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クノール家に戻ろうとしたタビーは、その近くで立ち止まった。
門前に人だかりがある。門番と言い争っている男性は近衛騎士隊の制服を着て
いた。その後ろには粗末な馬車がある。
反射的に身を翻した。早足で離れ、裏へ回る。タビーが予測した通り裏門があっ
たが、鎖が巻き付けられていた。以前からなのか、近衛が行ったのかは判らない。
壁を見上げる。それなりの高さがあり、一番上には鉄製の飾りがついていた。
門は鈍い銀色で、幾何学模様の様なものが描かれている。
タビーは迷わなかった。
杖を持ったまま、門へ足を掛ける。巻き付けられた鎖がいい足場になった。
腕に力を込め、体を引き上げていく。汗が浮かんだが、気にせず門に昇った。
尖った門のてっぺんをまたぎ、飛び降りる。その瞬間に魔術を発動させれば、
着地は問題ない。
地面に足をついたタビーは走り出した。勝手口らしきところをノックする。
人の気配はしたが、扉は開かれない。
「開けてください、タビーです」
何度か呼びかけているうちに、ドアが少しだけ開いた。
「お客様……!」
下働きらしい女性が慌ててタビーを中に招き入れる。その後ろでドアが直ぐに
閉められた。
「何があったんですか?」
「わ、私はよくわかりません。ですが先程から……」
門の騒ぎは屋敷まで聞こえている様だ。
「マリー様は?」
「お部屋にいらっしゃるのではないかと……」
タビーは駆けだした。厨房らしきところを走り抜け、見覚えのある階段を駆け
上る。
南側に面した奥の部屋がマルグリットの部屋だ。
「マリー様!」
ノックももどかしく部屋に入った。
「タビー様!」
青ざめたマリーと年配の婦人、そして子爵がそこにいる。
「し、失礼します」
礼を欠いた己の行動に、タビーは顔を赤くして頭をさげた。
「丁度良かった、タビー」
子爵はそんな彼女を見て微笑む。あれほどの騒ぎが起こっているというのに、
普段と変わらない。
「そろそろ食い止めるのも難しくなってきたところだ」
「お父様!」
悲鳴の様な声を上げるマルグリットに、子爵は苦笑する。
「大丈夫、出頭命令が出ているだけだ」
「いいえ、いいえ!」
駄々をこねる様に首を振る彼女の手を、タビーは軽く握った。
「マリー様」
「タビー、申し訳ないが頼めるかね?」
「はい」
淀みなく答えた彼女に子爵は再び微笑む。
「これを」
彼は制服に縫い付けてある徽章を外し、タビーの手に落とした。
「これをみせれば、騎士団は君や妻、娘を保護してくれる筈だ」
冷たい、小さな金属。その重みを確かめながら、彼女は躊躇いがちに問いかけ
る。
「……大丈夫なのですか」
「直ぐに殺されはしないよ」
「お父様!」
真っ青になったマルグリットは子爵に縋り付く。
「母様を頼むよ、マリー」
子爵はそんな娘の髪を愛おしげに撫で、そしてゆっくりと体を引きはがす。
「……ご武運を」
子爵夫人は顔を青ざめさせつつ、静かに呟いた。
「後を頼む」
頷いた婦人に口吻を落とすと、子爵は部屋を出て行く。追いかけようとしたマ
ルグリットを、タビーが引き留めた。
「タビー様!」
「子爵様が時間を稼いでいる間に、逃げましょう」
「そんな……!」
だだをこねようとしたマルグリットを、子爵夫人が制する。
「マリー、おやめなさい」
「お母様!」
「タビーさん……どうか、お願いいたします」
子爵夫人が頭を下げた。タビーは慌ててそれを止める。
「どうか、顔を上げてください。できることは、します」
「お願いいたします」
タビーは窓に近寄って耳をそばだてる。まだ門番と近衛は言い争っている様だ。
この間を逃してはならない。
「奥方様、ローブの様な……なにか、羽織るものはおもちですか」
「部屋にあります。取ってきましょう」
「……申し訳ありませんが、貴重品は1つだけに」
「わかりました」
婦人を見送ると、タビーはマルグリットを振り返った。
「マリー様。子爵様の為にも、今は逃げなければ」
「お父様の……ため?」
「万が一、奥方様やマリー様が敵方に囚われてしまえば、子爵様は非常に厳しい
決断をしなければなりません」
「!」
タビーの言いたいことを察したのだろう。マルグリットはこくりと頷いた。
「ローブはありますか?」
「タビー様に、貸して頂いたものが……」
「ああ、その方がいいです」
綺麗なローブなど相手に見つけてくれ、と言っている様なものだ。
「貴重品は1つだけで」
「貴重品……」
部屋を見回したマルグリットは、棚に近寄ると地図を手に取った。タビーに見
せてくれたあの地図だ。
「この服では駄目ね……制服の方がいいかしら」
「そうですね」
頷いたマルグリットはタビーに地図を預けると、制服らしきものを持って寝室
へ移動した。
「……」
マルグリットの部屋から門は見えづらいが、声は聞こえる。未だに門番は近衛
を通そうとしない。
(なぜ、子爵様を出頭させるんだろう……?)
国王は倒れ、王女は行方不明、原因の判らない王都での爆発、領地の治安維持
を名目にした貴族への帰還命令。
子爵家に滞在しているここ数日で、情勢はめまぐるしく変わっている。
王子ルーファンは自らが後継者となりたい。
最大の障害である王女ルティナの捜索をしつつ、近衛を中心とした王子派をま
とめあげている。態勢は、王子が有利だ。
ここに至って、王都に残るクノール子爵を拘束するには理由があるのだろう。
(……シュタイン公)
騎士団の将軍にして、三公の一人。巨大な騎士団は一人で御する事が難しく、
複数の副将軍や参謀格が揃っていると聞いた。クノール子爵もその一人だ。
(公からの引きはがし、か)
シュタイン公を補佐する面々を引き離し、ばらばらにする。長期間でなくとも
いい。王子が王になるまでの間だけ、動けなくなれば良い。
「お待たせしました」
声をかけられて、顔を上げる。
マルグリットが寝室から出て来た。学園の制服がわりである紺のワンピースに
ブラウス、着古したローブはタビーが以前貸したものだ。足下は編み上げのブー
ツで、踵も低い。逃げるには丁度良い服装だ。
タビーは頷き、静かに扉を開けた。




