのです」

 ノエルタは淡々と言った。

 「その頃、バスティアは戦争で疲弊していました。国土は荒廃していて、立て直すべき若い労働力は極端に少なく、大規模品種改良後の今では考えられないほど、農作物の収量は上がりませんでした。そのままでは戦争どころか自滅の道をたどることは明らかでした」

 少し詰まったノエルタの後を継いで、痩せぎすの中年が呟くように言った。

 「……なるほど。つまり、電離物性変化か」

 工兵隊長のクリードだ。反乱軍の中でも珍しい小ざっぱりとした服装だったが、組んだ足にはがっしりとしたワークブーツ、指の先が汚れているのがいかにも工兵隊長らしい。

 「……そうです。エイリアル・イブナー博士が提唱した電離物性変化は、雷流圏に存在する超高電圧を使い、砂漠を緑化する物質の生成を目的としたものでした」

 「砂漠に電磁波を撃ち込んで、肥沃な土地に変える、か……錬金術だな」

 ノエルタはうなずいた。

 「クリードさんの言う通りです。『紅雷』は50年前、一応の成功をみました。12年ほどの間、誰もが幸せを感じたことでしょう……しかし、それは前借りだったことが今では明らかです。世界は、私たちの意図通りに変わってくれるほど都合よくできていない」

 ノエルタの言葉に、集会所の空気が固くなった。

 「今、バスティアは『しょく』のために再び存亡そんぼうの危機を迎えています。その打開策として、政府が推進しているのが『740計画』です。すなわち、50年前より格段に広範囲な『紅雷現象』の再現です」

 立ち尽くしていたロブクラフが気を取り直して、早口で言葉をはさんだ。

 「今のバスティアに『紅雷』を撃ちこんでも無意味な可能性が高いわ」

 ノエルタはうなずいた。

 「はい。かつて『紅雷』にさらされた大地は既にアマトティハト化しています。再び『紅雷』を撃ちこめば……最悪の可能性ですが、アマトティハトが一気に進む可能性があります……そうですね、ロブクラフさん」

 ロブクラフが顔をゆがめてうなずくのを見て、反乱軍の面々は顔を見合わした。

 「昨日、内部協力者からもたらされた情報によって、『740計画』が最終段階に入ったことがわかりました」

 ノエルタはなお淡々と続けていたが、一瞬激情があふれたように拳を握りしめた。

 「私はこの計画を止めねばなりません……私がここに来た理由です。全国民を賭けるわけにはいかない。多くの犠牲を強いて何が国だ……!」


 しばらく誰も声を上げず、ノエルタを注視していた。

 その空気を知らぬように、突然リオが立った。

 「ちょっと待ってくれよ。なんでそんな突拍子もないことを政府がやるんだよ。おかしいでしょう。バスティアが『鎖蝕』になったら困るのは一緒でしょ?」

 皆がざわめいたが、それをおさえるように再びクリードが口を開く。

 「リオ、お前最近、アマトティハトが進むスピードが早まってる気がしないか」

 「え? ああ、するする。前だったらもうちょっと……」

 「そうだ。俺もそう思ってた。ここだってもう少しで破棄しなけりゃならん。最初の計算ならあと1年くらい持つはずだった……それだけ侵食が早くなってんだよ。あいつらなんか、メシも食わないで計算してんのにだぜ?」

 クリードはくまを作っている参謀方にあごをしゃくった。

 「絶対不可逆点が近づいてんだろう。それを超えたらどうやってもアマトティハト化が止められないってな。お前も学校で習ったんじゃねえか?」

 クリードは面白くなさそうに付け加えた。

 「だったら、ここら辺で博打をうつほうがまだマシってことなんだろう。時間が過ぎれば過ぎるほど可能性は低くなる。運があれば成功できるかもしれん、てわけだ」

 「クリードの言う通りだな」

 ルーロンが重い息と共に言った。

 「王国内でも賛否両論があるが……それだけ政府も追いつめられている。既にエグリーダでは暴動が起きかねない状況と聞いた。可能性が少しでも高いうちに賭ける、と決めたんだろう。だが……」

