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目の前に広がる白、ダーフィトでは南のやや穏やかな気候の地域以外では当たり前の光景だ。
量の違いはあれ、冬になれば雪が積もる。街や村であれば住民達が、街道は商人達に雇われた者達が、砦や戦略的な場所であれば騎士団も加わって雪かきを行い、人々は幅は狭いが整えられた道を使って冬を過ごす。実際に雪かきをしない者達は、その分雪かきをする者達へ対価を支払うのが常だ。
「…うちの領地に来てほしい」
目の前の光景を見て、ジルヴェスターは呟く。
「うちの故郷もです」
クロマイドに代わり、今日はラッツが側に控えていた。彼は魔術師と聞いているが、ジルヴェスターは彼が魔術を使っている姿を見たことはない。
ブッシュバウム侯爵の領地は広く、雪害が酷いところも含まれている。農業にもあまり適さず、寒さに強い果樹や一部の穀物で生計を立てている様な土地だ。侯爵家ではそんな地域の者に日当を出し、周囲の街道を含めた雪かきを行っている。
目の前に広がるのは濡れているが茶色い土、そして積み上げられた大量の雪。ユガの街を守るかの様に雪壁が連なっている。昨日までは間違いなく、真っ白な大地だった筈だが――――。
「旦那様、雪かきは終わりましたが、明日はまた雪と思われます」
少し先で工兵や傭兵、冒険者達を指揮しているギルベルト伯爵の傍らには、ひょろりと細い従者の様な服を着た男。今は剣も佩いていない彼は、だが傭兵達にも一目置かれている様で、雪かきの時も冒険者達からいろいろな相談を受けていた。名も名乗らず、特にジルヴェスター達に話しかける事も無い。だからといって彼らを軽んじている訳ではない様だ。
「面倒だな、また積み上げか」
最初のうちは冒険者達に交じって雪かきをしていたギルベルト伯爵は、少し前に戻ってきたばかり。細い男が差し出す資料を見ながら唸っている。
「見てください、ぎっちりですよ。あれ」
ラッツが指さしたのは、街の正面入口にきちんと積み上げられた雪の塊。おそらく他の入口でも同じ様になっているだろう。工兵達が計算、伯爵が承認したそれはユガの出入口を狭くしている。万が一、攻め込まれたときの防御壁の代わりだ。どの様な手段でやったかは判らないが、朝早くから始めた雪かきをこんな早く終わらせるのも驚きしかない。
「大隊長殿」
ギルベルト伯爵が振り向き、手招く。ジルヴェスターは急いでそちらへ向かった。どうみても伯爵が上司で部下がジルヴェスターだが、諸事情により大隊長に任命されているのは彼である。
「これを」
細い男が地図の上に更に羊皮紙を広げた。ナード砦を正面から見た見取り図だ。
「ちらっと見た限りだが、こことここに見張りがいる」
ジルヴェスターは顔を上げ、伯爵の横顔を見つめる。単なる雪かきだけで砦の近くまで行ったのではない。それを見抜けなかった己に赤面した。
「元々ナードにはこの場所に見張り台がある。海側にももう1カ所、まぁ今回はあまり気にしなくていいな」
「旦那様、図面です」
次に重ねられたのは砦内部の見取り図。ジルヴェスターは反射的に細い男の顔を見た。騎士団では砦の見取り図など見られる場所はない。許可を得なければ、図面のある資料室にも入れないのだ。
「多分、ここの部屋だな。こっちが丸見えだ」
ギルベルト伯爵は砦を見やる。雪かきが終わったのはあくまで街側、砦のすぐ前は雪で埋もれたままだ。
「雪を越えますか」
細い男が問いかける。
「命じた瞬間に全員が帰るぞ」
低く笑った伯爵は、再び見取り図に視線を落とす。
「こことここの見張りがある限り、こっちから砦を攻めるのは愚策だ」
「だとすれば、こちらまでおびき出さなければ」
ジルヴェスターの言葉に伯爵が同意した。
「どうやって引きずりだすか、だ」
吟遊詩人たちが詠う英雄譚や物語などでは、華々しく活躍する騎士の話がいくらでもある。彼も幼い頃は憧れたが、現実は真逆だ。
「あいつらも雪がある限り、こっちが攻められないのを知っているからな」
略奪が本分の海賊である。本当であれば、ユガも略奪の対象だった。それができないならば撤退してもおかしくないはずなのに、海賊達は未だに砦を占拠して出て行く素振りも見せない。
誰が考えても判るだろう、海賊達はノルドとつながっている。だから動かない。
「下手すると春まで膠着状態だな」
「春になれば?」
「砦を橋頭堡にして、ノルドの連中が上陸だ」
雪さえなければ攻め込むのに支障はないだろう。ノルドが上陸すれば、ユガなどあっという間に攻め落とされる。
「砦にいられない様にしておびき出すか」
「船が必要ですが、そちら側が安全かは判りません」
ナード砦の海に面した側には、船をつけることが可能だ。とはいえ、接岸できるのは小型船。砦までは細く長い岩作りの階段である。砦から見れば狙われやすい。だというのに、ナードは陥落した。よほど強力な支援があったのだろう。ノルドか、それとも――――。
「魔術師の遠隔攻撃で、落とすか」
逃げて出てきた海賊達を待ち構えればいい。海側に逃亡する分については、手柄をほしい連中にくれてやるだけのこと。
砦をにらみつけたギルベルト伯爵の後ろで、ジルヴェスターは小さく息をのんだ。




