10.そは許されざる者に似て
本拠も旧州軍基地と同様、ミサイル応射の準備に忙殺されていた。反乱軍の人間たちは、ようやく一矢を報いることができる、と意気軒昂だった。
その中をアルクは真っ直ぐ前を見て、工兵の呼びかけに応えないまま、集会室に向かって歩く。シエラは顔を拭きに厨房に行った。
集会室ではルーロンが参謀方とノエルタと相談していた。正面の机の上には携帯型のモニターが置いてあって、今はクリードが状況を報告しているようだ。すでに主だった反乱軍の面々が集まっている。
アルクは黙って中央辺りの席のひとつに座って腕を組んだ。
――最悪、吊し上げを喰らうかもしれない。
だが、アルクは言いたいことを言うと決めていた。でなければ、反乱軍に身を置いている意味がない。シエラが隣に座るのと同時に、ノエルタが前置きなしに口を開いた。
「お疲れ様です。皆の働きのおかげで、ユティエスの座標解析は先ほど完了しました……ですが、『740計画』の決行時間は、明日1時最終コード発令、4時に『紅雷』照射の予定であることが判明しました」
肯定と驚きのどよめきが広がる。
ルーロンが重々しくうなずいた。
「それでも、決行前にわかったことは幸運と言っていいと思う。ミサイルは既に準備完了している。王軍はすでに我々の動きを察知しているだろう。全軍を賭してミサイル発射を守り抜く」
反乱軍の面々は顔を見合わせた。
「は、まったく、ひとすじ縄じゃあいかねえよなあ、ええ」
笑い声が漏れる。
戦力差はとうにわかっている。にもかかわらずそう言えるのは、戦い抜くことを決心した人間のみだ。犬死だと誰もが思っていても、ささやかな意味があって……そのために反乱軍にいるのだから。
アルクは反乱軍の士気が上がるのを抑えるように立ちあがった。
「みんな……すまない。聞いてくれ」
皆の明るい眼差しがアルクに集まる。
「ユティエスには、人が乗っている。ラミアが乗っている」
ルーロンがモニターに視線を振る。クリードに変わってロブクラフが映っていた。ロブクラフはちょっと口ごもったが、むしろその分だけはっきりと言った。
「……ええ。ユティエスにはラミアが乗っているわ。紅雷現象の発生装置であると同時に、ユティエスは電離物性変化の無重力実験室だから」
ノエルタは目をつぶり、ルーロンは口に手を当てて考え込むように黙った。
「ユティエスを落とす、ということは……」
ロブクラフはそこまで言って黙った。
「……それじゃ、その、その人に『紅雷』を止めてもらえばいいのか?」
重くなった空気を窺うような口調で、誰かが言う。
ノエルタがかぶせるように言った。
「……いえ。『紅雷』は地上制御なのです。ユティエスに人がいようとも、止める権限も方法もありません。『マザー・ダッチ』による自動制御です」
ノエルタはアルクを見た。
「アルク……それでも、『紅雷』を起こさせるわけにはいきません」
ノエルタという人は、誰も彼も救おうとしてきた。そのために、彼がどんなに心を砕いてきたか。わからないアルクではない。
アルクはノエルタを静かに見返した。
「うん。わかってる……でも」
「いいえ。私も……わかっているのです」
「……そうだね。ノエルタさんもルーロンさんもわかってくれてるよ。でも、そうであっても」
アルクは熱い塊を吐き出すように身をよじって一気に言った。
「ユティエスを撃ち落とすのはやめてほしい。頼む」
奇妙な静寂が皆を包んだ。
期待した言葉ではなかった。それどころか、アルクが、最も反乱軍に寄与してきたともいえるアルクが、乾坤一擲のこのオペレーションを拒んでいる。
当惑している皆に追い討ちをかけるようにアルクは言った。
「……俺は、どうしても、ラミアを救いたい。あいつを地上に戻したい」
ルーロンが腕組みを解いて、必要以上にゆっくりと言った。
「アルク、シエラ。お前たちにはすまないと思う。だが、大元を絶たない限り事態は解決しない。ユティエスは、撃墜する」
――気づけばルーロンも、歯の間から押し出すように言葉を発していた。その重さに全員が言葉を失った。
誰かが息を飲むような音を立てた。
☆
反乱軍の本拠に王宮警備隊が忍び寄りつつあった。
その数、1大隊ほど。
先発隊が歩哨を当て身で昏倒させる。他に監視の目がないのを確認すると、恐るべき速さで、迷いもなく集会所を包囲する。
指揮を執るのはカザト、強襲部隊は彼が鍛えた精鋭たちだ。
☆
シエラがよろけながら立ち上がった。
「みんな……ごめんね」
皆の視線がシエラに移る。シエラは目を伏せたまま言った。
「お願い……ラミアを助けたいの」
いつも胸を張って、強気なシエラ。
いつも走っているシエラ。
自分の食べ物までも子供たちに譲り、反乱軍の誰かが傷つけられると我がことのように怒ってくれるシエラ。
背は低く、痩せて女の子らしいところもなく、でも、不屈な彼女に励まされて立ち上がった男のなんと多いことか。
その彼女は、こんなにも脆い。彼女が15歳の少女だと、誰もが思い出した。
「少しの間でいい。ユティエスの撃墜を待ってくれ。迷惑はかけない」
アルクは歯を食いしばるように言った。
「待てる時間はない。ミサイルが間に合わなければバスティアは終わりだ」
ルーロンはあくまで冷静だ。
「イソラを破壊する。中枢の制御さえ破壊すれば、ユティエスは無用の長物だろ」
「中枢だからこそ破壊は難しい。楽にハッキングできるわけもないな? その時間を担保するのは非常な努力と犠牲を必要とするだろう。『教授』がいる、と言ったのはお前ではなかったか?」
「それでもっ……」
アルクは拳を握りしめた。爪が掌に食い込んで血がにじんだ。
「それでもっ、俺が何とかしてみせる」
アルクは叫びを押し殺すように言った。
「頼む……!」
ルーロンは下を向いて目をつぶり、心なしか微笑んだように見えた。
――自己陶酔と自己犠牲。欲望と祈り。あるいは依存と希求。それらは同じ根から生じるのに、なぜかコインの裏表の関係に至る。
果たして、少年たちはいつ大人になるのだろう。少女たちはいつ目覚めるのだろうか。
自分たちの要求が、意図せずに全員に死ぬ覚悟を強いた時か?