 ルーロンは言い淀んで、引きちぎるように言った。

 「王国を賭けるにはが悪い。成功率は既に30%を切ってるそうだ」

 ノエルタがうなずいた。

 「たとえ今回緑化に成功しても、数十年後にはさらに過酷な『鎖蝕』が全土を覆います。確実に……子供たちにそんな世界を託すなんて」

 ノエルタは首を振ってそれ以上言葉にしなかった。


 アルクは考えていた。

 手詰まりだ。

 どのみちアマトティハト化は避けられないわけか。

 物理的に首が締まるような感覚を振り払って、アルクは声を挙げた。

 「……ロブクラフさんがやってる研究が成立すればいいのか? その物質があればアマトティハトを押し返せる。政府だって思い直すんじゃないか?」

 クリードがアルクをあわれむように振り返った。

 「お嬢の研究? それこそ夢物語だろ」

 工兵隊の面々から失笑が漏れる。

 「夢じゃないわ!」

 座りかけていたロブクラフが立ち上がって、半分切れた状態でクリードを睨みつけていた。クリードは聞こえなかったようにそっぽを向いた。

 ロブクラフは前に乗り出して言い募る。

 「夢なんかじゃない。可能性のひとつよ!

 いい、ハクスロッド結晶体と呼ばれてるけどね、あれはアミノ基とカルボシル基の結合肢を鎖でキレイに囲んでる『結晶構造に至らない高分子体』なの。電子の移動がないからエントロピーは極小、クーロン力・分子間力が最大まで強まってる。その構造は閉鎖的でいかなる原子も結合できない。皮肉な話だけど、世界で最も安定した物質と言っていいわ」

 彼女は結論に至るまでに専門用語を並べる癖があり――反乱軍の面々は、また始まった、という顔をしているのがほとんどだ。

 「土ができるためには、ハクスロッド結晶体に元々のサブユニット・モノマーの機能を戻してやるだけでいい。私が合成したアミノ酸残基は、優先的にアマトティハトと結合して水分を与えることができたから、炭素の結合けつごうあらわにする物質さえあればいいの。アマトティハトの侵食を一時的だけど抑えこめる共生細菌ももうできているのよ? あともう少しで……」

 ノエルタが進み出てロブクラフの肩を叩いた。

 「ロブクラフさん、ありがとうございます」

 ロブクラフは視線が自分に集中しているのに気づき、軽くせきばらいした。

 「……失礼しました。最後にもうひとつだけ。『紅雷現象』がもう一度あったら、今の研究も一からやり直しなんです」

 「はい。アマトティハトは最も静止状態に近い物質と言えますが、活性化した時の結果は幾つもの実験から明らかです。かつてのような反応を産み出す保証はない」


 ルーロンはゆっくりと、まるで両肩に乗った重い何かを押し上げるように立ち上がった。

 「つまり、そういうわけだ。可及的かきゅうてきすみやかに俺たちで『740計画』を止めるしかない。でなければ、早いか遅いかの違いだけで、バスティアは終わりだ」

 重苦しい沈黙が支配した。

 反乱軍と言っても、基本的には住民の保護を目的としている彼らは、小競り合いはあっても、王軍と真っ向から削りあいをしたことはない。当然だ。バスティア陸軍の戦力は減ったとはいえ12万人。

 中央南北に第1から第5の管区が割り振られ、西への備えとしての第6管区は(第7管区は消滅している。その一部が反乱軍の母体だ)、砂とアマトティハトで機甲部隊が役に立たないため、歩兵連隊と砲兵隊で構成されていて数も少ないが――それでも、真っ向から戦ったら反乱軍などひともみだ。

 リオが言い募った。

 「いやでも、止めるったってどうやって? 機関銃中隊なんかと出くわしたら、1分で体重が倍になっちゃうよ!」

 同感だ。アルクにも特攻に思える。


 面白くもなさそうにルーロンは鼻で笑い、後ろのホワイトスクリーンを点灯した。どこかの施設らしい図面が映った。誰かが気をきかせて室内灯を落とす。

 「誰が正面から戦ってこいなんて言ったよ。リオ、もうちょっと聞いてからにしろ。ノエルタ」

 呼ばれて、ノエルタがスクリーンの前まで出てきた。

 「『紅雷現象』のキーになるのは、遠地点が高度8万kmの彼方にある構造体『ユティエス』です。太陽光発電によってエネルギーを収束するためと、あまりに巨大なために通常の静止衛星の倍の軌道高度にあります。この『ユティエス』は公式には存在しません。軍事兵器として転用どころかそのまま軍事兵器として使える無人の宇宙ステーションです」

