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タビーと騎士の犬  作者: 弾正
王女と継承
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 連れて行かれたのは、見たことの無い屋敷だった。

 フリッツはそこの侍女にタビーを預けると、どこかに行ってしまう。何をしろ

ともするなとも言わずに。

「こちらでございます」

 制服に予備のローブを羽織ったタビーは、侍女についていく。調度品は派手で

はないが趣味のよさが伝わってくる。ありがちな巨大な花瓶も壺もないが、とこ

ろどころにかけられた絵が美しかった。


「お嬢様」


 侍女は飴色になった扉を叩く。中から応えがあり、彼女は静かに扉を開けた。


「失礼いたします。お客様をお連れしました」

「ありがとう、さがっていいわ」


 窓際に佇んだ女性は、髪を緩やかに結い上げている。ほっそりとした体を薄い

水色のドレスで覆い、胸の前で手を組んでいた。

「失礼いたします」

 侍女が再び礼をし、部屋を出て行く。

「さぁ、どうぞ。お座りになって」

 窓際に設えてあるテーブルと椅子を示され、タビーは恐る恐る近寄った。

 卓上にはお茶が入っているであろうポットと、華奢なカップがある。

「……失礼します」

 一言断り、椅子に腰掛ける。肘置には繊細な彫刻が施されていた。

 驚いた事に、部屋の主は手ずからお茶を入れ始める。慣れているのか、その手

つきまで美しい。

(……手?)

 何か思い出しそうになったタビーの前に、そうっとカップが置かれた。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 女性はタビーの対面にある椅子に腰掛ける。

