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目の前をよぎったものを、フォルカーは辛うじて避けた。避けはしたが、バランスを崩して尻餅をつく。立ち上がろうとして、寝かせたままのクヌートを思い出して振り向いた。
まだ、意識は朦朧としている様だが、彼はそこから動いていない。安堵しつつ顔を上げる。
「これは」
茶色の塊が凄まじい速さで行き来をしていた。他の面々も目を丸くして見上げている。
「貴様!」
反応が一番早かったのはミーシカ、相手との間合いを詰めようとして避けられたのが見えた。フォルカーも走り出す。
茶色い何かの速度が落ちる。だが、先程までとは違い周囲は薄暗い。冬至とはいえ、ここまで暗くはならない筈だ。
「は…ははははは!」
狂った様に嗤うのは、ティモ。その両肘から先は茶色い何かに覆われている。
「見たか!俺の力を!」
嗤い続ける彼が腕を大きく振った。ぶちり、と鈍い音がして茶色い何かが消える。だが、頭上を交差する茶色いものは消えない。
「木…?」
フォルカーは見上げて呟いた。木の根が絡んだ様な形をした牢獄、後方支援の面々はこの中に閉じ込められている状態だ。魔術師達がいくつかの魔術を展開するが、穴を作ることはできない。
「完全に化け物になったか」
ミーシカが吐き捨て、ティモの眦がつり上がる。
「俺をこうしたのは、貴様らだ!」
彼の腕先は蔦の様なもので覆われ、その間から鞭の様にしなる太い枝が突き出ていた。
「俺は騙されただけだった!魔人に、騙されただけだ!」
そこに人の頃の指があれば、ミーシカに突きつけていただろう。だが、今は不気味にうねる太い枝が地面を叩く。
「だというのに、貴様らは…」
ミーシカは何も言わずに走り出した。口を開いたまま目を丸くするティモの側頭部を槍で薙ぎ、体勢を崩したところで蹴り飛ばす。周囲に気を取られていたフォルカーは我に返るとミーシカの元へ駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「ああ」
返しながらもミーシカはティモから視線を外さない。
「行きます」
フォルカーはメイスを構え、ティモへ向かって走り出す。
「神官ごときが…!」
悪態をつく前に不気味な枝を打ち払う。小枝の様なものがぼろぼろと落ちた。付与魔術がなくとも、メイスそのものの攻撃力は高い。隙を見せずにもう一撃を加えてから離脱する。
「疾く!」
魔術師の声、ティモの腕に火が絡みつくが、それは直ぐに消えた。
「うおおお!」
ヘスの男が大槌で殴りかかる。迎撃しようと腕を突き出すティモを背後から襲ったのは騎士の長剣だ。大槌はティモの脇腹にたたき込まれ、その細い体は地面に倒れ伏す。ミーシカが槍を振るい、その胸を突こうとしたが枝が絡みつき果たせなかった。槍をどうにか引き抜き、再び間合いを取る。口の横から血を溢れさせたティモがよろめきながらも立ち上がった。口元を拭い、己を囲む討伐隊の面々を見回す。
「俺は、許さない!俺を、俺をこうした、こう…こう、こうう、ここここ…」
枝が伸び、ティモを守るかの様に囲んだ。意味を成さぬ叫び声、木が割れる音と小刻みな揺れ。
「弾け」
「疾く」
「疾く」
魔術師達が次々と魔術を展開していくが、全てが弾かれる。
「魔術師は下がれ!…フォルカー」
「私は魔術師ではありませんよ」
ミーシカの言葉をさらりと流した神官は、ティモから目を離さない。既に伸びきった枝にその体は隠され、叫び声も聞こえなくなった。ヘスの男と騎士もある程度の距離を取る。魔術師達がティモと距離を取り、後方支援の者達と合流する。とはいえ、彼らも含め今、ここは、絡み合った枝で囲まれている状況に変わりは無かった。巨大な魔術の展開は現実的ではない。
ヘスの男が大槌で木の塊を叩くが、さほどのダメージは与えられず弾かれる。
「どうします?」
ティモだったものは、今や木の塊だ。会話も成立しないだろう。
「逃げようもないな」
「仕方ありませんね」
フォルカーがメイスを構える。
ミーシカは、走り出した。
■
タビーとメラニーは後方支援の面々が集まっている南側へ向けて走っていた。
『俺はあっちを見てから行く』
最前線から引き返す途中、カッシラーは巨人の方へ向かったため、こちらはタビーとメラニーだけだ。
「あれは?」
タビーの側を走りながら、メラニーが目をこらす。茶色い小山の様なものが見えた。ちょうど後方支援の面々がいる辺りだ。
「揺れてる?」
「はい…なんだ、この振動」
思わず足を止めたメラニーにつられて、タビーも足を止める。
「強くなっている?」
ダーフィトでは地震がない、と学院では教えられた。それが事実ならば、この振動は天災ではない。
顔を見合わせて再び走り出した二人だが、揺れが徐々に激しくなる。
「タビーさま!」
転倒しそうになったタビーをメラニーが支えた。
「ありがとう」
体勢を整えるが、その間にも揺れは止まらない。
「!?」
何かが割れる様な音がした。木が裂ける様な音、打ち割られる様な音。
揺れがいっそう大きくなり、目の前の茶色い小山の頂点が弾けた。
「疾く」
咄嗟に口にした呪と同時に防御膜が二人を包む。飛び散った塊が周囲に転がった。岩や石ではなさそうだが、想像上に大きい。
「…タビーさま」
押し殺した声に、彼女は顔を上げる。
小山を突き抜けたて現れたのは、巨大な木だった。




