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19.ゆめ忘れることなかれ(続)

 警告音が続く中、ラミアはユティエスでの最終実験を続けていた。

 「かま」の重低音が高周波の音に加速して、既に90分ほど経つ。後は待つばかりだった。ラミアはデータを地上に届ける方法を模索もさくしていた。

 ライカが慌てたように声を上げる。

 「ラミア、電力供給システムの損傷が35%を超えました。研究棟以外の電源を全て落としても、9927の完成が当初予測より12分遅れます」

 「?……ライカ、通信は?」

 「復旧できません。通信機器は全て自壊しました」

 「逆噴射できる?」

 「現状、太陽光パネルの損傷31%。逆噴射した場合4分稼げますが、パネル損傷が12%増加し、最終的に墜落までの時間が9分短縮されます」

 「……そう?」

 「ラミア、落ち着いてる場合ですか? ステーションが燃え尽きるまでに9927の完成が間に合いません」

 「困ったな」

 「そんな」

 ここにきてそれ? もう。

 ラミアはPFSグローブを外して、両手に白い息を吐きかけた。

 研究棟の暖房も可能な限りセーブして、電力消費を抑えている。

 ――データとサンプルを地上に送ることに専念したほうがよさそうだね。

 「ライカ、何が何でも9927をバスティアに届けるわよ」

 「承知しました。が……電力供給システムの損傷は今後段階的に増えると予測されます。修理用のオートスパイダーが損傷を食い止めていますが、彼らがオーバーフローしたらお手上げです」

 ラミアはうなずいた。よくも今まで耐えてくれている。

 「ライカ、通信できない前提で9927のデータを送る方法は?」

 ライカは予想していたようにすぐに応えた。

 「3通りありますが、どれも成功率20%以下」

 「射出するデータポッドを増やせる?」

 「手段がありません」

 「そう……」

 ラミアは右側のサブモニターに映る、見えないほどに近づいてくる星を眺めた。

 あと1時間で私は還る。ちりとなって。

 「ライカ、今の実験構造と解析予想とサンプルふたつ、その3通りに等分して。どれかひとつでも届くように」

 「配置済みです」

 「そう……ライカ、ありがとう。9927ができなかったら、せめてそれを射出してね」

 「……はい」

 「あと、今ユティエスにある、あらゆる装置がデータポッド化できないか調べて」

 「承知しました」

 ラミアはあくまでも冷静に指示した。もはや自分が助からないことも忘れていた。



     ☆



 「時計あわせるぞ、アルク」

 アルクは気密室にいた。バイザーの左下にリオが映る。

 「よし。3、2、1、セット」

 「あと30秒で同期開始」

 アルクとリオがタイマーを合わせる。

 「……ははっ、とんでもねえ。相対速度が秒速5.6kmだとよっ!」

 見る間にユティエスが近づいてくる。

 シャトルが、墜落するユティエスに合わせて落下速度を加速する。斜めにかかったGでアルクは右側の壁に押し付けられた。

 コックピットでは、リオがユティエスの位置を睨んでいた。

 巨大なステーションと小さなシャトルは、バトンを渡すようにゆっくりとシンクロ――だが、リオが叫んだ。

 「……っ! ……やべえっ! アルク、ぶつけねえと逃がす!」

 「ぶつけちまえっ!」

 「わかったっ!」

 言いざま、リオが操縦を手動に切り替えた。一瞬で三次元軸を見て取ると、メインスラスターと補助スラスターのひとつを力いっぱい入れる。リオは脂汗を流しながら、レバーをじりじりと倒していく。

 「あああアルクっ!」


 シャトルは強引にユティエスの居住棟に寄り、主翼が外壁を削った。

 背中が冷えるような不協和音がシャトルに響き、警告音が次々に鳴る。ユティエスの居住棟と研究棟の隔壁付近に引っかかるようにして、シャトルはようやく止まった。

 「アルクっ! 今のうちだ!」

 リオのわめき声にアルクはシャトルのハッチを開けて――息を飲んだ。

 茫茫ぼうぼうとした空間だった。

 黒々とした、物理的な圧力を持った闇が広がっていた。自分が上を向いているのか下を向いているのかも、一瞬わからなくなり、ところどころに見える小さく光る点と、眼下の青い星で自分の位置を確認する。

 意識せず荒い息になり、足元が急におぼつかなくなった。軽いシェルショックだ。総じて認識が届かないものに触れた時に発する人の防衛本能。

 ラミアの戦場は、それほどに心細いところだった。

 アルクは頭を振って自分を取り戻す。今は、新兵しんぺいづらしてられるほどの時間はない。ユティエスにつながっている状態のシャトルの右翼を一歩踏みだした。

 マグネットブーツに体重を預けて、星錘をユティエスの外部ハッチを狙って撃ち込む。手ごたえを確認してから、アルクはシュートロープを体に巻きつけて、宇宙空間へ躍り出た。



