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「お元気そうで」
タビーは精一杯の嫌味をこめて告げたが、フリッツは薄ら笑いを返してきた。
「放って置いてごめんね」
「謝る所が違うんじゃ?」
夜中にいきなり起こされて連れて行かれたのだ。タビーにとっては脅迫まがい
の言動もおまけで。
「そう?」
厩舎を出て、馬場の柵に寄りかかったフリッツは、以前見た時の隈もない。
「でも君がいてくれて良かったよ」
「何が?」
「クノール卿の家族を保護できた」
「……先輩」
タビーはまっすぐと彼を見る。
「何を、どこまでご存知なんですか?」
「僕が調べた訳じゃないよ」
「それはどうでもいいです」
タビーは静かに暮らしてきた。特待生になったから、目立たずに、とはいかな
かったが、なるべく誰とも深く関わらずに。
「僕が知ってるのは、君がタビタ・ドルンだってこと」
フリッツは指を折った。いつか、みたことのある仕草。
「ドルンという姓は珍しくはないけど、貴族では一家だけしかない」
二本目の指が折られる。
「ディヴァイン公傘下に、ドルン伯爵家があるということ」
タビーは目を閉じた。
「でも、わからない事もある。ドルン伯に娘がいるなんて聞いたことが無い」
「……」
「ドルン伯は愛妻家で、愛人も持っていない」
「……」
「タビー、君は誰なの?」
フリッツの言葉に、タビーは目を開く。
「タビーよ」
タビタ・ドルンではない。タビーだ。姓も持たない、ちっぽけなタビー。
もがき、あがき、諦められない、そんな小さな存在でいい。
「私はタビー」
言い切った彼女は、フリッツを睨め付ける。
「タビタじゃない」
どのくらい見つめ合っていただろう。短い時間の様な気もした。
「それが、君の答えなんだね」
フリッツはにんまりと笑った。いつもの笑みだ。
「そうでなきゃ、僕も困るんだけど」
続けた言葉の真意は判らない。
「じゃ、今どんな感じか説明するよ」
フリッツは少し空を見上げてから、口を開く。
「現段階で、近衛からの出頭命令で拘束されてる騎士団幹部は4人」
「4人も?」
「取りあえず、危害は加えられていない様だね。閣下の孤立を狙ってるんだと思
う」
「他にも幹部の人っているんじゃ……」
「いるけど、幹部の中心格を押さえられてるんだよね」
タビーは相槌をうち、先を促す。
「王子派は戒厳令を出したいけど出せない。宰相が抵抗している。その宰相も中
立で、王子の味方じゃないし」
「でも、王女の味方でもない?」
「その通り。宰相は経済活動が止まってる今を危惧している。一ヶ月くらいなら
どうにか持ちこたえると思うけど、それ以上は危険」
「具体的には?」
「王都から民が逃げ出して流民になる。経済が動かないから、当然物も動かない。
食料とかは王宮の備蓄を開放すればいいけど、陛下が倒れてるなら代行者の許可
がいる」
「代行者は、王子なの?」
「それが決まっていない。後継者問題で決めていなかった所で陛下が倒れたから
ね」
全てが最悪の状況だ。倒れた国王には悪いが、施政者として先の事を考えるべ
きだった。
「王子には近衛を統括しているディヴァイン公がついている。けど、軍の規模と
して考えたら、騎士団には及ばない。王子派は騎士団を恐れているんだ」
だからこそ、意味の無い出頭命令と拘束なのだろう。
「シュタイン公は王子派の動きを眺めてる、って所だね。幹部が拘束されている
けど、抗議をすることもない」
「王子が継承者になるには?」
「手っ取り早いのは、戒厳令を出して国王不在の御前会議で自分を後継者として
認めさせる、ってとこかな。当然、御前会議にはシュタイン公もノルマン公も呼
ばない」
「王位の簒奪、ですか」
「正確に言えば簒奪ではないな。王子は継承権を持っているし、その順位も高い」
「……国王は、どうなんでしょう」
「王妃と宰相、侍医しか近寄らせないっていうからね。生きてるのかどうなのか」
「……」
どこもかしこもぐちゃぐちゃだ。王子派は有利なのに決定打が打てず、王女は
行方不明、騎士団の幹部は拘束されている。
「取りあえず、幹部の家族は全員保護されているし、騎士団員の家族もあまり表
に出ない様だね」
「王子派の理性に感謝したいですね」
「あるならね」