 メンバーの誰かがいぶかしげな声を上げた。

 「どうすんだよそんなの」

 ノエルタは皆をひとわたり見回して、頷いた。

 「……撃ち落とします」

 当惑の雰囲気が満ちる。「鎖蝕」の中で戦っている身には、理解が届かないようだった。誰もノエルタの言っていることを飲みこめていない。

 クリードが何かに思い当ったように口を開いた。

 「……なるほど……そうか。だからナガサキをリゾ支部に入れてたわけなのか。ようやくわかったよ」

 工兵隊の面々が笑いながら頷いた。元マエナス州軍のリゾ支部にいる「ワグナム最後の弟子」の偏屈へんくつぶりを知らない者はいない。

 クリードが振り返るように声がした辺りに言った。

 「リゾの弾道弾が改造中なのは知ってんだろ。ナガサキなら何とかするって目論見もくろみなんだろう。つまり、あれが最後の手段、か……いいか、黙って最後まで聞け。お前らの足りない頭と玉で考えることくらい、とっくに考えてんだよ。ちったぁんでやれ」

 ノエルタはクリードに目礼もくれいして続けた。

 「問題はユティエスの位置です。公的には存在しない上に、軌道上の位置はトップシークレット。それを知るためには、国家科学省の直轄研究所・イソラに潜入してハッキングするしかありません……可能ならばデータを壊したいところですが、『マザー・ダッチ』の自律機能では難しいでしょう」


 国家科学省。

 その言葉に、シエラの肩が目に見えて動いた。

 彼女にはどうしても行きたい場所だろう。

 ルーロンがまとめるように言った。

 「イソラは王国の超がつく重要施設だ。今はまさに、な」

 「あたし行きます」

 見なくても隣のシエラが手を上げているのがわかる。

 イソラか……アルクは聞こえないように軽くため息をついた。

 「ちょ、ちょっとわかってんのかよ? 直轄研究所だぞ? すげえ警備が」

 リオが目をむいて反論しかけて、シエラに殴られて黙った。

 周囲から笑い声も起きない。

 アルクはゆっくりと隣を見た。

 「シエラ……」

 「だって国家科学省だよ? ラミアがどこにいるかわかるかもしれないでしょ?」

 シエラは引きつった笑顔を向けて、囁くように応えた。

 ――ここで行く、と言わないシエラではない。アルクは手を挙げた。

 「俺も行く。それと、人数は少ないほうがいい」

 ノエルタがけげんそうにアルクを見た。

 「なぜ? いくつか分隊を募ろうと思ってましたが」

 「陽動には意味がない。あそこには『教授』がいるから」

 ノエルタは軽くうなずいた。

 「カザトさんだね」

 「……今は王宮警備隊の隊長。イソラに詰めているのは最近聞いたよ。あの人に対して、数撃ちゃ当たるなんて考えたら、罠にはまってみんなして口を割らされるのがオチだよ。逆に内通者をもう特定してて、泳がすくらいのことはしているかもしれない」

 アルクはぼそぼそと言った。結果的に師匠を褒めるのは面映おもはゆかった。

 「自分で逃げ切れる奴だけのほうがいい。最高のハッキングができるヤツをひとり、そいつしか守り切る自信はない」

 ルーロンは腕組みをしてうなずいた。

 「そうだな、アルク。迅速じんそく不可知ふかちな侵入と警備に気づかれる前に撤収することしか成功の可能性はない……奪取は相当な難しさだと容易に想像できる」


 ふと、張りつめた緊張が弛緩しかんするような穏やかな口調で、元傭兵だったヨーゼフという古参の老人が口を開いた。口数が少ないどころか、めったに口をきかない人だ。ゆったりと話す人だったのをアルクは初めて知った。

