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シュタイン公は他の騎士達と同じく、黒い制服をその身に纏っていた。違うの
はボタンの色や大きさ、徽章くらいで、それ以外は普通の騎士が来ている制服と
変わりない。
だが、身の内から迸る覇気とでも呼ぶべきものは、誰にも似つかなかった。
「タビー」
ジーモンの促す様な声に、彼女は慌てて最敬礼をする。
「名は?」
低い声。タビーは緊張のせいで何度か息を呑み込んだ。
「た、タビーです」
「そうか、タビー。顔をあげろ」
「はい」
静かに体勢を戻すと、シュタイン公の黒い瞳がこちらを見ていた。身を縮こま
せながらも、どうにか顔を上げる。
「この者が、誰かわかっているか」
「……推測であれば」
シュタイン公は頷く。
「普段は何をしている?」
「え?わ、私ですか?」
頷く彼に、タビーは不思議に思いつつも答えた。
「訓練に参加したり、馬に乗ったり、図書室の本を読んでいます」
その返事を聞いたシュタイン公は、後ろについていたジーモンに何事か伝える。
「タビー、身の回りのものをまとめて来る様に」
「え?」
「部屋を移動する。5分だ」
ジーモンにそう言われ、慌てて救護室を飛び出した。
部屋にたいしたものはない。着替えもここで買ったり、臨時支給されたものだ
けで、私物といえば杖くらい。
それでも5分でまとめるのは難しい。なにしろ救護室から宿舎までは少々遠い
のだから。
部屋に飛び込むと、エルトの袋を開き、次々に突っ込んでいく。洗面所に置い
てある小物や石鹸は布で包み、そのまま袋へ。
忘れ物がないか見回し、杖を握りしめて部屋を飛び出す。
救護室までがこんなに遠く感じたことはない。というより、何故自分がこんな
思いをしているのか、訳がわからなくなってきた。
それでも救護室に戻れば、ジーモンが口笛を吹いて笑う。
「思ったより早かったな。5分じゃないが」
「……は、はい」
息切れしつつ、タビーは頷いた。既にシュタイン公の姿はない。そして、あの
少女も。
「ついてこい」
「え?あの……」
「閣下は、先に行ってる」
戸惑いつつ、彼女はジーモンの後についていく。今まで入ったことのない幹部
用の宿舎、その中でも最上階にはシュタイン公の部屋があると聞いていた。将軍
である前に公爵だから、そこで寝泊まりをしているとは思わなかったが。
「この中に図書室もあるし、サロンもある。買い物はできないが、管理人に頼め
ば騎士団の売店や外で何でも買ってきてくれる……ああ、管理人がいるのはそこ
だ」
ジーモンは宿舎を入ったすぐ横の部屋を指さした。
「はぁ」
「1階奥はサロンがあるが、あまり使われないな。食事は部屋に用意させる」
「皆さん、そうなんですか?」
「普通は食堂だな、面倒だし」
「……?」
よく判らないが、部屋食というのは面倒と言うものなのだろうか。確かに匂い
の強いものであれば、匂いが籠もる事もあるだろうが、わざわざ持ってきて貰う
のだから、面倒というものでもない様な気がする。
「基本的にこの宿舎の中は自由にしてていい」
「……あの」
嫌な予感がして、タビーは足を止めた。
「どうした?」
ジーモンが気づいて振り向く。
「まさか、と思いますが『あの方』の世話を、私にさせるつもりでは……」
「なんで『まさか』なんだ。当たり前だろう、助けたのはお前さんだ」
タビーは絶句した。
シュタイン公やジーモンの態度から、あの少女が誰か判っている。本来ならば
タビーが世話をする様な人ではない。
「あ、あの、私、学院に戻りたいのですが……」
「学院は臨時の休みだぞ」
「いえ、自習とか……その、訓練とか」
「図書室に色々な本がある」
そういう問題ではない、と言いたかった。本を読めば講義が理解できるのか、
といえば否である。
「その、持ち物も本当に少なくって」
「管理人が買ってくる」
「いえ、その、手持ちも……」
「幹部用宿舎内では経費に入る。無料だから気にしないで何でも買えばいい」
