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タビーと騎士の犬  作者: 弾正
王女と継承
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 ザシャ・バーデンは掌に載せた小さな紋章を見つめた。

 装身具の様に見えるが、違う。これはバーデン家当主だけが持つことを許され

たものだ。

 今は紋章だが、伯爵家を正式に継げばこの紋章が体の何処かに刻印される。そ

れは不思議な魔術で、仕組みについては誰もしらない。ただ、当主になれば紋章

は手元になくなり、当主が役目を終えれば紋章は形となって次代へと渡される。


 ザシャは既に伯爵位を名乗ることを許されていた。だが、この紋章を体に刻み

込む事を、彼はどこかで躊躇している。

 

 ここはダーフィトだ。ザシャの故郷・ノルドではない。ノルドの爵位はこの国

では敬意を払われる程度のもの。だが、ノルドにもザシャのものはなにもない。

 

 領地も、民も、財も。


 彼に残されたのは、僅かな宝石だった。それも既に半分以上がない。ノルドか

ら逃げ、留学の名目でダーフィトに来る段階で殆どを使ってしまった。


 そのダーフィトまで、故国の手は延びている。


 バーデン伯爵を名乗っても、刻印は体に成されず、紋章は形を成してある。ど

れだけ血が繋がっているか判らない縁戚が、それを欲しがっていた。何も持たな

い伯爵位でも、使い道はあるらしい。


「……」


 不思議なことに、彼は軟禁されてから心の安寧を得ていた。ここにいれば、少

なくとも煩わしい事から逃れられる。尋問される訳でもなく、暴行を加えられる

こともない。寝ることにすら怯え、常に張り詰めていなければならない日々。こ

こにいれば、それとは無縁だ。

 騎士団には様々な人がおり、中にはノルド出身の者もいるという。だがザシャ

の側にそういう者は近づけられない。気を抜きすぎているかもしれないが、彼は

もう疲れていたのだ。生きている事を倦むくらいに。


 窓の外は、騎士団の持つ広大な馬場だ。終日訓練が行われている。馬に乗って

戦う方法、競り駆ける方法、裸馬を捕まえたり、飛び乗りをしたり。

 ノルドでは見られなかった騎馬訓練は、ザシャの心を和ませる。


 窓は開けられず、硝子越しにしか見る事ができなかったとしても。



 国王が倒れて数日、戒厳令は、未だ発令されていない。


 その代わり、王都にいる貴族達はそれぞれの領地に一旦戻り、領内の治安維持

に努める様、国王代理である王子ルーファンから通達が出た。ダーフィトの貴族

は広さに差はあれど、必ず領地を持っている。途轍もない広さの大陸だ、王都か

ら領地までは10日以上かかる貴族もいた。


 きな臭い王都を嫌い、妻や子らと共に領地へ戻る者、取り急ぎ身内を領地に戻

し、体制が決するまでは戻らない者、様々だ。


 王都では外出禁止令が解かれたが、民はどこか普段と違う空気を感じてあまり

外に出ない。王都という名が不似合いなほど、活気のない場所になっている。


 タビーは、その中を歩いていた。

 制服ではなく、柔らかい生地で出来たズボンと腰を全て覆う上着。その上着の

内側には、マルグリットが神殿の護符を縫い付けてくれた。

 長剣は持ち歩きになれていないから、腰のベルトには短剣を2つとエルトの袋、

杖は手放さない。この上にローブと手袋をつけた。


『協力……私には、できないことです』


 クノール家当主との会話が蘇る。

『本当に?』

『はい』


 タビーは頷いた。


 王子の王位簒奪。

 実力行使を伴う、シュタイン公の排除。

 安全のために軟禁されたままのザシャ。

 行方の知れない王女。


 どれを取ってもタビーが片付けられるものではない。政治学基礎講座を取った

としても、絶対に理解出来ないと思う。


 王都では貴族達を領地に戻す動きがあった。唯一開けられた南門には貴族の馬

車が列を成し、王都から避難しようとする民は北門から出される。貴族の様に護

衛を持たない民は、ある程度の塊になって移動する様だった。王都の活気は益々

薄れている。いつもの市場を通りかかったが、半数以上が店を閉めていた。今の

時間なら、買い出しにくる人も多いというのに。


「……」


 商業ギルドに顔を出してみようか、と思いかけ、止めた。ギルドは開いている

だろうが、今の状況では別の方向で忙しいだろう。

 貴族だけではなく民も避難する、ということは、王都の情勢が厳しくなってい

ることを誰もが知っている、という意味だ。


 タビーは足を止めた。

 