 「うーん……俺は『紅雷』の被害者なんだよ。父親と母親があれで死んだんだ。

 俺は、ずっと思ってたんだよ。俺なんかが生き残っちまって、もっとずっと価値があるやつが生きられたはずなのに、俺みたいな能無しが生き残っちまってってな。

 弟と妹を食わすために傭兵になって、そのままこんななりでよ……ふふ、50年も経ってから取り返せるんなら、いいぜ」

 呆れたことにヨーゼフは親指を立ててウインクしてみせた。老人の話を聞いていた面々は顔を見合わせ、ほぐれたように笑った。

 今更、反乱軍が安全なわけもない。むしろ、今回こそ王軍に吠え面をかかせる最高の舞台じゃないか?

 何人かが勢いよく手を挙げた。ルーロンは見回して、

 「わかった。志願してくれた奴らからこちらでチーム編成する。出発は1時間後だ」


 ルーロンが言い終わるのを待ち構えてたように、厨房方のおばちゃんたちが料理をもってなだれ込んできた。威勢のいい声が集会所にこだまする。

 「何辛気臭い話してんのよう! どいつもこいつも!」

 「皆でちゃっちゃっとやることやってきな!」

 「大体、頭良くないんだから、考え込んだところロクなことないわよ!」

 彼女らは男どもを使って、机と椅子を動かして簡易の食堂を作らせ、その上に景気づけの料理を並べた。固形食糧と保存食しかない状況なのに料理が作れるのは、彼女らが独自に畑を開墾してくれているからだ。彼女らはアマトティハト化していない場所を探して、暇を見つけては開墾してくれている。

 曰く「日が射すからね、野菜が育ちやすいんだよう」

 ――そんなことがあるはずはない。アマトティハトに追われた虫や動物たちが、水気のあるわずかな植物に殺到するのだ。「鎖蝕」が広がりやすいのはそんな理由もある。外周部のすぐ外で、保水できる植物が次々と食い尽くされ、結果やすやすとアマトティハトの侵入を許す。

 だから野菜を育てるのは相当な苦労で、反乱軍の中では最も贅沢な品、今はここから車で30分もかかるところに畑はある。それらを遠慮なく使った料理に、アルクは感謝の笑みを浮かべた。

 シエラも同様だったのだろう、おばちゃんにたしなめられながら料理をひとつつまんで、

 「そうだね、おばちゃん。ちょっと軽く行ってくるよ!」

と軽快に言った。



     ☆



 ユティエス内では、メインモニターに先ほどのNO.9926の組成式が表示され、アマトティハトの補正シミュレーションが行われていた。ネガティブ、が表示されるたびに閾値しきいちを変えて再開する。ラミア本来の分子化学者としての日常だ。

 ともすると彼女は食事もとらないほど熱中する性質で、時々ライカに促されて機能食品をひとつふたつ食べたりもするが、基本彼女は眠くなるまでこれを繰り返す。

 せめてもう少し時間があれば、とラミアは思う。

 ワグナムはここに来てから「740計画」の詳細を話してくれていた。それが今も進行していて、遠くない将来に指令コードがこのユティエスにもたらされることを。

 ラミアはそれまでにアマトティハトの解決の手がかりを見つけなければならない。

 と、ライカがのんびりと声を上げた。

 「ラミア、はねにデブリか隕石が衝突したようです。6番パネルに軽微な損傷。修理シークエンスを走らせてください」

 「えええ?」

 超高高度に位置するユティエスにはデブリがぶつかる可能性はほとんどないが、図体ずうたいが大きいために微小な隕石がぶつかることはごくごくたまにある。

 ラミアはぶつぶつ言いながら作業を中断して、ユティエスの回路図を呼び出した。ユティエスには湾曲わんきょくした花弁のような12枚の太陽電池パネルの翅がついていて、通常は開きかけた花のような形をしている。その6時にあたるパネルの中ほどが赤く点滅していた。