だったら学院でも滅多に使えない、純金製の天秤でもいいのか、と言ってやり
たくなった。だがそれを肯定されたら、完全に逃げ場はなくなる。タビーはこら
え、再び歩き出したジーモンの後をついていく。
5階建ての幹部用宿舎だが、前世で言うエレベーターやエスカレーターの様な
ものはない。磨き込まれた立派な階段だけだ。タビーは体を鍛えていたから、無
様な姿を晒さなくて済んだが、ジーモンは昇りきったところで盛大に息をついて
いた。
「ったく、さっさと何かの魔道具つけろって」
偉い癖にケチだから困る、と文句を言ってから、ジーモンは直ぐ側にあった扉
をノックして開けた。
狭い部屋だ。ベッドやクローゼットも何も無い。あるのは机と椅子が2つ、床
や壁は剥き出しのままだ。
もう一つある扉を再びノックし、ジーモンは開ける。先程の部屋よりは広い。
だが、やはりベッド等はなかった。机といくつかの椅子のみ。
さらに奥にあった扉をノックして開く。そこでようやく部屋らしい部屋になっ
た。壁紙が貼られ、暖炉がある。重そうなテーブルと椅子、その下にある絨毯、
壁には小さな絵がかかっていた。
この部屋には扉が3つある。
立派な紋章のついた重厚な扉、小さな飾りがついた扉、そして何もない扉。
ジーモンは小さな飾りがついた扉を叩いた。中から応えがあって、彼は静かに
扉を開く。
カーテンをひいているせいか、部屋は薄暗かった。
夜明け前の様な、薄暗く青い部屋。その中央に置かれたベッドには、少女が横
たえられており、その傍らにはシュタイン公が立っている。
「来たか」
彼はベッドの上にいる少女に少しだけ視線を落としてから、二人を促す。
先程の部屋に戻ったところで、シュタイン公は口を開いた。
「タビー」
「は、はい」
「彼女が誰かわかっているな?」
「……はい」
王子派が必死で行方を追っているのはタビーも知っている。近衛の捜索ですら
見つからない、とも。
――――王女ルティナ。
王子ルーファンと併せて、継承候補者でもある。最も、今現在は王子派がかな
り有利だが。
「彼女についていろ。何があっても、離れることは許さない」
「あ、あの、そうは言っても……」
タビーとて人間だ。睡眠も必要だし、お手洗いにいったり、風呂を使ったりも
する。
戸惑った彼女にシュタイン公は頷き、どこから取り出したのか鍵を差し出した。
「この部屋は、外から鍵が掛けられる」
「え……」
「お前がどうしても側を離れるときは、鍵をかければいい」
「……」
「王女に逃げられない様に。王女が自分自身を害さぬ様に」
タビーはひやりとした。首筋に刃物を突きつけられた様な気分だ。
王女は自害する可能性があるのか、それを自分が阻止できるのか。
「それほど待たず、王女は目が醒めるだろう」
意識不明になる様な怪我はない。緊張が解けて失神したのだろう、と彼は続け
た。
「この部屋から出さない様に」
「いつまでですか」
「さてな」
シュタイン公は少しだけ顔を歪めると、部屋を出て行く。
ジーモンもそれを追って行き、部屋にはタビー一人となった。
「……」
小さな飾りのついた扉は王女がいる部屋。
立派な紋章がついてる部屋は、恐らくシュタイン公自身の部屋だろう。
タビーは何もついていない扉を開けた。
「わ……」
そこには広い湯船が置いてあった。前世でも見た事がない位だ。洗い場も広く
棚には様々な石鹸や小物類が置いてある。脱衣所との仕切りは特にないが、広い
から気にならない。椅子と大きな鏡もある。側にあった板の様なものを広げると
簡単な衝立になった。仕切りの代わりなのだろう。小さな台の上にはやはり何か
のオイルやブラシなどがあった。そのどれもが新品で、使った形跡がない。だが
湯船から床から何から何まできちんと手入れされ、清潔さを保っている。
「……着替えは、あるのかな」
王女は随分汚れていた。敢えて汚していた、のかもしれない。いずれにしても
あの服は着替えたいだろうし、お風呂で体を温めるのもいいだろう。
風呂のお湯が出る事を確認し、タビーは風呂場から出た。
