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15.息を止めて河を渡れ(承前)

 何合目になるだろう、アルクはカザトの星錘を受け止め、けきっていた。

 シュートアーツは受けるだけならば何とかなる。だが、彼我の差はいかんともし難く、アルクは追い詰められつつあった。それほどに力量が違う。

 イソラの北館に飛び込むことはできず、まわりまわって再び変電施設の陰に飛び込むことになった。フェンスの向こう、わずか30mの距離がとんでもなく遠い。

 カザトの声が響く。

 「何かを守りたいと願えば、自らも血にまみれる。アルク、お前は何を得てきた!」

 「守ることが誰かを殺すことだけなら、俺たちがいる意味なんかないです!」

 わずかな時間で、銃声は右翼側の奥の方で散発的に聞こえるのみになっていた。

 王宮警備隊も反乱軍も、双方ともに戦闘継続可能なものは少ないようだ。

 「教官はそれでいいんですか!?」

 アルクは大声で話しながら、目立たぬようにシュートアーツで少し離れたところに立てかけてあるライフルを引き寄せた。急いでライフルをセミオートにして銃爪ひきがねに紐をくくりつける。

 「汚れも殺しもせずに守れるほど、国も人も安くはない」

 一瞬、アルクの手が止まった。

 思い直したように手が動き始める。

 「……教官、俺が学んだことは、本当に少しだけです。わずかです」

 アルクは呟くように言い、そして何かが切れたように大声で叫んだ。

 「誰かを見殺しにすれば! 次も見殺しにする! そして、誰かを見殺しにすることさえ平気になる! 犠牲の顔を確かめることさえもない! 俺は、嫌だ! どうしても許せないんです!」