違う。
認識ではない。
純粋な覚悟をもって我が身を費やすことができさえすれば、たとえひと時でも、少年は世界を救い得るし、少女は世界に君臨し得る。
そうではないか……そうではなかったか? 思い出せ、ルーロン。
ルーロンははっきりと笑った。
モニター上のロブクラフが言った。
「もしラミアを見殺しにするのなら、私たちは政府と同じことになるでしょうね」
ルーロンの笑いが大きくなる。
「ロブクラフさん……」
ノエルタが遠慮がちに言った声に、ルーロンは笑いを消して顔を上げた。
アルクは答えがそこにあるように天井を見上げ、シエラは顔を伏せたまま、立ちつくしている。ノエルタが自分を見つめているのがわかる。
ルーロンはあくまで冷たい声を意識したまま言った。
「わかった」
張りつめていた緊張が一気に解け、歓声が上がる。
アルクに張ろう。
もともとリスクの大きい賭けだ。何が幸いするかなんて誰にもわからない。不確定要素としてのラミアが生じ、その身内といえるアルクとシエラがここにいるのは、もしかしたら大事なことなのかもしれない。
リアリストであることを突き詰めることによってのみ、現実を超える瞬間が訪れる。軍人を長くやれば誰でもわかることで――そして、今がその時だ、とルーロンの内心の声が告げていた。
「だが、今夜0時40分がリミットだ、アルク。あと2時間しかない。その意味がわかるな?」
「ルーロンさん……」
「完遂できなければ、ミサイルは発射する。それまでに破壊することができるか?」
ルーロンは司令の顔で毅然と告げた。
「大丈夫、やってみせる!」
アルクとシエラの顔が綻んだ。
――まあ、そういう顔を見るために、雑用の多い司令なんて立場にいる、てことだな。
ルーロンは苦笑いした。すでに反乱軍の面々は、命令など聞くつもりもなく、アルクとシエラを応援するつもりだったようで、口々に言い募った。
「シエラ、心配すんな! すぐにお前の身内を取り戻してやっかんな!」
それが彼らの死地を約束するとしても、彼らはそう言う。そのためにルーロンは反乱軍を組織したのだ。間違いではなかったことに、ルーロンは喜びと安心を感じた。
☆
突然、集会所の窓ガラスが割れた。
スタングレネードだ、と気づいた時には遅かった。マグネシウムと過塩素酸カリウムが爆燃する。光と音の瞬間的な洪水が、反乱軍の戦闘力を一気に削いだ。
強襲部隊が入口を蹴破って一気に突入し、付近の人間が弾き飛ばされた。入口のある壁の幅はわずか6mほど、それほど狭い中で、彼らは互いに射線を遮ることがない。恐るべき連携だった。ハイブリッド・アサルトライフルはフル・オートモードで、半径3mにいる人間は声もなく抵抗力を奪われる。
もとより、アルクたちは集会所に武器を持ち込んでなどいない。何人かが持つハンドガンと、アルクのシュートアーツくらいしか対抗する手段はないだろう。
「応戦しろ!」
ルーロンの声が、麻痺した耳に遠く響く。アルクとシエラは何とか目をつぶることができたが、耳鳴りと三半規管の狂いを抱えたまま、何とか前方の参謀方の机の陰に飛び込むのが精いっぱいだった。何人かがハンドガンを取り出そうとしたが、一発も撃つことなく制圧されていく。それでもすぐに、シエラは腰のハンドガンを、アルクはシュートロープを取り出して応戦を始めた。
「くそっ!」
アルクは頭を振った。狙いが定まらない。
「アルク! 広範囲に撃てるものじゃないとダメ! ライフルを奪って!」
「やってるよ!」
カザトが入口をくぐった。
辺りを見渡す。
「無駄な抵抗はよせ」
反乱軍のひとりが横から突進した。ナイフを持っている。
が、カザトは一瞥さえせずに手と足をわずかに動かしたと見るや、襲った男が空中で半回転して背中から落ちた。確か「風切」とかいう技だったと思う。アルクは格闘戦では優秀とは言えなかった。
カザトは男の利き腕の付け根をつま先で押さえた。大した力を入れているとも見えないのに、男の顔が苦悶にゆがむ。
カザトは、目を押さえたノエルタをかばうように立ったルーロンを見つけて言った。
「無駄な抵抗はやめろと言っている。全員射殺することもできるぞ」
