09
書き置きを、残した。
タビーの家には、それほど私物はない。いくつかあった服は古着屋へ売り、か
わりに制服代わりのワンピースや寮で着る私服を買い込む。商業ギルドの代理か
らもらった餞別は特にいい品なので、必要最低限を使って服を仕立てた。
前世と同じく、この世界にも月がある。1ヶ月は29日、1年は13ヶ月。
冬の13月から新年が始まり、春の1月、2月と続いていく。王立学院は春の
2月に入学式を迎えるのだ。
「忘れ物はない、と」
まとめた荷物は思ったより多くなった。それでも最低限のものばかり。果物の
砂糖漬けはお菓子代わりに瓶ごと持ち込む事にして、それ以外は今朝の朝食で食
べきった。お腹周りがきつく感じるのは気のせいにしたいところだが。
書き置きは、簡潔にした。
『学院に通うので、家を出ます』
これだけで充分通じるだろう。会った事も無い食料の届け人が何時見るのかは
判らないが。
「お世話になりました」
綺麗に掃除をした家に頭を下げる。
3歳の頃からいたこの家を、タビーは今日、出て行くのだ。
学院への道を辿っていくと、同じ新入生らしい子達を見かけた。
誰もが大人と連れ立っている。親なのか親戚なのかは判らない。
その中を一人で歩く。
寂しい気持ちはなかった。むしろ、嬉しさがある。
ようやく、あの家を出られたのだ。足取りも軽くなる。
広大な敷地を持つ王立学院の設立は、王都が選定された頃というから歴史は長
い。当初は貴族向けの学院だったが、時を経て試験を通れば誰でも通える場所に
なった。貴族優先の入学制度は、昔の名残である。
とは言っても、親の立場や家名をさらっと全て忘れる事はできない。
学院にいる間は同期生であっても、卒業すればその差は歴然だ。それでも教官
達は極力区別をせず、貴族でも庶民でも同列に扱おうとしている。
今日からは、そんな王立学院がタビーの居場所になるのだ。
正門から入り、歴史が刻まれた建物を見上げる。校舎というには少々派手なつ
くりだが、それすらも気にならない。
「新入生の方は、こちらへどうぞ」
在校生が新入生達に声をかける。貴族も多いせいか、入り口には馬車の行列が
出来ていた。並んでいる途中で降りる、という選択肢は貴族に無いらしい。
1台の馬車が生徒と付き人を下ろし、更に下男が荷物を下ろして運び込むまで、
その馬車は入り口に停止したままだ。その後ようやく移動して、もう少し先にあ
る広い場所で待機をしている。
その横をタビーは通り抜け、在校生の案内に従って寮へと向かう。
曲線を描く寮は4棟あった。1学年が150人程度、更に貴族とそれ以外では
部屋も違うのだろう。想像していた以上に大きく迷子になりそうな程だ。
寮の外側には芝生が広がり、校舎と少し離れている。暫くは早めに登校した方
が良さそうだ。
「新入生の方は、部屋の割り振りを確認してください」
上級生の声に従ってそちらへ向かう。移動ができる大きな掲示板には、寮の名
前と新入生の名前が書いてある。
やけに長い名前や仰々しい家名が並ぶのは、おそらく貴族達なのだろう。事前
に聞いていた通り、貴族はそれ以外の生徒と寮そのものが違う様だ。
「部屋割りを確認したら、寮へ移動してください」
「ご家族の方の付き添いはここまででお願いします」
新入生の数の割りに混雑しているのは、家族と来ているからなのだろう。あち
らこちらで子を心配する親の声や、笑い声が聞こえる。
それは、タビーが今も前も持たなかったものだ。
気を取り直して、掲示板を見た。
予想したより家名のない者は少ない。騎士や商人達も家名を持つのが普通だか
ら、タビーの様な者の方が少ないのだろう。
ひとつ、ひとつ掲示版に書いてある名前を見て行く。
「……あれ?」
もう一度掲示を見直した。
もう一度、今度は前の方に行って。
「な、なんで……?」
もう一度、掲示板を隅から隅まで見る。
「嘘……」
合格通知は本物だった。
商業ギルドに通知も来たのだから、間違いとは考えにくい。
それに、王立学院は全寮制だ。
もう一度、もう一度。
だが。
――――何度見ても、掲示板にタビーの名前は無かった。