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王女の湯浴みを済ませたタビーは、あらかじめよけておいたドレスを彼女に着
せた。思った通り、腰回りは少し余るが、それ以外は丁度良い具合だ。まるで王
女の為に作られた様だった。
髪の毛を丁寧に拭い、軽く結い上げる。タビーは肩より下に髪を伸ばした事が
ない。結い上げるといっても、ある程度まとめた髪を、髪留めで押さえる位だ。
等身大の人形と言われてもおかしくないほど、王女は美しかった。どことなく
人ではない様な、この世のものではない雰囲気だ。無表情で陶器の人形の様だが
何故か不気味さよりも美しさに畏怖する。
「殿下、おつかれでしょう。おかけください」
いつしかタビーは自分が侍女にでもなった様な気がしていた。高貴な姫君にお
仕えする侍女に。
王女を窓際の椅子に座らせ、少し汚れたシーツを剥ぎ取る。やはりシーツの予
備も用意されていた。巨大なベッドに相応しく、大きなシーツだ。四苦八苦しつ
つも、タビーはシーツを敷き終える。王女はその間、黙ってただ外を見ていた。
ブランケットの予備もある。思い切って全てを交換した。
「殿下、おやすみになりますか?」
声をかけると、王女はタビーに視線をうつし、そして首を横に振る。その仕草
もどこか人間離れしていた。
お風呂あがりだった事を思い出し、タビーは水差しから水を注ぎ、王女の前に
グラスを置く。
「どうぞ、殿下」
ぬるすぎず、冷たすぎず。グラスが少し汗をかいたのを見て、タビーは水差し
が何らかの魔道具であることを悟った。形や造りから見て、高価なものだと判る。
王女がグラスの水を少しずつ飲んだ。唇には紅を差した訳でもなく、肌には湯
上がりにほんの少しのオイルとクリームをつけただけだ。それでも白い肌とひび
割れもない唇は、王女本来がもつものなのだろう。
「傷は、痛みませんか?」
王女は手の傷をみて、やはり静かに頷く。気怠げにも見える、休ませた方がい
いのだろうか。
「タビー」
「は、はい」
王女から呼びかけられ、彼女は慌てて返事をする。
「海を見た事がありますか」
「……防護壁の上から、ほんの少しばかり」
「そう」
王女は立ち上がり、窓の外を見つめた。この部屋からは騎士団の訓練や業務は
見えない。広い中庭だけが見える。
「……海の向こう」
ぽつり、と王女は呟く。
「ノルドに行くのだ、と、言われました」
心臓が止まりそうな気がした。この王女を、海の向こうの国へ、しかも国交は
あるが友好とは言えないところへ嫁がせる。それは途轍もない暴挙に思えた。
「ノルドに、私の婚約者がいるそうです」
「婚約者、ですか」
王女とて王族の定めからは逃れられない。王にならないのであれば、どこかの
国へ嫁ぐか、国内の有力貴族へ降嫁する。だが、幼くも美しい王女が降嫁する、
と言われても、どこかぴんとこない。
「ザシャという方です……知ってますか」
タビーの息が一瞬止まった。知らない訳がない。あの不審者と対峙していた少
年、ノルドの貴族で留学してきているとは聞いたが。
「……顔と、名は」
「私も、学院で会いました。美しい方ですね」
違う、と言いかけてタビーは口を噤んだ。確かにザシャも人形の様な美しさを
持っている。だが、王女とは全く違う。ザシャの美しさには何処か翳りがある。
しかし、これで判った。あの学院視察の時、王女が彼を見つめていた理由が。
「いずれにしても、私はどこかに嫁ぐものと、そう思っていたのです」
王女の呟きを、タビーは一言も聞き漏らすまい、と耳を傾けた。
「ですが……」
「そこまでにして頂こう」
不意に割り込んだ声に、タビーは慌てて振り向く。扉を開ける物音すらしなかっ
たのだ。
「シュタイン公……」
眉を顰めた男がそこに立っていた。黒い騎士服と長いマントを身につけ、腰に
は長剣を佩き。
「タビー」
「はっ、はい」
呼ばれて慌てて礼の形を取る。
「殿下の支度、ご苦労だった」
「……はい」
労われる様なことはしていない。タビーがしたかったのだ。この王女の為に。
「殿下」
シュタイン公に声をかけられ、王女は体を震わせた。庇いたくなりそうなのを
こらえる。
「今度こそ、聞いていただきたい」
強い言葉だ――――上に立つ者の。
タビーの中で反発心が頭をもたげる。だが、逆らう事にどこか躊躇いもあった。
「シュタイン将軍……」
王女は諦めた様に俯く。そんな仕草をしても、やはり王女は人形の様だ。
「食事を用意した。隣の部屋へ」
王女ルティナは微かに頷いた。王族である彼女にその様な事を頭ごなしに告げ
る。それがいかに不敬にあたるか。
腹立たしい気持ちを押さえつつ、タビーは王女を見つめる。
潤んでいるためか、色を濃くした琥珀色の瞳は、静かに伏せられた。
■
「殿下が?」
「はい」
ディヴァイン公は、その報告を聞き顔を顰める。
「本当の話なのだろうな」
「はっ。騎士団にいる手の者からの報告です」
「……このことは、他言無用。下がれ」
「はっ」
部下が出て行くのを見送り、ディヴァイン公は執務室の椅子に腰を下ろす。
――――王女ルティナが騎士団に保護されている。
その報告は彼に驚きをもたらし、そして『やはり』と思わせた。
シュタインとディヴァインは相対するもの。
表立って争うことがなくても、当代によって協調するとしても、それは変わら
ない。
近衛騎士隊は騎士団の、騎士団は近衛騎士隊の、お互い頸木を争う存在だ。
ディヴァインが王子につくなら、シュタインは王女につく。
その予想は誤っていなかった。
これで膠着していた状況は動く。シュタイン公につく貴族達はこぞって王女を
支持するだろう。ノルマン公は中立だが、その傘下貴族にはシュタイン公と縁を
持っている者もいる。表立っては中立であっても、王女よりになる可能性が高い。
勿論、ディヴァインにもノルマン公傘下の貴族と繋がりを持つ者がいる。正確
に調べて見なければわからないが、ほぼ対等の筈だ。
(……王女に王位は継がせられない)
王子の母はディヴァイン派の侯爵家出身。王子が即位すれば、ディヴァイン派
の力が強くなる。王子の外戚として政治に介入する気は強くない。それよりも国
王代理として騎士団も含めた軍権を手中にしたい彼としては、シュタイン公とそ
の一派を排除する必要がある。
(騎士団を押さえるしかない)
騎士団はダーフィト中に支団や砦を持っていた。ディヴァイン領にもある。魔
獣討伐や盗賊団への対応をするためのものだ。それら支団や砦を併せれば、騎士
団は巨大な組織となるが、王都常駐の騎士団であれば対抗できなくもない。
無論、近衛騎士隊だけでは厳しいが、貴族の中には領地を守る為にある程度の
兵を持っている者もいる。彼らとて、王子が王にならなければ旨味を吸えないか
ら、王子の要請さえあれば兵を出す筈だ。
王女を保護している騎士団を、王女を監禁している『逆賊』とし、王女を取り
戻すための正当な戦いとして騎士団を攻撃する。
騎士団への攻撃も、大義名分があれば問題ない。ディヴァイン公は手を握る。
王位に就いた王子と、その元で軍を指揮する己自身。
近づいてきた未来と栄光。
彼は静かに笑った。