「まずはお礼を……助けてくださって、ありがとうございました」

 椅子に座りつつ優雅に礼の姿勢を取る女性に、タビーは目を丸くした。

「助けて……って、あれ?」

 言われて見れば、見覚えがある様な気がする。女性は笑って、手を差し出した。

「傷は、すっかり消えましたのよ?」

「ああ、あの時の……」

 学院内で爆発が起こった時、助けた生徒だ。その美しい手のどこにも傷跡はな

い。

「タビー様に助けていただいたお陰ですわ」

「いえ、あ、あの、様などつけずに……」

「いいえ、タビー様は私の命の恩人ですもの」

「いやぁ……」

 照れくさいというより戸惑う。それ程感謝される様なことをした訳でもない。

「後で聞きました、タビー様が私を救護室まで運んでくれたと」

 彼女は掌を胸に当てる。

「私はあの時、ただただ取り乱すばかりで……思い返すと恥ずかしくなります」

「いえ、あんな事が起きたのですから」

 恐怖に泣き喚いてもいい位だ。だが彼女自身は母を呼びながら失神してしまっ

た自分を恥じている様だった。

「父にも母にも叱られてしまいました」

 悄げた様な表情も美しい。どこからどうみても立派な淑女だ。

「それに、私は最上級生ですもの。本来ならば、私こそがしっかりしなければい

けない時でした」

「もう忘れましょう」

 タビーは静かに告げる。長く覚えていてもいいことはない。教養課程の特待生、

しかも最上級生ならば卒業も近いのだ。結婚もそれ程先では無いだろう、むしろ

既に婚約しているかもしれない。

「ええ、そうですわね……」

 静かに微笑む彼女は美しい。


「あら、いけない。私ったら」

 彼女は口を手に当て、苦笑した。

「名乗りもせずに……重ね重ね、失礼いたしました」

 動きの一つ一つが優雅だ。これが教養課程の特待生というものか、タビーはど

こか居心地の悪ささえ感じる。

「マルグリット・クノールと申します。どうぞ、マリーとお呼びください」

「タビーです。その、できれば私もタビーと呼んでいただければ」

「よろしいのでしょうか、タビー様は私の命の恩人でもありますのに」

「であれば、是非とも名のみ呼んでいただければ」

 何度か躊躇した後、それでもマリーは首を横に振った。

「これは私の我が儘ですわ。タビー様は命の恩人ですもの」

「いえ、そこまでは……」

 自分自身に『様』をつけられると、やはり抵抗がある。

「ふふ、諦めて頂いた方が早いと思います。クノール家の者は頑固者ばかりです

から」

「マリー様も?」

「私が一番頑固なのです」

 微笑んだマリーはまるで花が咲いた様だ。タビーはここまで美しい人を見た事

がない。顔の造作ではなく、所作そのものが美しいのだ。

 学院の食堂で、貴族が小指を立ててお茶を飲むのをタビーはどこか滑稽に思っ

ていた。だがマリーが同じ仕草をすると、華やかで、それでいてどこか優雅に見

える。

 内心感嘆しつつ、タビーもお茶を飲む。ふわりと花の香りがした。それでいて

後味は悪くない。渋みも酸味もない、まろやかなお茶だ。

「タビー様、王都の状況はお聞きになっていまして?」

 マリーは静かに問いかけてくる。

「いえ、その、私はフリッツ……先輩に連れてこられたので」

「そうでしたわ」

 頷いた彼女は、立ち上がる。

 飾り棚にある丸めた羊皮紙を取り上げると、再び席に戻った。


「これは、王都の地図です」

 広げられた地図はかなり詳細なものだ。大まかな地理はタビーの頭にも入って

いるが、この地図は細かすぎる。貴族でも、普通は表に出さない地図だ。

「私の家は、こちら」

 桜貝の様な爪が、貴族街の一角を指さす。

「学院は、こちらです」

「はい」

「王宮はここで、騎士団の本部はこちら」

 マリーはよどみなく指で示し続ける。

「昨夜、というより今朝ですわね。王都のあちらこちらで爆発が起きました」

「音は、聞きました」

「ええ。幸い、亡くなられた方はいらっしゃらない様ですが、爆発の影響を受け

て、現在の王都は外出禁止となっております」

 魔獣討伐の時を思い出す。あの時も、王都は外出禁止になり経済活動が滞った。

「首謀者は捕まっていない様です。街中は、騎士団が行き来して警戒を」

「……」

 マリーが何を言おうとしているのか、タビーは一言も聞き漏らすまいと地図に

集中した。


「この騒ぎの中、陛下がお倒れになったという話がございます」

「陛下が?」

 国王が倒れるということは尋常では無い。政治の世界は日々動く。王に権力が

ある現在、政治が滞ればよからぬことを企む者もいるだろう。

「ですが、その話も嘘か誠かわからないのです」

「……」

「恐らく、今日中に戒厳令が出るでしょう」

「!!」

 タビーは思わず腰を浮かせた。

「……騎士団が?」

「いえ、近衛ですわ」

 戒厳令といえば、一般的には軍部が統治権を握ることだ。一時的なものである

が国王の後継者が決まっていない今、貴族の塊である近衛が統治権を持つことは

大きな意味がある。

 

 王子ルーファンを後継者に。


 王女ルティナの行方は未だに判っていない。このまま近衛が戒厳令を発すれば

形勢は一気に決まる。

 この騒ぎの中、王女はどこへいったのだろうか。

 そして、騎士団は何故動かないのか。

 タビーの頭の中がぐるぐると回り出す。

 マリーは静かにタビーを見つめていた。

「タビー様」

「は、はい」

「私の父と、話をしていただけませんか?」

「え?」

「父は騎士団に属しております。昼には一度戻るでしょう」

 彼女の話が見えず、タビーは少しだけ首を傾げる。

「私がフリッツ様に頼まれたのは、タビー様と父の橋渡しをして欲しい、という

ことでした」

 マリーは澄んだ眼差しでタビーを見つめた。

「それが何の意味を持つのか、私には判りません」

 視線を茶器に落としてから、マリーは再びタビーを見やる。

「タビー様がお嫌でしたら、断ってくださいませ。私は……」

 彼女は俯き、そして苦しげに呟いた。

「私は、父や騎士団の方が何を考えているのか判りません。でも、この様な時に

父に会うこと……それは、決していい話ではないと思うのです」

「マリー様」


 近衛騎士隊と騎士団では絶対的総数が違う。騎士団は巨大な力を持つ軍だ。そ

れが近衛騎士隊に従うのか。騎士団を率いるのはシュタイン公、近衛に従うので

あれば公もまた王子派となり、王子の継承権は確定する。


 だが、マリーの話から推測する限り、騎士団は何かを隠している様だ。

 ――――そしてその隠し事を、タビーに託そうとしている。


「私は……」

 乾いた口をのろのろと動かす。

「私には、わかりません」

「タビー様」

「何故、私なのでしょうか」

 特待生だから?首席だから?違う、そんなもので人を図ることはできない。

「……何故、なのでしょうね」

 マリーは呟いた。


 事は急を要する。

 更に国政に関わる重大事だ。

 タビーに、それは重すぎる。出来る事などない。

 戒厳令を止めることはできないし、王女を捜すこともできないのだ。

 マリーもそれは理解している。だが、フリッツはタビーを推した。

 そこに何があるのか、まったくわからない。


 沈黙が満ちた重い雰囲気の中、ノックの音がいつも以上に軽やかに響く。

「はい」

「失礼いたします」

 先程の侍女だ。

「ご主人様が、お戻りになられました」

「もう?」

 マリーは上ずった声で応え、そしてそんな自分を恥じたかの様に掌を握る。

「ご主人様は、お客様と昼食を摂られたいとのことです」

「……わかりました。お昼の支度ができたら、呼びにきて頂戴」

「かしこまりました」

 侍女が去って行く。昼まではまだ多少時間があった。


「タビー様」

 マリーは真剣な眼差しで、タビーを見つめる。

「タビー様が一言仰ってくだされば、私は如何様にもいたします」

「マリー様」

「父やフリッツ様が何を考えているのか、私には全くわかりません。でも、私は

タビー様に助けて頂きました」

 あの程度のこと、と言いかけ、タビーは口を噤む。マリーの眼差しは、それ程

強かった。

「今度は、私の番です。タビー様の、いいように」

 真剣な面持ちの彼女に、タビーは手を握る。


 ザシャの拘束、王女の失踪、王都での爆発と外出禁止、更に国王が倒れたとい

う情報――――。


 どれもタビーに直接関係ないものだ。学院に戻り、外出禁止がとけるまで寮で

待つのが一番いいだろう。何にも巻き込まれない、ただ嵐が通り過ぎるのを待つ

だけだ。

 そもそも、どこがどうなっているのか全く判らない。タビーがマリーの父の話

を聞いたとしても、役に立てることなどないのだ。


 タビーは、己を知っている。

 前世の記憶を持っていても、それだけだ。その記憶ですら、最近は怪しくなっ

てきている。

 王子と王女、どちらが国王になろうとも、タビーの生きる道は変わらない。

 魔術師になって旅に出て、そしていつか自分だけの居場所を得る。

 そんなささやかな望みがあるだけだ。


 タビーは、マリーの瞳を静かに見つめ返した。


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