フリッツはせせら笑う。
「近衛がどう考えてるか判らないけど、騎士団は幹部が拘束された程度じゃ動じ
ない」
「はぁ」
「元々、騎士団はシュタイン公の私軍だった、って知ってる?」
「は?」
「随分前に国軍になったけどね。その前は公の私軍で、魔獣退治や依頼のあった
街を守る私軍だったんだ」
フリッツは指をくるりと回す。
「今は副将軍も参謀も何人もいるけどね。いなくても回せるだけの器量を持って
る訳だ」
「代々ですか?」
「騎士団程度を回しきれない人間が、シュタイン公を名乗れる訳がない」
「でも、今は国軍ですよね?」
「そう。だから逆に動きづらい訳だ。このまま近衛と睨みあっても埒があかない
し、かといってやり合うには大義がない」
「大義……王女ということですか?」
「まぁ、王子でいいならさっさと王子を継承者にしてるし、王子派になるはず。
未だに中立でも王子派でもないなら、残るは王女派しかないよ」
「公は……王女を支持されているんですか」
「さて、そこが微妙な所だ」
継承者として推したい王女の行方が明らかではない。このまま近衛との睨みあ
いが続けば、最悪内戦状態になる、とフリッツは続けた。
「内戦……」
「だから商人やら民やらが逃げてる。残ってるのは戦争でも稼げる商人か、そこ
で一発当てたい輩だね」
「内戦になったら」
「騎士団は圧倒的に有利だ。だが、王子派が王宮に立てこもり、その間に王位継
承をされてしまえば今度は騎士団が逆賊になる」
王子派と対立するならば、擁立する者が必要だ。つまり、王女ルティナ。
「王女の居場所は?」
「不明って事になってるね」
「本当のところは?」
「うーん、逃げられない様になってるんだけどさ」
フリッツは首を傾げる。
「王都から抜けられる道は、全部破壊したんだよね」
「破壊……って、まさか!」
彼はにんまりと笑う。フリッツがタビーを連れ出した日、あちらこちらで爆発
が起こっていた。
「……だましたんですか、私を」
あの夜、確かに彼は告げたのだ。
『僕と一緒に来るか、ここで大怪我するのを待つか』
『来てくれるなら、学院には手を出さない様にする』
そして、タビーでありタビーでない名前を呼び。
「だましてはいない。君が誤解しただけじゃないか」
フリッツは目を眇める。
「誤解って……」
言うに事欠いて、と怒鳴りつけたくなった。あんな言い方をされれば誰も断れ
ない。
「……先輩、私に何をして欲しいんですか?」
この問いも、何度目になるだろう。一方的に押しつけられるだけで、タビーは
自分がどの立場にいるのかも判らなくなってきている。
「そうだなぁ」
フリッツは寄りかかっていた柵から体を起こし、タビーに近づいてきた。
下がろうとしたが、体が動かない。
「――――……」
彼が、囁いた。
タビーは、目を見開く。
見上げたフリッツの顔が、知らない男の様に見えた。
■
小さく包まれた薬包紙がある。
古びて、少し色あせたそれは、長い間、彼しか開けられない引き出しに入れら
れていた。
あれから何年過ぎたのだろうか、彼には判らない。あの瞬間から彼の時間は止
まったも同然だ。
だから、これをどうしたらいいのかも、正直判らない。
静かなノックの音がして、彼はその薬包紙を引き出しにしまった。
「誰だ」
「フランクです」
名乗りに応じると、扉が開いた。髪の毛を刈り込んだ男が入ってくる。
「ヘスが拘束されました」
「……」
男は溜息をついた。拘束されるのは誰でも良かったが、よりによってヘスとは。
現実は嫌でも選択肢を突きつけてくる。
「閣下」
「……王子は?」
「相変わらずの様です。宰相閣下が拒否しているお陰で、相変わらず戒厳令は無
理そうですが」
淡々と告げる来訪者に、男は指先を組む。
「時間は、それほど残っていないな」
「……」
フランクと呼ばれた男は何も言わない。
「時が来た、ということなのか」
男は、眉間に皺を寄せて嘆息する。
「閣下」
「……判っている」
時間はもうない。賽は投げられた。
手持ちの駒のうち4つは出頭命令で拘束されている。これ以上は待てない。
どちらに転ぶのか、否、もう転がり落ちる先は決まっている。
後は男がどこで判断するか、だけだ。だが、残された時間はそれ程多くない。
長いため息をつき、男は立ち上がった。




