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12.すなわち悪意のみが世界を作りしか

 ラミアは、国家科学省に面接に行った日、戻ってくるなり、入ることに決めた、と言った。

 シエラは喜んだ。ラミアの頭の良さは全州統一試験で一度もトップを譲ったことがないほどだったし、シエラには本当に何のことかよくわからなかったが(本当に自分たちは双子なのか?)、無機物分子に関する論文が認められていたし、折り紙つきの優秀さだったのだから。

 でも、面接の日からラミアは変わっていた。かげりのある眼になっていた。

 何かあったのか、と聞いても小首を傾げて笑うだけで、何も言わなかった。いつものように、年少の子供たちが遊んでいる姿を優しく見ていても、翳りは消えないどころか、むしろ深くなるように感じられた。

 そんなラミアを、もどかしくシエラは見ていた。

 前は自分に何でも話してくれたのに、ラミアは違う世界に足を踏み入れてしまったのだ、と直観的にシエラにも理解できた。そして、それはラミアが選択した結果なのだ。


 ラミアは前を向いて子供たちを見ながら言う。

 「ねえ、シエラ。あたしはね、アマトティハトを何とかしたいの。このままじゃ、ここだって危険になるし、この国はダメになっちゃうから。少しでも私ができること、やりたいの」

 「……そっか。うん、いいじゃない。がんばんな!」

 ラミアはシエラに向き直ってほんのりと笑う。

 その遠さに、シエラが胸をしめつけられるような不安を感じる。


 ラミアがイージス孤児院を出ていく日は、朝から快晴だった。

 雲ひとつなく晴れ渡った青空は、ラミアの出立しゅったつにふさわしい。

 シルバ院長、シエラ、子供たちに見送られ、ラミアはひとりひとりと握手した。子供たちとは小さな約束をした。弱い子を助けるとか、院長の手伝いをするとか、そんなこと。

 院長には丁寧に礼を言った。

 シルバは目を細めて「いつでも帰ってきなさい」と笑った。

 ラミアはシエラに向き直ると、彼女の両手を取って力を込めて握った。

 「ラミア……」

 「シエラ、後のことお願いね。アルクももういないから、シエラを頼りにするね」

 「……任せといてよ!」

 シエラの空元気からげんきに、ラミアは口角こうかくをあげて応え――しばらくの間両手を握ったまま目をつぶった。そして思い切るように手を放すと、

 「じゃ、行ってきます!」

 一転、元気よく宣言した。


 ラミアを見送りながら、シエラはいつものラミアではないと感じながらも、それは初めて離れるせいだと思い込もうとして、なかなかうまくいかなかった。何故だかもう会えないような気がして、思わず大声で呼びかけた。

 「ラミア!」

 ラミアは振り返ると、楽しそうに手を振った。

 行かないで、と口から出そうになった時、シルバ院長の手が肩に置かれた。

 「ラミアを送ってやれ。あの子は自分のやることを見つけたんだよ」

 院長は何でもわかってる。

 「うん……」

 子供たちがシエラを心配そうに見上げているのに気付いた。自分の不安が伝染しているのだ。この子たちを不安にしてはいけない。

 シエラは伸び上って右手を振った。

 「ほら、みんなも! ラミアを送ってやんなさい!」

 子供たちを促す。ほっとしたように子供たちはラミアに向き直り、口々に応援の言葉を叫びながら手を振る。

 ラミアは、まとめて受け取るように、もう一度大きく手を振った。



     ☆



 シエラには料理の才能が少し欠けている。料理作りを楽しむ才能も残念ながら同様だ。

 だから、献立こんだてを組み上げるには1つ下のマリーに手伝ってもらうことにしている。

 彼女は孤児ではなく、彼女の父親が王都で料理人をしている関係で、イージス孤児院には一時的に身を寄せているに過ぎないのだが、進んで仕事を手伝ってくれる。

 料理については、小さいころからそこはかとなく仕込まれてきているので、手の込んだ料理でなければ(シエラには全部手の込んだものに見えるが?)そこそこのものは作れるというわけで、なんというか、大変ありがたい。