 子爵には、家に滞在して欲しいと懇願されている。ある程度の状況を理解した

タビーを学院に戻したくないのだろう。その点については彼女も納得している。

 だからと言って拘束や軟禁された訳でもなく、外出したいという彼女の要望も

叶えられた。護衛という名の監視も付けられていない。そう言えば、学院を出て

から騎士団の監視も解けていた。騎士団でそれなりの地位をもつクノール家にい

るからか。


 どこに行けばいいのだろう。


 静かな、だがどこか歪んだ雰囲気の王都。

 タビーは王都以外を知らない。地図は見たことがある、地理的な情報も知って

いる。だがそれは全て本や知識上のことだ。

 ギルドと自宅と学院。

 今までのタビーには、それだけだった。


 ふと思い出して、学院に入る前に住んでいた家へ向かう。

 立地条件も建物そのものも申し分なかった。だが、タビーの家ではない。


 いくつもの角を曲がり、見慣れた道を辿る。

 あの頃は、早く10歳になりたかった。学院に合格して、寮で暮らすことがタ

ビーの望みのすべてで。


 記憶にある路地を曲がったその先に、タビーが住んでいた家はあった。


「……」


 だが、今、そこには何も無い。あの小さな家は跡形もなくなっている。

 よく見れば、両隣の家も無くなっており、3軒分の敷地は柵に囲われていた。

 新しい家でも建てるのだろう。


 形はなくなっても、家を思い出す事はできる。

 タビーの家でなくとも、あの家で何年も過ごした。たった一人で。

 パンと幾ばくかの食べ物は毎日運ばれてきたから、飢えはしなかった。

 その代わり、新年でも祭りの時でも特に代わり映えのしないもので。


 熱が出てもお腹が痛くても、タビーは布団の中で蹲っているだけだった。

 彼女が家にいても、食事を持ってくる誰かは気に掛けることはなく。

 泣きながら熱に喘ぎ、痛みが行きすぎるのを待つだけで。


「で、どうするか決めたの?」

 突然かけられた声に、タビーはのろのろと振り向く。

「先輩」

 隈がますます酷くなって見えるフリッツは、壁に寄りかかっていた。

「……どこまで、知ってるんですか」

 途方に暮れた頃に現れる。いつもそうだ。不気味な程、彼は人を観察している。

「君の家がここにあったこと」

 彼は指を折る。

「君が、子爵の申し出を断ったこと」

 淡々と数え。

「君は家の事情で外出中、と騎士団から学院に報告済なこと」

「完璧じゃないですか」

 タビーは自嘲する。自分が拒否しても、外堀は埋められていく。結局、タビー

が選べることなど一つもない。歯車の様に、ぴたりと嵌めこまれているのだ。

「でも、君の意志はそこにはないよね」

「先輩は、私に何をして欲しいんですか」

 タビーの問いに、フリッツはにんまりと笑う。隈があるせいか、いつもよりも

凄味があった。

「そうだね、近い将来には、ラーラと僕の結婚式に出て欲しいかな」

「本気ですか」

「本気も何も、そうなるから。祝辞を楽しみにしているよ」

 馬鹿馬鹿しい。口に出しそうなところを、タビーは抑えた。

「……何を考えているんですかね」

「ん?」

「大人たちは。自分たちで好き勝手にすればいいのに」

「さてね」

 フリッツは腕を組む。

「僕たちの様な子どもに、大人は期待しすぎだと思うよ」

「……」

「貴族達はみんな子どもみたいだよね。あれが欲しい、これが欲しい、それは嫌

だ、って。だから、君みたいな子は苦労するんだけど」

「どういう意味ですか」

「タビーは大人でしょ」


 再びにんまりと笑ったフリッツに、タビーは乾いた笑みを返した。


「なんだか、考えるのが馬鹿馬鹿しくなってきました」

「奇遇だね、僕もだよ」

「で、先輩はどうしたいんですか?」

 側に歩み寄って、タビーは問う。

「うーん、僕はどっちがどっちでもいいんだよね。別に僕の生き方に変わりはな

いし」

 王子でも王女でも、どちらが王位を継ごうとも変わらない。

「でもまぁ、家の事を考えたらどっちにするとか言ってられないんだけど」

「先輩でも家のことなんて、考えるんですか」

 いつも飄々として、貴族としての体面など気にしていないのがフリッツだと思っ

たが。

「そりゃラーラと幸せになりたいから。爵位はなくても別にいいんだけど、彼女

が欲しいものを欲しい時にあげられる立場ってのは重要かなって」

「……」

 タビーが知るラーラはそんな人物ではないが、フリッツとしては彼女の望みな

ら何でも叶えたいのだろう。好きだの愛だの情だのを突き抜けている。


 タビーは空を見上げた。今の気持ちなら曇天が相応しい。

 だけど、今日の空は嫌になるくらい透き通っている。


 この件に関わって、良いことなど一つもないだろう。知りたくもない事を知り、

下手をすれば命に関わる。騎士団の守りがどこまで通用するか、タビーにも判ら

ない。自分の気持ちもぐちゃぐちゃで、冷静さを欠いている。この状況で決める

のは全くもって狂気の沙汰だ。


 空の色を目に焼き付けて、タビーは視線を戻す。


「行ってきます、先輩」


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― 新着の感想 ―
[一言] ここぞでフリッツさん出てきますね。 まさかのフリッツエンドなんでしょか。 続きに期待!
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