     ☆



 黙っていたライカが唐突に声を上げた。

 「ラミア、本機にシャトルが近づいています」

 「え?」

 「シャトルです。地上から打ち上げられた模様です。あ、シンクロしそうです」

 ライカが言った途端に、ユティエスに鈍い衝撃が伝わった。

 「ダメですねえ。同期まではいいんですが、ぶつけちゃダメでしょう。これじゃ免許上げられませんね」

 「……ライカ、どういうこと?」

 「ですから、地上からシャトルが打ち上げられた模様で、本機に同期した、というかぶつけられたんですけど」

 「地上から?」

 「あ、誰か出てきたみたいです。モニターに上げます」

 メインモニター上に、外部カメラの映像が映し出された。シャトルからロープを渡して飛び出した人間がいる。

 「あっ!」

 ラミアは首をすくめた。

 大きな弧を描いてその人物が勢いよくユティエスの外壁にぶつかったのだ。二度三度、跳ね返って身体をぶつける。そのまま息もつかず、取りついた場所から、居住棟と研究棟の渡り廊下にある外部ハッチまで駆け上がった。

 …………まさか?

 わずかの間をおいて、エアルームの扉が開く音がした。

 まさか。

 そして、研究棟の扉が開く音がした。

 ラミアは振り向く。

 入り口にバイザーを着けた人物が立っている。ラミアは思わず立ち上がった。

 着慣れない軽圧耐熱服のヘルメットのどこがスイッチかわからず、頭を撫でまわす様子に、ラミアは微笑んだ。右耳の後ろあたりを指し示す。彼はスイッチを探り当てたようで、バイザーが上がる。

 懐かしい顔。

 ものすごく陽灼けしているけれど、少し大人っぽくなっているけれど。

 アルクだ。

 素直に喜びが溢れだす。

 「アルク……!」

 「話は後だ。ラミア、帰るぞ。シャトルに乗り移れ」

 「…………」

 ラミアは何とはなしに肩をすくめたい気分になった。

 せっかくの、感動の、場面なのに!

 「あと、9927だっけ、データは?」

 アルクは、せっかちに辺りを見回した。

 「……アルク、私はまだここにいるよ」

 「そうか。そんなら……!?」

 信じられないものを見るように、アルクはラミアを見返した。

 「アルク、まだ9927は完成してないの」

 ラミアは首を振った。

 「完成してないってことは分析も終わってないし、化学式も手に入れられてないの。あと、もう少しなんだけど」

 「あと何分くらいだ?」

 「20分」

 「……ダメだ。リオの腕でもあと5分強しか同期できない。でないとシャトルもろとも燃え尽きる」

 「でも……」

 「9926のデータがあればそれでいい。やることはわかってるんだから、地上でできるはずだ。データはどこだ?」

 「……アルク、私は行かないよ。戻れるうちに戻って」

 アルクは見回すのを止めて、ゆっくりと振り返った。

 「……何?」

 ラミアはもう一度ゆっくりと首を振った。

 「アルク、私は9927を完成するまで動かないよ――ようやく、ユティエスの、おじいの望みがかなうの。何もかも取り返す時が来たの」

 「何言ってるんだ! ラミア、ここにいたら……」

 「わかってるよ! わかってる……でも、あたしは科学者なの。“それ”を手に入れられるなら、全てを喜んで犠牲にする、そういう人種なの」

 「お前がいれば、完成してなくても大丈夫じゃないのか!?」

 「そう、完成してれば。完成してれば再現できると思うよ。でも……でも、それがまだ存在してなければ記憶もできないの」

 「いや、だって……」

 ラミアは目を伏せた。

 「……アルク、来てくれて嬉しかった。最後に、あなたに会えてよかった。実験データとサンプルさえも送れなさそうだったから、助かったよ。だから、もう帰って。必ず、9927のデータは送るわ」

 アルクは硬直していた。拒まれるとは思いもしなかったのだ。

 「……違うだろ! 生きてなけりゃなんも始まらないだろ! 俺は見つけろと言ったけど、生きて見つけろと言ったんだぜ!?」

 「そうだね。わかってる――でも、最後のチャンスだから。もしこれが成功しなかったら、電離物性変化実験ができる宇宙ステーションがない今、9927を作ることはもうできないかもしれないから」

 「……ラミア」

 「大丈夫。あたしは作ってみせる。これができればあたしは生きていられる。あたしがいなくなっても、50年間のあたしたちの意志が、アマトティハトを覆うことができる、よ」