アルクの感覚が少し戻ってきた。注意がそれている間に部隊のひとりのライフルをシュートアーツで狙う。呼吸を合わせて、腕を軽く振った。
銃の台尻にからみついたシュートロープを強引に引くと、ライフルが男の手元から離れた。それを見定めたシエラが飛びついて銃を手にした瞬間、カザトは3mを一気に詰めていた。
首に手刀を打たれて、シエラは糸が切れたようにうつ伏せに倒れる。
「シエラっ!」
思わず飛び出したアルクに、部隊のひとりが冷静に当て身を喰らわせた。
カザトは気絶したアルクを見下ろす。
「まだまだだな……これほど簡単に冷静さを失うようではな」
ため息ともつかないように呟くと、カザトはルーロンに向き直った。
部隊はすでに全員を制圧して、残りはルーロンとノエルタだけだ。
「ルーロン」
ルーロンは変わらず強い目でカザトを見つめたまま、ゆっくりと銃を下に落とした。
部隊の副長格らしい男が、カザトの合図でルーロンとノエルタに手錠をかけた。
「ルーロン! ノエルタ! アルクっ!」
ロブクラフの叫びに、カザトが初めてモニターに気づいたように視線を向ける。
「そちらも反乱軍か。どこだ?」
「あなたに教える必要はないわ!」
興奮したままロブクラフがモニター越しに言い返す。
「なるほど……いずれ、シーガルトかリゾだろう。手配は終わっている。すぐに彼らと再会できる」
「……ずいぶん、自信家なんですね」
「……私が?」
「他に誰がいるんですか。私たちがすぐにでもミサイルを打ち上げるとは思わないんですか」
カザトは意外そうに首を振った。
「思わない」
「……舐められるのは好きじゃない。できないと思う? 発射されたくなければルーロンたちを解放しなさい!」
モニターに噛みつかんばかりにロブクラフは乗り出していた。クリードが襟首をつかんで引き戻そうとしている。
カザトはロブクラフの虚勢を真顔で受け止めた。
「……直接に矛盾した言い方だが、軍人でいるためには、敵を信用することができなければならない。意思の疎通が図れなければ、倒れるのはこちらのほうだ」
ロブクラフが面食らったように眉根を寄せる。
「な、ななんて?」
「……しかも、本来我々は敵でさえあるまい」
カザトはどこまでも静謐な眼でロブクラフを見つめていた。
副隊長がルーロンとノエルタを連行していく。他の隊員たちは倒れた反乱軍の人間たちを迅速に収容している。
「……無駄な抵抗はするな。怪我で済まない場合もある」
カザトは踵を返した。
ノエルタが肩越しにロブクラフを振り返る。
「ノエルタ! ルーロン!」
ロブクラフの叫び声は届かない。
☆
王軍のトラックの荷台には、拘束された反乱軍メンバーが乗せられていた。
周囲のビルから住民たちが、銃に押されながら頭に腕を組んで出てくるところだ。
目覚めた反乱軍のひとりが吐き捨てた。
「手回しがいいこって! クソったれが!」
「ふざけやがって。『紅雷』で国を滅ぼそうとしている計画に加担してるクソったれが!」
無言のまま反乱軍の連行を見ていたカザトが振り向き、冷たい口調で問い詰めた。
「『740計画』のことか? なら問うぞ。彼らが正しいという根拠はあるのか?」
大声を上げた反乱軍のひとりを凝視しながら、カザトはノエルタとルーロンを指差した。
カザトに見つめられた男は気圧されたように黙った。
「『740計画』は、この滅亡しようとしている国を救うために発案されたものだ。50年前には成功し、お前らが襲ったイソラでは、今も成功に導く努力をしている」
ノエルタが苦しそうに目を開けた。
「それが……今の状況を作ったのです」
「それがひと時の繁栄だとしても、我々には必要だ。座して滅びを待つわけにはいかない」
「……更なる悲惨を呼び込むとしてもですか」
「更なる悲惨とは何だ。今の悲惨はお前の言う悲惨ではないのか……理想では解決できない。それとも、お前には解決する方法があるか?」
ノエルタは口惜しそうに黙った。
「犠牲を厭う者には、所詮何もなすことはできぬ」
カザトが部隊に合図をすると、トラックは走り出した。見る見るうちに反乱軍たちが遠ざかる。
カザトはトラックを見送り、言い募った自分を恥じるかのように、静かにため息をついた。