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準備されていた料理は、予想していた程豪華なものではない。
一つの皿にパンと焼いた肉、小さな果物が置いてあるだけだった。スープもな
く、飲み物は水。
タビーは王女の顔を伺ったが、変化はない。シュタイン公がひいた椅子に腰掛
ける。ナプキンがなくて戸惑っている様だ。代わりになるかは判らないが、手持
ちの布を膝にかける。
シュタイン公が席についたのを見て、タビーは一礼した。このままここにいる
訳にはいかない。
王女のことはとても気になるが、話の内容はタビーが聞いていいことなど一つ
も無い筈だ。
「タビー」
礼をして下がろうとしたところで、シュタイン公に呼び止められる。
「はい」
「そこにいていい」
「は、しかし……」
戸惑いつつ、タビーは王女の顔を伺った。王女は相変わらず表情のないまま、
テーブルの上を見つめている。
「殿下」
タビーの事はそれきりで、シュタイン公は王女を呼ぶ。
「以前の話を、覚えておられるか」
王女に対する物言いではないと思うが、彼は平然としている。
「シュタイン将軍……あの様な戯れ言を」
「戯れ言ではない」
はっきりと言い切った彼は、鋭い眼差しで俯いた王女を見つめた。
「王位を継ぐのは、貴女だ」
聞いた瞬間、タビーは息が止まったのを感じる。体中を鼓動が駆けめぐり、額
に汗が浮かんだ。
「……私は、王女です」
絞り出す様な声。その手は膝の上で握りしめられている。
「王位は……義兄上がおります」
その答えを紡ぐ王女に、シュタイン公は鋭い眼差しを向けたままだ。
「ルーファン殿下は、王に相応しくない」
「いいえ、義兄上は既に王の治政にも参加されています。私とは違います」
「殿下」
「そもそも」
突然、王女の声が大きくなる。
「将軍は、なぜ私を王にしたいのですか?」
悲痛な叫びだ。王女は王位を望んでいない。幼く小さい肩に、王位は重すぎる。
「理由をお聞きになりたいのか」
「……っ!将軍、私はあなたの駒ではないのです。権力が欲しいなら、義兄上に
仕えればよいのです」
「馬鹿馬鹿しい」
シュタイン公は鼻をならした。二人とも、目の前の皿に手を付けようとしない。
「理由を聞けば、貴女は逃れられない。それをおわかりか?」
「理由を聞かずとも、逃れられないのではないですか」
どこか自嘲する様な声音で、王女は返す。
顔をあげた王女と、鋭い眼差しをした将軍の視線が交錯する。
「確かに」
今度はシュタイン公が低く笑う。どこか、乾いた笑み。
「私も貴女も、所詮駒に過ぎない。退屈紛れの戯れにされているものだ」
王女は戸惑っている様に見える。
「……美しい瞳だ」
唐突に、彼は呟いた。
「ルーファン殿下も、美しい瞳をしている」
王子の瞳は何色だったろう、タビーは思い出せない。王女よりも濃い金髪だっ
たことだけは、記憶にある。
「何が……」
「貴女の瞳を見る度に、私は思い出す」
瞬間、タビーは迷った。どちらの耳を塞ぐべきか、己か、王女か。
「殿下」
聞いてはいけない、理由の判らない危機感と焦燥に突き動かされ、タビーは王
女の元へ駆ける。
「動くな!」
視界を、鋭い光が過ぎった。本能的に止まる。首元ぎりぎりに、シュタイン公
の剣があった。立ち上がった気配すら感じさせない、それでいて剣先には迸る様
な殺気が籠もっている。
「タビー!」
王女が立ち上がる。椅子が、倒れた。
「……毒を呷り、眠る様に死んだ、私の弟を」
「将軍」
「弟の瞳は……母に良く似ていた」
「殿下!」
たまらず声を上げる。動いた瞬間、首元を剣が掠った。鋭い痛みに足も、声も
止まる。
「タビー!」
シュタイン公はちらりとタビーを見る。何かが垂れる様な感触がした。
血、だ。
あと一歩踏み出せば、タビーの首には取り返しのつかない傷がついていただろ
う。練習着を伝う不快感に、彼女は目を閉じる。
「殿下、弟は……貴女の様な琥珀色の瞳でした」
深い、引き込まれる様な琥珀色。惹きつけられてやまぬ、惑わしの彩。
王女は目を見開いていた。手が震えている。タビーは目を閉じたまま、その場
に崩れ落ちた。
瞳の色など、千差万別だ。両親から、祖父母から、代々の先祖から伝わるもの。
それが同じ色だったからと言って、何の証になるのか。
(……詭弁だ)
目を開き、タビーはぼんやりと床を見つめる。
この様な話は、王女が聞くべきものではない。耳に入れるには、あまりにも惨
いものだ。
「将軍……」
王女の声は、低く掠れて、落ちた。
■
目の前に眠る国王を見つめながら、ノルマン公は溜息をついた。
代々宰相として国に、王に仕えてきたノルマン家は、三公の一つ。その権力は
他の追随を許さない。
王の側には侍医と、ノルマン公だけだ。つい先日までは王妃も付き添っていた
が、今は休んでいる。うつらうつらとした、意識の曖昧な国王に寄り添うその姿
は、ダーフィトの王妃らしく凜としたものだ。
(この時期に倒れずとも)
溜息をつきたくもなる。国王は継承者どころか王権の代行者も決めていない。
代行者が指名されていない場合、宰相が可能なかぎりの決裁をする。だが、そ
れも限定的な為、国政に滞りが出始めていた。
挙げ句に、ディヴァイン家を後見に持つ王子ルーファンが戒厳令を出す様に詰
めよって来る。
反して、騎士団は国王の容態や王女の失踪も気にしないかの様に通常通りだっ
た。最も、騎士団を率いるシュタイン公は騎士団本部から出ようとせず、王宮へ
足を踏み入れることもない。何を考えているのかまったく判らなかった。
王子と王女の継承権争い。
近衛は騎士団の参謀格や副将軍の一部を拘束している。騎士団はそれに対して
何の行動も見せていない。言われ無き出頭命令だとしたら、騎士団は騎士を保護
する。それさえもしないということは、シュタイン公に何か考えがあると見るべ
きだ。
対して、王子派の動きは日々活発になっている。
このまま行けば、王子ルーファンが継承権を得る可能性が高い。
――――それを黙って見過ごすシュタイン公だとは思えないが。
国王は、賢王とまではいかずとも、良き施政者として国を長く導いてきた。安
定した政権下で民は穏やかに生きている。
そんな国王が時折見せる厭世観を、ノルマン公は見抜いていた。もしかしたら
王がわざと見せつけていたのかもしれない。
悪政は行わないが、民の事を考えている訳でもない。砂漠の様に乾ききった国
王の内面は、王妃や側室でも癒やせなかった。
王妃と側室、近衛と騎士団。
相反するものを骰子の様に手の中で転がし、対立とまでは行かずとも不協和音
が聞こえる様に仕掛ける。
それを高見から見ている、国王にはそんな悪癖と呼ぶべきものがあった。
自覚していない様だが、王子にもその傾向が見える。今はまだ若いから目立た
ないだけだ。
ノルマン公は溜息をつく。
国王は、掌で弄んでいた骰子を放り投げた状態だ。
その骰子の出目が判らなくても、駒達は争い続ける。
王子か、王女か。
近衛か、騎士団か。
騒乱の予感を抱え、ノルマン公は三度、溜息をついた。