 ラミアはにっこりと笑った。

 アルクは、ラミアの覚悟を説得できる言葉の持ち合わせがなくて、自己満足以上の言葉が出てこなくて――絶句した。


 警告音と計器の作動音だけが聞こえる中、ライカが口をはさんだ。

 「あれ? 見ないようにしてたんですが、再会の抱擁ほうようとかキスとか終わったんですか?」

 「! この! バカAI!」

 ラミアは真っ赤になって叫んだ。

 アルクは面食らったようだ。

 「? これ? 何?」

 「アルクですね? 私、ユティエスのAIで、ライカと申します。ラミアはあなたの帰還の申し出を拒みましたか?」

 アルクが戸惑っているのを当然のように肯定した。

 「でしょうね。推論正答率85.8%。完成するまで離れない、と言うと思ってました」

 「なに分かったようなこと言ってんの!」

 ライカは得意げに言い放つ。

 「いえいえ。AIとして事ほど左様に優秀な身としては、朝飯前というものです」

 アルクは突然のAIの半畳はんじょうに笑いかけた。

 ライカは続ける。

 「アルク、シャトルに連絡を取れますか」

 「ああ」

 「それでは、幸か不幸かシャトルは本ステーションに接触してますので、ゆっくりと逆噴射してもらえませんか?」

 「? どうすればいいんだ?」

 「シャトル側から、離れないようにゆっくりと、接触面をY軸に垂直に押す方向に逆噴射してもらえませんか。本ステーションの墜落速度を減衰したいのです。幸い、パイロットの腕は確かなようですし」

 「……ああ」

 アルクはバイザーを閉めてリオに呼びかけた。

 「アルク! よかった! そっちはどうだ、出られそうか? こっちはもうお前、気を抜くと持ってかれそうだ! くっ!」

 リオが歯を食いしばって真っ赤な顔でレバーを握る姿が映る。

 「リオ、機体が離れないようにゆっくりと、接触面をY軸に垂直? で逆噴射してくれ」

 「はあ? お前、何とち狂ってんだ? 無理だよムリ! こんなところで微分してる場合か!」

 「いや、ユティエスの墜落速度を減衰させる必要があるらしいんだ」

 「ええっ! ちょっとお前ちょっと、オレのこと便利使いし過ぎじゃね?」

 「頼む」

 「くそったれ! ちょっと待ってろよ。ええ。こんなとこでも腕の見せ所かよっ!」

 リオは空いている左手で何事か作業して数値を読み取った。右手で力いっぱいレバーを握ったまま、左手をスラスターに手を伸ばす。

 「離れないようにかよ! 無理言ってくれるぜ! いくぞ!」

 ライカが距離を測るように冷静に言った。

 「もう少しゆっくりお願いします」

 「もう少しゆっくり」

 「注文が多いな! このヤロー!」

 ユティエス内にいるアルクにはほとんどわからなかったが、ライカは少しの間沈黙した後、満足そうに言った。

 「はい。今最大ですね。そのまま45秒とめてください」

 「リオ、最大で45秒噴射」

 「あいよ!」

 通信上でもわかるくらい警告音が上がった。

 リオの顔が引きつる。

 でも、リオはもう不平を言わなかった。必要なことを必要な時に必要なだけする。そのためにリオは自分を鍛えてきたのだ。今はスラスターを目いっぱい上げ続ける時だった。

 「はい、止めてください」

 「リオ、止めろ」

 リオは左手を離した。

 「減速できてんのか? もっとできるぜオレ?」

 ライカはふたりの会話をモニターしていたらしく、通信に割り込んだ。

 「これ以上逆噴射すると、シャトルの翼と太陽パネルが破壊されます。計算上、構造強度の最終安全限界を超えるギリギリ手前です。そのまま可能な限りランデブーしてください」

 「リオ、そのままだ」

 「……? 今の誰?」

 「……AI?」

 「? わかった。……ん?」



     ☆



 イソラの制御室には、シャトルとユティエスの会話が聞こえていた。シャトル経由で通信が細くではあるが再度つながっていたのだ。

 完成するまで離れない、とラミアが言った瞬間、カリフは瞑目した。

 科学者ならばわかるだろう。科学者は誰もが我が身を省みないほどの傲慢で、同じくらい哀しく、孤独で――そして、何より一途いちずだ。

 ワグナム教授の、本当に最後の弟子。

 彼女の意志こそ、自分たちが教授から受け取ってきたものだ。そして誰かにわたさなければならないものだ。最もそれを強く持つ彼女を、取り返さなければ。

 思わず立ち上がったスタッフに、カリフは座るように手で示した。

 「……まだだ」

 まだ、諦めない。

 心を揺らしてはいけない。

 彼らに打つ手がなくなった時が、我々が出る幕だ。

 我々こそが、全てを受け止める我々こそが、最後のよりどころにならなくてはいけない。


 シャトルをチェックしていたスタッフが声を上げる。

 「長官! シャトルの平衡機能減衰! シャトル離脱にユティエスが障害となります!」

 狼狽ろうばいした声をカリフは穏やかに制した。

 「今は待て。必ず彼らは離脱する。減衰想定30%。大気圏突入角の修正計算を急げ」

 「了解!」

 落ちくぼんだ眼をしているにもかかわらず、皆が高い士気で一斉に応える。

 カリフは鋭い目で一心にモニターを見続けていた。その姿はわずかの変化も見逃さない決意に溢れていた。




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