 アルクはライフルの銃爪につながった紐を、収容所で奪ったシュートロープの持ち手に引き結び、カザトのいるであろう場所に向かってその星錘を放った。

 瞬時に飛び出したカザトの星錘がからめ取る。

 力いっぱいに引くと、ライフルがセミオートで撃ち始めた。牽制けんせいだ。

 持ち手を近くのフェンスに引っ掛けて、アルクは逆側の物陰から真っ直ぐにカザトに向かった。

 いちかばちかだ。もう援護はあてにできない。

 カザトに自分の星錘を喰らわすつもりだ。右手に振り出す。


 しかし、走り出した瞬間に、それが甘い見積もりだったと知った。

 すでにカザトは絡まった星錘を捨て、正面に立って次の星錘のモーションに入っている。

 10mほど先には、さらにもうひとつのシュートロープが大きく輪を広げていた。

 「碧淵へきえん」だ。

 そこに踏み込んだ人間は必ず足を取られる。

 全て読まれている。

 避ければ星錘の餌食えじき、避けなければ足を取られて終わり。

 くそ。

 アルクは歯噛みした。

 全力で走った。

 もちろん、シュートアーツの加速に間に合うわけがない。

 たった30mが、永遠のようだ。


 ――教官、ありがとうございました。

 まだ礼を言えていないことに気づいた。

 カザトは孤児である自分に、平等な愛情を注いでくれた。

 いや、それ以上に愛情を注いでくれたと思う。

 何者でもない自分に、シュートアーツを授けてくれた。他の誰でもなく自分に、息せくように全てを伝えようとしてくれた。

 ありがとうございました。

 すみません、本当に申し訳ないです。

 俺はどうしても、ラミアを救いたいんです。

 どうしてもなんです。


 アルクは、カザトが撃ちだす瞬間を狙って飛び込み、自分の星錘を撃ち込むつもりだった。相討ちしか方法はない。

 ……読まれてるだろうけどね。

 カザトは星錘を振り出そうとして眼を見開いたように見えたが、そのまま振り出した。信じられないスピードで星錘が飛んでくる。

 必殺のスピードだ。

 避けられない。

 こんな時だというのに、その美しい軌跡きせきに心の隅が感動していた。

 やはり師匠はすごい。

 自分もそこまで行けたら、と何度願ったことだろう。


 視界の端から誰かがその戦場に飛び込んできた。

 鋭い金属音と共に、ナイフの刃先が割れて飛んだ。

 ルーロンだった。

 ナイフだけでは勢いを殺せずに、ルーロンの胸に星錘が撃ち込まれる。

 鈍い音。

 あばらが折れた音だ。

 ルーロンがシュートロープをつかんだ。

 アルクは砂地を滑り込んで「碧淵」の手前で止まり、吠えながら渾身の一撃をカザトに撃ちこんだ。

 星錘はカザトの左の脇腹に吸い込まれるように消え、カザトは苦悶の表情を浮かべてうつぶせに倒れ込んだ。

 アルクはルーロンに駆け寄った。

 「ルーロンさん!」

 「……いいから」

 ルーロンは凄惨せいさんな笑顔を浮かべ、アルクを促した。

 「シエラを助けろ。アルク……頼む。バスティアはまだ、終わるわけにはいかん」



     ☆



 アルクたちがイソラへ突入する少し前。


 リゾ支部ではロブクラフがモニターを見て叫んでいた。

 「誰か!……誰か!」

 ナガサキがシステムルームに入ってくる。その後をクリードが後ろ頭をかきながら続いた。工兵に命令して帰ってきたのだ。目が少し赤い。

 「……どうした、お嬢」

 ロブクラフがふたりを振り返り、モニターを指差した。

 「これをっ!……これなのよっ!」

 「なんだよおい」

 「連絡を! ノエルタに! いや、もう、誰でもいい! 国家科学省でもどこでもいいから! とにかく連絡をっ!」

 「なんなんだよおい」

 ロブクラフはコンソールをいくつか叩いたが、通信管制のせいでどこにもつながらない。

 「ああっもう! イソラへっ! イソラへ行くわよっ!」

 「落ち着け、お嬢」

 「落ち着いてなんかいられるもんですかっ! こんな! バスティアは救われるのよっ!」

 ロブクラフは走りだした。クリードの脇を抜けようとして腕を取られる。

 「お嬢、何言ってんだよ。リゾはもう誰か出られる状況じゃねえよ。王軍がもう東と南を囲んでる」

 ロブクラフは髪を振り乱してクリードを見た。

 「ああもう! 戦争なんてやってる場合じゃないわよっ! 戦争する理由なんてもうないわよっ! ラミアが作り上げた実験がっ!」

 クリードはやれやれというようにため息をついた。

 「ヤツら、せっかくやる気になってんだからさ、水を差さないでくれねえかな?」


 ロブクラフは頭を振って荒い呼吸をなだめた。そして言う。

 「クリードさん、たった今、王軍に降伏してください」

 「ああ?……何言ってんだおまえ」

 「ラミアの実験結果が、50年にわたる実験結果と私の実験を合わせれば、アマトティハトを緑化できます」

 「……?」

 「クリードさん、信じてください。ラミアの実験はついにきっかけをつかみました。私の合成したタンパク質と共生細菌と彼女の直鎖ちょくさじょう塩基えんきで、アマトティハトは抑えられます!」

 クリードはいつにないロブクラフの勢いに圧倒されていた。

 ロブクラフはたかぶりを押さえるように唇を噛んでいて、その端から血がにじんでいた。

 「あと、あともう少しです。ラミアの塩基の分子量さえ揃えれば、公式に完全に合致します。『紅雷こうらい』を撃たなくともいいんです! アマトティハトが分解できます!」

 ロブクラフは涙ぐんでいた。

 後ろに立っていたナガサキが、クリードが目線を振るより早くコンソールに取りついた。


 分子生物学は彼の昔の専門だ。熱遮断高分子シートを発明した後は、航空物理に籍を移した。

 全体を見渡せば、真逆と言っていい分野をナガサキは選んだ。

 必要だったから、と言葉少なに彼は言うが、恐らく尊敬するワグナムと同じ道筋を辿ろうとしているのだろう。


 そのナガサキが、ロブクラフのターミナルに座って数値を確かめると、脈動するように顔を上げた。大きく息をつき、はやる心を抑えるように猫背になってPFSを操作し始める。ロブクラフのデータを違うアプローチで確認しようとしているのだ。