 「ライカ、修理シークエンスいくよ?」

 「はい」

 ラミアは視線感知で修理用オートスパイダーのステーションを解き放った。ユティエスは研究棟と居住棟以外はほとんど自動化されている。

 少し休憩するつもりで背もたれによりかかる。その弾みでモニターの中の回路図も一緒に動いた。花びらの根本から研究棟を過ぎ、制御棟下部で止まる。


 ――そこには、ユティエスで唯一のブラックボックスがある。おじいの仕掛けたユティエスの最終制御装置だ。ラミアは懐かしそうに痛ましそうに、画面上のそれを見つめた。

 百年に一人と言われた天才が、人生の最後にしなければならなかった仕事。

 誰にも認めてもらえない、むしろ誰からもそしられてしまうだろう仕事だ。ブラックボックスは、回線が密集する姿勢制御ユニットの中、注意深く通常回線を避けて、緊急時のみに通電するようにひっそりと置いてある。

 それはワグナムの静かな、それでいて強い意志だった。

 おじいそのものだった。

 見るたびにラミアは、おじいの過ごした膨大な年月の遥かさを思う。

 そして、強くなろう、と思う――――強く、強く、誰も傷つけないくらい強く。


 ラミアは目を伏せた。

 「ライカ、画面戻して」

 ライカの返事がない。

 「……ライカ?」

 高い電子音がラミアの呼びかけを遮った。

 メインモニターが作業を中断し、オールリセットがかかる。それと共に、いつものライカに甲高い合成音声がとってかわった。

 「特務セキュリティコードA777777を受信。本計画のファーストシークエンスを発動します。観測者並びに船外活動を行っている者は350秒以内に退避してください。繰り返します。観測者並びに船外活動を行っている者は350秒以内に退避してください。蒸発の恐れがあります。350、349、348」

 ……蒸発の恐れがあります?

 悪い冗談みたい。

 頭が一瞬にして熱くなって、そのくせ中心は刺すように冷えたまま、ラミアは立ち上がって、メインモニターに濁流のように流れ始めた無数のコードを呆然と見つめた。

 自分の瞳孔が開いているのがわかる。

 始まってしまった。

 そんな。

 まさか。

 まだ何も進んでないのに。

 まだどこにもたどり着いてないのに。

 ラミアは、一字も見逃すまいとでもいうようにメインモニターをにらみつけて、それから試すようにコンソールに近づいて操作を試みたが、合成音声は警告を発した。

 「最優先特務コード発令中。全ての入力は受け付けません」

 画面にはファーストシークエンスのタスクが16384と表示され、ものすごいスピードで処理されていく。グラフメーターが次々に100%を達成しあるいはじりじりと達成し移り変わる。

 ラミアは生まれて初めて激昂げきこうした。

 自分でも何を言ってるのかよくわからないままに叫び、4キロも体重が減った非力な拳を握ってコンソールに何度も叩きつけた。PFSグローブが衝撃で破れて指に血がにじむのもかまわず、ラミアは狂ったように拳を打ち下ろした。

 「警告。コンソールに衝撃を与えると暴走する恐れがあります。警告。コンソールに衝撃を与えると暴走する恐れがあります」

 脅しのような合成音声に、ラミアはビクッと殴るのをやめる。そして、両手を握りしめ祈るように目をつぶった。

 「おじい……間に合わない……間に合わないよ」



     ☆



 ナヴァクは首相の執務室で書類を片付けていた。対応するべきものと即時対応の必要のないもの、わずかに却下するもの――ほとんどが難民の受け入れに関する書類だ。

 1級通信が入った。今はこれを使うのはひとりしかいない。イソラにいるカリフだ。

 「ナヴァク首相……先ほどコードA777777を発令しました」

 「……了解した」

 カリフは少しの間言いよどんだが、思い切ったように言った。

 「首相……後戻りはもうできません。ですが、私の水先案内で果たして……」

 ナヴァクは優しいとさえ言える口調で、まるで甘やかすように微笑んで言った。

 「カリフ長官、大丈夫だ。バスティアは生まれ変わる。必ず……必ずだ。結果に対して君が気に病むことはない。常に命令する人間が責を負うべきなのだからね……全力を注いでくれ」

 「首相……」

 カリフは目を伏せたまま、

 「引き続き、第2シークエンスを実行します」

 と言った。

 そのまま通信が切れて、ナヴァクは執務室の窓をふと見上げた。

 窓の外には、50年前と変わらない月が皓皓こうこうと下界を照らしていた。




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