15.息を止めて河を渡れ(続)
イソラの警備室に一報がもたらされた。
「反乱軍が脱走したようです! 現在、収容所に配備された1中隊が追尾中!」
カザトは予想していたように、椅子に身を沈めたまま副官に指示を出した。
「深追いせずイソラの警備を固めろ。ここさえ落ちなければ反乱軍が来たとて問題はない。ナヴァク首相はどこだ?」
副官のルカが執務室です、と応えた。
「そうか。首相に、中央管制室にすぐ移動してもらえ。確認の後、総員戦闘配置」
ルカが復唱し、オペレーターに指示を出す。
カザトはアルクを想った。
自分に託された技、そして自分で編み出した技を全て渡せる人間が現れた時、カザトは単純に嬉しかった。いきおい、訓練は厳しくなったが、アルクは何度打ち倒されてももくもくと向かってきた。その打ち込みぶりには、むしろカザトの方がいぶかしむほどだった。
それを尋ねるとアルクは少し照れたように、でもはっきりと言った。
「守りたい人たちがいるんです。俺は強くならないといけない」
――わかった。
アルク、来るがいい。
収容所の監視牢に不備があることをわかっていて、あえてそれを補わなかった。彼らがそこを脱出することは予想の範囲内だった。矛盾したことだが、むしろアルクが諦めなかったことを肯定している自分がいた。
軍属であることは個人であることを否定する。個人であり続けようとすれば、どんなに強い人間でも心が折れる。自分がそうであったように。
お前に同じ轍を踏ませたくない。私もお前も、「740計画」の成功にも失敗にも関わることはできない。
人は、片方の手に自分を持ち、もう片方の手に大事なものをひとつだけ持てる。けれども、それ以上のことはできないのだ。
カザトの眼に、憂愁と哀しみが去来した。
「お前がそれ以上を望むとしたら、身の程知らずのぜいたくになるのだよ、アルク……」
カザトの物思いを打ち破る緊迫した声が警備室に響いた。
「隊長、難民キャンプから続々と人が出てきます! 暴動です! 王都南西部、東部で火災発生! 北部でも警察の機動隊と戦闘が始まりました!」
「なんだと!」
カザトは思わず立ち上がった。膝の上の星錘が滑り落ちるのにも気づかなかった。
☆
反乱軍の主力を囮に、リオの運転するジープは収容所のある南東部から王都北側のイソラへ向かっていた。
難民らしき集団がそこここであふれ出ていた。誰かが火をつけたせいで、あたりは薄暮のように明るく、街路では機動隊と難民たちがもみ合っている。
「こりゃあ突っ切れねえな。迂回するよ!」
首都の様子を見遥かしていたリオが、ハンドルを右に切る。東側を回っていくつもりだ。
ただでさえ乗り心地がいいとは言えないジープで、定員オーバーの6人は、荒れ地に乗り出した震動で舌を噛みそうになる。
――荒い運転をしやがって。
アルクは口の中で毒づいた。あいつ、テンション高過ぎ。まさか遠足気分じゃねえだろうな?
「アルク、イソラにどう入るつもり?」
シエラの大声にアルクは大声で返した。
「イソラのさらに北から廻り込む! イソラ警備隊も王都警備に駆り出されるだろうから、ある程度東側の制圧に向かわざるを得ない。もう1隊にイソラの正面からひきつけてもらう」
運転席では、走りながらリオがもう1台のジープと指示し合っている。すぐに進路を分けて彼らは斜めに走り去っていった。
「リオもそう思ってるらしい」
「でも、北は急坂だよ!」
「そこは、リオが何とかするだろ!」
それきり、アルクは黙った。
他に方法はない。
最も「オーソドックス」な奇襲策を取ることが勝ち目を多くする。正面突破を図ろうとすれば、ろくに武器もそろってないこちらは全滅するだけだろうし、東も西も隙をつけるほどの人数ではない。
戦闘に奇跡はない。
たぶん、カザトは読んでいるだろう。というより、どういう方法を取っても読まれる気がする。
……当たり前か。
だって、俺の考え方はあの人のコピーだから。
アルクは肩の力が抜けるのを覚えた。
結局、あの人を倒さない限り、ラミアを救うことはできないのだ。
それだけだ。
アルクは決意が下腹に座るのを感じた。膝の上の、取り戻した自分の星錘を撫でる。
国を守ろうとするカザト教官。
ラミアも国も守ろうとする自分たち。
あとは、どちらに突き通す意志があるか。どちらに運があるか。
結果が出るのはそう遠いことではない。
ジープは逃げ出した難民を避けながら、イソラ北側の急坂にたどり着いた。
心構えをする暇もなく、リオが叫ぶ。
「そんじゃあ! 行きますよみなさん! 何か捕まってて!」
言いざま、急こう配の下り坂に飛び出した。ジープがバウンドする。
「リオ! バカーッ!」
シエラがわめく。
「しゃべんな! 舌噛むぞ!」
リオが熱に浮かされたように叫び返す。
ルーロンだけが固まったまま前を見ている。
アルクは坂の下、建物の陰に隠れて見えない部分を注視していた。
見えた。
機関銃中隊だ。
「リオ、ガトリングだ!」
「わかってる!」
リオが坂の途中で岩を避けながら盾にしたのと同時に、炸裂音が続く。
突起が弾着で一瞬に形を変える。
「ひゃほー! あぶねー!」
後輪をスライドさせながら、リオは器用にガトリングの斉射をかわす。