飾りのついた扉を静かに開き、閉める。
壁際の中央に置かれたベッドは大きく、そこに沈む王女の体は小さい。王女が
目を覚ましていない事を確認して、静かにクローゼットを開ける。一目で上質と
判る布がふんだんに使われたドレスが目に入った。試しに1着取り出してみるが
王女のサイズではない。もっと小柄な、幼女向けの様だ。
このクローゼットにある服が全て同じ寸法だとしたら、王女が着られるものは
ない。念のためもう一着を取り出してみると、これは先程のものよりやや大きめ
だ。
「……全部違うのかな」
もう一着取り出してみる。今度は王女に合いそうな寸法だった。腰回りは少々
余裕があるかもしれない。丈は丁度良さそうだ。
さらにもう一着を広げると、これは大きい。タビーはよさそうなものだけをよ
けて、他の服を全て畳んだ。
他の棚も開けてみると、下着やコルセット、靴まで全て揃っている。そのどれ
もが幼女用から大人用まで揃えられていた。色も、全て青系統だ。
(シュタイン公が揃えたのかな)
だとしても、幼女用の服があるのが解せない。公に娘がいるのであれば、その
方専用だと思うが、それにしてもこれだけの寸法のものを全て揃えているのは
奇妙だった。
起きてから着替えてもらう服と下着を準備する。迷ったがコルセットはクロー
ゼットに戻した。タビーにはいまいち付け方が判らないのと、これ以上王女の腰
を締め付けたら折れそうで怖いのもある。
クローゼットから見えづらい様に設置されている棚には、茶器等が揃えられて
いた。だが火を沸かせる場所はない。どこからか運ぶのか。布巾なども全て整え
られている。いつ、この部屋の主がやってきてもいいように。
この部屋は、誰が住むのだろう。
タビーは部屋を見回した。厚手のカーテンを閉めているから、部屋の中は今も
薄暗い。寝具は全て白、天蓋から下がっている飾り布は薄く透けた青。
前世で見た、珊瑚礁の海を思い出す。様々な青を織り込んだ、不思議な色を。
女性であれば、それなりに快適に過ごせるものが揃っている。手慰み用か、不
思議な模様の入ったカードや、綺麗な絵が描かれた本が置かれていた。
誰かのために作られた部屋は、王女をすんなりと受け入れている。
王女のための部屋なのだろうか、だが、何故シュタイン公がこの場所に作った
のか。
ここは騎士団幹部専用の宿舎だ。タビーも入ったのは今日が初めてである。
許可のない者は入れないし、普通の宿舎と違って専任の侍従もいると聞いてい
た。だが、今その侍従の姿はない。
タビーは溜息をつき、考えるのをやめた。
思い出した様にエルトの袋を開き、自分の小物や着替えを取り出す。
幸い風呂場にもこの部屋にも、付き人用なのか小さい物入れがあった。そこを
拝借して、私物を置く。
「……洗濯とか、どうしよう」
練習着や下着の替えは数日分くらいある。だが、洗わなければあっという間に
なくなってしまう。とはいえ、あの風呂場で洗濯をするのは、些か躊躇いがあっ
た。
悩みつつ、茶器の入った棚を開ける。一番下に水差しがあり、水が注がれてい
た。少しだけコップに移し、飲めるか試してみる――――問題なさそうだ。
青い硝子が嵌めこまれた銀の盆に、水差しと新しいコップを置いた。王女が寝
ているベッドの側まで静かに運ぶ。サイドテーブルにそれを置き、王女の顔を覗
き込んだ。
息はしている。疲れているのだろう、痩けた頬が痛々しい。タビーが見た王女
の姿は肖像画と、学院に視察に来た時のみだ。その時よりも全体的に小さく見え
た。庇護欲をかきたてる、幼い何かの様にも見える。
窓際に置かれている、重厚な椅子を持ってきてタビーは座った。朝早くに王女
を助け、今は何時頃なのか。朝食を食べ損ねたが、不思議とお腹は減っていない。
むしろ、王女の側を離れたくないと思う。命令もあるが、王女の儚げな雰囲気
がそういう気持ちにさせるのだ。
薄暗く青い部屋に、王女とタビーのふたりきり。
世界から切り離された様な、どこか不可思議な空間に入り込んだ様な、そんな
気持ちが胸を満たした。