 ナガサキの操作が終わり、処理中を示す数列がモニター上に走る。

 ロブクラフとクリードは、まばたきも忘れてナガサキの背を見つめた。

 モニター上の数列が止まる。

 ナガサキが数瞬、結果を見つめた。

 「ロブクラフさん、これ……」

 ほうけたような声を上げた。

 振り返った彼は、いつもの冷静な表情ではなく、泣きそうな顔をしていた。

 ロブクラフは頷いた。

 いつのまにか涙がこぼれていた。

 クリードに向き直った。

 「クリードさん、もう戦いを終わらせましょう。バスティアを、私たちみんなの手に戻せる時が来たんです!」

 クリードは少しの間、涙を流し始めたロブクラフを見つめた。不審の色がゆっくり消え、代わりに狂おしいまでの希望の色に変わる。

 クリードは深呼吸した。

 ロブクラフとナガサキを交互に見つめる。

 「……確かか?」

 「はい!」

 「あいつらを死なせずに、ミサイルを撃つ必要もない」

 「はい!」

 「確かか!?」

 「はい! 間違いありません」

 「本当に確かなのか!?」

 「はい! 私の全てを賭けます!」

 ロブクラフは昂然こうぜんと胸を張った。レダの、オルカの、ラミアの、そして彼女の分子生物学が世界を変えられる。


 クリードはロブクラフをしばらく見つめ、踵を返した。

 扉の外の係員を呼び、全施設に最速で降伏を伝えるように指示した。

 「なんてな……ヤキがまわったかねオレ」

 クリードが呟く。

 駆けつけた大隊長が訝しげに問うたが、クリードは詳しくは説明せずに武装解除と王軍の受け入れを指示する。大隊長は生真面目に復唱して去った。


 リゾの低い監視塔から、眼下を埋めた王軍に白旗が掲げられたのはそれからすぐだった。

 「で、どうすんだ?」

 ロブクラフはクリードの腕をつかんで、力いっぱいジープに引っ張る。

 「イソラへ! イソラへ、希望を届けに行きます!」

 「……出来過ぎだぜ、おい」

 クリードは口をとがらせて肩をすくめ、それから可笑しそうに笑いだした。



     ☆



 ナヴァクは、シエラが向けている銃口を気にも止めず、ゆっくりとノエルタを振り向いた。

 「殿下、最終発動コードは……私の遺伝子コードになっております」

 「……なぜ?」

 「『740計画』は必ず成功します。成功しますが……ですが、結果ではないのです。国民を滅亡のきわに追い込み、その命を今また天秤に乗せざるを得ない、そのとがは消えぬのです……生きながら腐り落ちていくような役目を、王太子殿下に負わせることはできません」

 「……ナヴァク!」

 ふたりの会話は、計器の作動音しかしない管制室に静かに反響した。

 おもむろにナヴァクが最終起動スイッチの起動キーを差し込み、掌紋しょうもんと遺伝子コードの最終認証がなされた。


 シエラはそこで我に返った。押させてはいけない!

 「やめなさい!」

 銃口を構え直した瞬間、ナヴァクがハンドガンを抜いたのが見えた。

 油断。

 この首相は元軍属だった!

 右肩に衝撃を感じた後に音が訪れた。撃たれた衝撃でシエラはアサルトライフルごと右回りに吹き飛ばされ、コンクリートの床に投げ出された。右腕の感覚がない。

 「やめて……やめて!」

 ナヴァクの手元には、低い音と共に、セキュリティガードが開き、最終起動スイッチがせり上がってくる。シエラは右肩を押さえて地面に這いつくばりながら、声を振り絞るように叫んだ。

 「やめてっ! ラミアをっ、返してっ!」


 ナヴァクはかすかに震える指先を伸ばし、一瞬の逡巡しゅんじゅんを経て、『紅雷』のスイッチを押した。

 達成感もなく、安堵もなく、ただひたすらに重い感触が残った。



     ☆



 「最終制御コード確認。プロジェクトコード740、『紅雷』を発動」

 合成音声が響いた。

 ラミアは顔を上げた。再び目の前をコードが走っていくのを、生真面目な顔で見つめる。

 「磁界生成開始、太陽光発電パネル展開」

 通常のユティエスは開きかけた花のようだ。

 最終制御コードが入力されると、いつもは半分にたたまれている12枚のパネルが縦に展開され、太陽に対して最大角を取る。それは花がゆっくりと咲いていく様に似ている。

 ユティエスの12枚の花弁が開き始めた。制御棟下の砲塔が伸びる。

 遥か高高度に大輪の花が咲き誇り、電磁帯収束計算が終わると、ユティエスは『紅雷』を照射することになる。

 「電磁波収束チェック終了。チャージ開始します」

 合成音声が、『紅雷』を止められないことを宣言する。



 そして。

 全ての回路に最優先コードが走った瞬間。

 ユティエスは爆発した。




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