急なすりばち上になっている坂を斜めに横切って、斉射が終わったと見るやリオは加速して中隊のただ中に飛びこんだ。衝突でガトリングガンとフェンスが横倒しになる。
その前にシエラ、アルク、ルーロン以下、全員が受け身を取りながらジープから飛び出し、各々物陰に飛び込む。アルクは変電施設の陰に飛び込んだ。リオはジープをものすごい勢いでバックさせ、次に銃を構えている右翼側に突っ込む。
「……当然こちらに来るだろうな。アルク」
こんな時でも静かな空気をまとって、カザトが立ちはだかった。
後ろにはイソラ警備隊が控える。
カザトが言い淀んだ。
「……もはや、我々の間に言葉は必要ない。が、もう一度聞こうと思った」
「はい」
アルクは星錘を構えて壁の陰から透かして見たまま、微笑んで応えた。
「戻る気はないか」
「ありません」
「わかった……制圧しろ」
最後の言葉が終わった瞬間、一斉斉射が始まった。
銃声の継ぎ目を縫って、ルーロンたちはアサルトライフルをセミオートで撃ちながら、走り出した。牽制をするつもりだ。
アルクは変電施設の屋根をよじ登り、腹這いのまま目測でイソラの3階部分との距離を測る。星錘を放った。手ごたえを確認すると、シエラに叫ぶ。
「シエラ!」
シエラはアサルトライフルを背負って屋根に上ってくる。
アルクはシエラを抱きかかえた。
「ここは俺たちで何とかする! イソラを破壊してくれ。ラミアを頼む!」
シエラはこっくりとうなずいた。
「いくぞ!」
わずかな助走で飛び出した。
ふたりは大きな振り子のように加速し、警備隊をひとり蹴とばす。
アルクはフェンスの向こうにシエラを放り出し、時間差で自分も着地した。
瞬間、風圧を感じてのけぞったところにカザトの星錘が通り過ぎた。
シエラは振り返らずに建物の中に走り込んでいる。
手首の振りでシュートロープを取り戻したアルクは、ゆっくりと近づいてくるカザトを不敵な笑みで見つめた。
師弟の対決は1年半ぶりだ。
対戦成績は、数え切れないくらいの敗北のみ。
☆
ナヴァクとノエルタは、イソラの中央管制室の脇にある付室に移動していた。
ガラス越しにすぐ横にカリフの執務席が見え、階下ではオペレーターが忙しげに立ち働いている。ナヴァクは無防備にノエルタの前に立ち、ここまで先導してきた。
ナヴァクの背中は国を背負う大きさを持ち……同時に切ないほどに痩せ細っていた。自分は、自分たちはこの男に甘えてきただけなのではないだろうか。何ら効果的な方策を提示できないままに。
ナヴァクはソファに座って身動きもしなかった。
ノエルタも無言だった。多くの想念がノエルタの脳裏をよぎっていった。
病床でナヴァクを大事にしろ、と言った父。
何よりも自分の身を案じた母。
お前の思うことをしていいんだ、と笑った兄は、ヌミディアとの紛争で去った。
救わねばならぬのです、と見上げたルーロン。
何とかするんです、しなくちゃいけないんです、と泣いたロブクラフ。
すでに自分は、ナヴァクの痩せた背中に等しいものを背負ってきた。「740計画」は止めなければならないのだ。ノエルタは感傷を振り切った。
「……待つ時間は苦痛ですね、殿下」
ナヴァクが唐突に言った。
憑き物が取れたように穏やかだった。
「ナヴァク……?」
「間もなく、『740計画』の最終コードが発令されます。後、わずか10分ほどです」
「……」
「私の役目はこの時のためにあったのだと思います」
「ナヴァク、『740計画』の可能性は私も考えた。しかし、まだ考えられる時間があるのではないか?」
「……いいえ、申し上げた通り、もう時間はないのです。もはやバスティアを救うには猶予はないのです」
ナヴァクは首を振った。
「ナヴァク……」
「仕方がありませんね、殿下。でも、貴方は、それでいいのです」
ノエルタは訝しげに見た。
「? ……『紅雷』の最終発動には、王族の認証が必要なはずだ。私の遺伝子コードがね。だからここに連れてきたんだろう?」
「それには及びません、殿下」
ナヴァクはうっそりと立ち上がって敬礼した。
「どういうことだ?」
ノエルタは目を細める。
ガラス戸の向こうで、カリフが様子を見るようにノックした。
ナヴァクがテーブルの上のスイッチを押すと、コンプレッサーの音がしてドアが開く。
「ナヴァク首相、準備が整いました」
「感謝する」
ナヴァクは凛としてうなずいた。
そのまま、ノエルタを促すようにしてカリフの執務席に移動する。
入り口で叫び声が上がった。
ノエルタが首を回すとシエラが走り込んでくるところだった。
シエラ。
ノエルタは少しほっとしたが、誰も続くものがいない。ルーロンもアルクもいない、ということは、変わらず絶望的な戦いを強いられているのだろう。
「やめなさい!」
シエラはカリフの執務席に直接に銃を向けた。
そこにノエルタがいるのを見て一瞬顔を上げたが、驚きを押し殺して低く叫ぶ。
「あなたたちは、『紅雷』を撃てばどうなるかわかってんの!?」
管制室の中はしんと静まりかえった。
それを力ずくで突き破るように、ナヴァクが朗々と応えた。
「わかっているとも! お前らが心配してくれなくとも、私は地獄行きだろうさ!」
ナヴァクは、シエラを見下ろして傲然と言い放った。