 日課の市場への買物も、ほぼシエラは荷物持ちだ。だって、必要な材料がマリーしかわからないんだから。しかも彼女はちゃんとお店と交渉する。

 「えー、こんな高いんじゃ買えない~」

 「いや今時こんな値段で出してるの、ウチくらいなもんだって。見てよこのかぼちゃの熟れっぷりをさ!」

 「4つで……300オルク」

 「無茶言いない。2つでも足が出るってもんだ!」

 「イージスは食べ盛りが多いの。じゃ3つで300」

 「おいおい。もうなあ……マリー」

 「じゃ買わない」

 「わかったわかった。しようがねえなあ」

 マリーはニッコリと笑った。

 シエラの目から見ても、彼女は目鼻立ちの整った子だ。いいところのお嬢と言って差し支えなかったから、品もある。

 八百屋の店主はでれんと鼻の下を延ばしながら野菜を包んでくれ、おまけにオレンジをくれた。おばちゃんが軽くしかめ面をして、後ろからポカと殴った。

 「商売してんのか、贈物してんのか、どっちだいアンタ」

 シエラとマリーが声を出して笑う。

 「おじさん、おばさん、ありがとうね」

 市場では、イージスの二人娘は顔なじみだ。おばさんは笑いながらシエラの荷物から今日の献立を予想して、マリーに料理のひと工夫についてアドバイスしてくれた。

 「……あと、最近ね、物騒だからあんたたちも気をつけな」

 「物騒?」

 シエラが眉をひそめる。

 「ああ、なんでも隣町で強盗団が出たらしい。幾つもの店が襲われて、死人も出たって聞いたぜ。何だかな、強盗っつっても、暴れるのが目的みたいなところもあってな、王軍が追ってるてえんだから、結構なおお捕物とりものになるんじゃねえか?」

 おじちゃんが荷物を運びながら割り込んだ。

 「いやだねえ、『しょく』が広がるから、どんどん人が住むところがなくなってくよ」

 おばちゃんは大仰おおぎょうにしかめ面をしてみせた。



     ☆



 夜、シエラはじりじりと待っていた。

 夕方買い物に行ったマリーが帰ってこない。

 今日に限って珍しく用事が立て込んでいて、マリーはひとりで買い物に行っていた。しばらく経ってから後を追ったが、マリーはずいぶん前に買い物を終えていることがわかっただけだった。

 最近、この町にもがらの悪い難民が目につくようになり、孤児院のみんなには必ず集団で行動するように指示したばかりだった。マリーもそれを忘れてはいないだろうが、市場だから安全と考えたのだろう。

 扉をノックする音が聞こえた。シルバ院長が応対に出る。

 警察だ。嫌な予感が膨れ上がる。それでもシエラは、最悪の予感が当たらないように祈っていた。

 しかし、切れ切れに聞こえてくる言葉でもう、最悪の結果であることは容易に想像がついた。場所がどこかが聞こえると、シエラは我慢が切れた。

 院長と警察官の横をすり抜けて外に走り出す。孤児院から全力で走れば10分、歓楽街の路地裏だ。シルバ院長の呼ぶ声がしたが振り切った。

 ――自分がついていかなかったばかりに。

 自分がついていれば、こんな。

 繰り言のように自分を責めながら、自分の足が地面を踏んでいるのかも怪しいまま、シエラは走った。

 大通りに入って左に抜ける。

 歓楽街のアーチをくぐり抜けて右。黄色いテープが見えてくる。

 転んだ。石畳にいやというほど膝をぶつけた。

 顔を上げると、警察の回転灯が神経に障る。片足を引きずりながら、野次馬をかき分けた。

 最初に目に入ったのは、今日の献立に使うはずの色鮮やかなパプリカだった。

 そして覆った灰色のカバーからはみ出た、力なく投げ出されたマリーの足。

 いつも彼女がいている飾り気はないけれどかわいらしい革靴。

 「お父さんが言うの。服と違って靴はなかなか気を遣えない。だから毎日磨きなさいって」

 そう言って彼女は夜ごと息を吐きかけて磨いていた。

 シエラの頭の中に、次々に彼女の言葉が、仕草が、表情がよぎる。

 「マリー……マリーっ!!」

 なおも進もうとするシエラを強く警察官が押し戻した。

 「マリー!」

 シエラの悲痛な叫び声に、野次馬たちが声をひそめて囁く。

 「知ってるよあの子。かわいい子だったのにねえ」

 「悪い連中に乱暴されて殺されちまったそうだ」

 「でも捕まったんだろう?」

 「ああ、全部じゃないけどね」


 シエラは、すえた臭いのする石畳に座り込んだ。

 自分が。

 私が、彼女に、ついていかなかったばかりに。

 こんなところで、彼女は。

 「マリー……」

 シルバ院長が息を切らせてやってきた。シエラを立たせて無言で抱きかかえる。

 シエラはあまりの怒りに眩暈がするほどだった。こんなことをした人間と――それ以上に、マリーを無防備に外に出した自分に。

 歯を食いしばっていないと叫びだしそうだった。

 眼からは一滴の涙も出てこなかった。

 「マリー」

 かろうじて、優しく呼びかけることができた。

 「マリー、家に帰ろう」



     ☆



 シエラは泣き続ける子供たちをなだめてからとこいたが、眠れそうになかった。怒りは頂点を超えてまだたぎっていたが、それを追うように、数倍する悲しみが襲ってきて、身じろぎもできなかった。

