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タビーが目指したのは、騎士団本部ではなく商業ギルドである。
マルグリットと子爵夫人はそれほど目立たないローブを身につけていた。家の
執事には2人とも領地に帰ったことにする様言い含め、彼女達は裏門から子爵家
を出たのである。
「こんにちは」
商業ギルドには人気が全く無い。外出禁止令は解かれたとはいえ、王都内の騒
動を嫌って人々は避難を始めている。機に聡い商人は言わずもがな。
「やぁ、タビー」
フードを取った彼女に、退屈そうだった受付の若い男は微笑む。
「籠を3つに、その中にいれる服少々」
タビーは銀貨1枚を男の前に置く。
「直ぐに用意しよう」
いそいそと奥に引いた男を見送り、タビーは溜息をついた。
このまま逃げても大丈夫だとは思うが、騎士団本部は王子派に見張られている
筈だ。中に入るまでは安心できない。
タビーはエルトの袋をちらりと覗いた。手持ちはそこそこだが、賄賂として使
う事を考えれば少ない位だ。近衛は端金など受け取らないだろうが、王子派が傭
兵やならず者を雇っている場合は有効である。
やがて、奥から籠を抱えた男がやってきた。大きい籠が1つと小さい籠が1つ。
中には丸められた服や小物類が入っている。
「毎度」
銀貨をピンと指先で弾いた男は笑う。商業ギルドは王子派でも王女派でもない。
同じ事を王子派の誰かが頼んでも同じ様にするだろう、それなりの金額で。
小さな籠の中の布を少し減らし、小物類をまとめる。一番軽いものを子爵夫人
に、次に軽いものをマルグリットに、一番大きく嵩張るものをタビーが受け持つ。
杖は目立つので、籠に通し肩で支える様にする。
「ありがとう」
「うん、気をつけて。また来てね」
男は屈託の無い笑みを浮かべていた。タビー以外は顔を見せていないし、例え
見せても彼は口を開かないだろう。商売には信用が重要だ。
「歩けますか?」
タビーは籠を持つ二人を振り向く。
「大丈夫です」
「私も」
小さい籠を抱えている彼女達は、だが思ったよりもしっかりと歩いていた。
「できるだけ、短い距離で行きます」
タビーは籠に通した杖に手をかけながら、慎重に歩く。出発前にマルグリット
の持つ地図を頭に叩き込んだ。商業ギルドから騎士団本部までの道は覚えこんで
いる。
街は人の数も少ない。皆が俯き、声を立てることすら恐れている様だった。
パン屋はいつも通りいい匂いをさせているが、景気の良い呼び声はないし、野
菜や果物を扱う店は閉まっている。昼食時には混み合う屋台も出ていない。
騎士団は通常の警邏はしている様だったが、それも数が少ない様に思えた。や
はり騎士団側、シュタイン公が身の回りを固めていると考えるべきだろう。
騎士団本部まで、まだ時間がかかる。油断はできない。
タビーは後ろの二人を気遣いつつ、ゆっくりと歩き続けた。
■
貴族の政略結婚はどこの国でも当たり前の様にある。
しかし、ザシャが伯爵家の次男という立場だった頃に持ち上がった縁談は、お
いそれと受け入れられるものではなかった。
ダーフィトの王女。
伯爵家とはいえノルドでは王家と並び立つ程の長い歴史を持つバーデン家。
その次男であるザシャに持ち込まれた縁談の相手は、バーデン家であっても躊
躇する様な者だった。
王女を降嫁させるのであれば、公・侯爵家が妥当だ。他国に嫁ぐのであれば王
族に迎え入れられるべき血筋である。国交正常化の一環とはいえ、王女とザシャ
の婚約ではノルドがダーフィトを軽んじていると思われかねない。王族でも継嗣
でもないザシャが何故選ばれたのか、それは今でもわからない。
ザシャが仮の婚約を結んだ王女ルティナとは、学院視察の時に初めて会った。
じっとこちらを見る瞳も、その顔立ちもまるで人形の様で、どこか作り物めい
て見えたほど。
その王女が行方不明だという。
学院では爆発騒ぎが起き、王子が巻き込まれたとも聞いている。
ザシャは彼に接触してきた不審者――――ノルドの縁戚の使いが不慮の死を遂
げてから騎士団に保護された為、詳細は判らない。食事や散歩の時に付き添う騎
士が世間話ということで教えてくれる程度の情報だ。
王女とザシャの婚約はあくまで仮であり、両国間でも内々の話とされていた。
ノルドではザシャを分家させ、王族の養子にした後、一代限りの侯爵位を持た
せる予定だったという。だが、その詳細を聞く前に父母や兄は横死し、辛うじて
逃れたザシャは伯爵位を継ぐことになった。婚約の話は当然白紙に戻っている。
それを王女も知っているだろうに、何故か視察の時にわざわざザシャを見つめ
たのだ。その意図も計り知れない。
騎士団は、ザシャと王女の婚約話を把握していない様だった。この騎士団を統
括するシュタイン公であれば知っているかもしれないが、白紙に戻った今、敢え
て持ち出す理由はない。
なのに、なぜここまでザシャを保護するのか。
ザシャに接触していた者が不審死を遂げたとはいえ、それだけでここまで過剰
に守られる謂われはない。学院の噂から逃れられた事はよかったが、騎士団の思
惑が見えない事が気になった。
彼は王女と言葉を交わした事すらないのだ。それに保護されたのは王女が失踪
する前である。保護行為が王女に関係があるとは思えなかった。
王女の行く先を、王子や近衛は必死になって捜していると聞く。どこに匿われ
ていようと、そろそろ見つかっていなければおかしい。王都外に出たとしても、
どこかに隠れる必要がある。王家の持つ隠れ家や離宮は真っ先に捜索されている
筈だ。
ここまで長い間見つからないとすれば、最悪の可能性を考えるしか無い。だと
しても、遺体すら見つからないという事は考えられなかった。
椅子に座ったまま、ザシャは溜息をつく。
(王子派にとって、王女の失踪は好機)
対立する相手が自ら消えたのだ。後ろ暗い所が無ければ、王子派は一気に有利
になる。王子がどの様な国作りを考えているのか判断する材料はないが、国力を
考えれば余程の暴君でない限り問題はなさそうだ。戦争の可能性があるノルドと
は海を挟んでおり、実際にそれが起こったとしても小競り合い程度だろう。
(そもそも、王女派はいるのか?)
宰相であるノルマン公は中立、騎士団を統括するシュタイン公は立場を明確に
していない。近衛を統括するディヴァイン公は王子派だ。
貴族達で王女派と公言している者はいないと聞いている。まさかそれを苦にし
て王女が失踪した訳ではないと思いたい。
(あと一つ、何か決定的なことがあれば……)
王位は王子であるルーファンのものになる。それが自分にどの様な影響を与え
るのか、今のところはわからない。ノルド出身者の排斥や行きすぎた国粋主義に
ならないことを祈るのみだ。
ザシャは、王女の瞳を思い出す。硝子の様に感情を表に出さないそれを。
逃げられるのであれば、逃げた方がいい。女王として生きていくには、彼女は
あまりにも繊細すぎる。
国のために何もかも犠牲にする、そんな危うさが王女にはあった。
――――王という名に捧げられる、贄だ。
ザシャは身を震わせる。己の考えを振り払うかの様に、首を振り、静かに息を
吐いた。