 シルバ院長は泣き疲れて眠ってしまったふたりの子と一緒に階下で眠っている。

 マリーの父親に何と言えばいいのだろう。子供たちにどう説明すればいいのだろう。千々に乱れる思いを抱えながらシエラは煩悶はんもんした。



 突然、階下で銃声がした。

 シエラは跳ね起きた。ドアを勢いよく開けて階段まで駆けつけた。

 見下ろした居間ではふたりの子供が目を覚まして泣き始めたところだった。シエラは階段を飛び降りるように駆け降りる。

 シルバ院長と誰かが玄関先でもみあっている。暗がりで見えないが、シルエットで銃を持っている人間ひとり、他にも棒のようなものを持っている人間がいるのがわかった。

 誰かは知らないが、力づくで侵入しようとしているヤツらがいる。

 ふたりの子供はシエラを認めると走り寄ってきた。抱きかかえて扉に向き直る。

 再度銃声が響いた。

 シルバ院長の身体がスローモーションのようにくの字に曲がる。

 背筋が粟立あわだった。

 「院長!」

 シエラの声に、侵入を許さないように両手で力強く扉の脇をつかんでから、肩越しにゆっくりとシルバ院長が振り返った。

 そんな距離ではなかったのに、聞こえる距離ではなかったのに、シエラは確かにシルバ院長が言った言葉を聞いた。


 「……生きろ……何もかも生きてこそだ……」


 わななくように動いた唇を見届けたシエラは、ふたりを抱えたまま奥歯をかみしめて階段を飛ぶように駆け上がった。

 シルバ院長を突き飛ばし、侵入してくる暴漢。

 シエラは踊り場にある三輪車をふたつ、階下に向かって蹴とばした。階段を登ろうとしていたヤツにぶつかって、もろともに階段から落ちる大音響が響いた。

 なおもシエラは二階の廊下にあった使わなくなったオルガンを階下に落とす。またもや登ろうとしていたヤツにぶつかって落ちていく。

 何が何でもこいつらには子供たちに触れさせない。

 マリーを守れなかったのに、子供たちまで守れないなんて冗談じゃない。

 シエラは、こわごわドアから覗いている子供たちに奥の部屋に集まるよう指示した。

 ヤツらは登ってこない。


 お金なら持ち去ってくれてかまわない。

 好きにすればいい。

 ここにはお前たちの望むものは何もない。

 もし上がってくるようなら、私は全力で抵抗する。

 全力で抵抗して、必ずお前らを全員道連れにしてやる。

 子供たちには誰ひとり手を触れさせない。


 シエラはすすり泣く子供たちを奥の部屋に集めて、ありったけの家具でバリケードを作り、子供たちを抱きかかえた。

 階下で銃声が響いた。

 それを追うように遠くで銃声が断続的に響く。

 シエラは震えないようにこぶしを力いっぱい噛んだ。

 痛みが恐怖で途切れそうになるシエラの意識をつなぎとめてくれる。

 怯えるな。子供たちに怯えは伝染する。


 どのくらい経ったのか、思ったより短かったのかもしれない、長いような短いような瞬間を過ぎ、気がつけば銃声は間遠まどおになった。廊下を荒々しく近づく音がする。

 「シエラっ! シエラっ! ガキども! 無事かっ! 返事しろっ!」

 隣のおじさんだ。

 安堵あんどのため息が漏れる。

 助けに来てくれたのだ。

 子供たちの声を聞きつけたおじさんは、ドアを体当たりで開けて、なおも勢いよくバリケードをどけた。

 「大丈夫かっ! 怪我はないか!?」

 「大丈夫、大丈夫だよ、大丈夫」

 歯の根があわない。言葉を発するのに苦労した。

 「そうか……よくやった」

 「大丈夫だよ、大丈夫、大丈夫」

 自分でも混乱してるのがわかる。言葉が出てこない。

 「バカやろう! こんな時に気つかわなくていいんだよ!」

 おじさんがシエラと子供たちを抱きかかえる。体温が温かった。

 シエラは自分が泣いているのに気付いた。

 助かった喜びと、子供たちを失わなかった喜びと、院長を失ったであろう悲しみと、マリーがもう戻らない悲しみと。

 どうしようもなくて――本当にもうどうしようもなくて、シエラは子供たちと一緒に大声で泣き始めた。



     ☆



 埋葬はとどこおりなく行われた。

 シルバ院長とマリー。

 マリーの父親も駆けつけた。自分が一緒にいられればマリーが死ぬこともなかった、とぽつんと呟いた彼は、シエラたちを責めなかった。

 イージス孤児院が襲われたのは、マリーを死なせて捕まったヤツの仲間が、意趣いしゅ返しに行ったことだったと知った。

 逆恨み。だったら警察を襲えばいいのに。

 弱い者がさらに弱い者を叩いたところで、何も生みはしない。

 報告してくれた警察官さえ、ため息をつくような結末だった。


 シエラは葬式を終えたその足で、街の自警団に向かった。

 助けに来てくれた隣のおじさんが詰めていたので説明は短く済んだ。

 「団に入りたい……て、シエラ……お前さん、無理してるんじゃないのかね?」

 「……うん、そうかもしれない。でも、」

 銃はシエラの身に余る大きさと重さだ。

 それでも彼女は、しっかりと抱きかかえた。

 「もう、家を守れなくて泣くの、嫌だから」




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