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カタン、という音に、タビーは目を覚ました。
彼女の部屋は騎士寮の元寮監室。他の部屋より広く、風呂、手洗い、洗面所ま
でついている。
それでも男所帯は物騒だから、と、卒業したアロイスが鎖と錠前を準備したの
だ。タビーが室内にいれば、室内側へ、いなければ外側へ、常にどちらかに錠前
と鎖はある。
だから、基本的にドアからは誰も入ってこない筈なのだ。タビーが招き入れな
ければ。
杖はいつも手の届くところに置いている。寝るときでも武器は手放すなという
騎士寮の鉄則だ。タビーは緊張しつつ、布団の中でさりげなく手を伸ばして杖を
引き寄せる。冷たさに、眠気が飛んだ。痛みさえ感じる杖を、なるべく自分の体
へと近づける。
侵入者は窓から入って来た様だ。床に降りる足音がした。一人の様だ。警戒し
ていないのだろうか、足音を潜ませつつも躊躇いがない。
足音が近づいてくるに従って、タビーの鼓動が早くなる。最初に杖で吹き飛ば
すか、魔術で拘束するか――――。
ベッドの側で足音が止まる。手が伸ばされる気配に、タビーは杖を振りかざし
た。
「疾く……え?」
月明かりに浮かんだ人物を認めて、タビーの呪は止まる。己から切り出した魔
力と中途半端な呪が絡んだ。
内的循環と外的循環が噛み合わなかった場合、魔術はどちらかの形を取る。
即ち『不発』か『暴発』か。
(まずい!)
呪が走り、杖との間に光の塊が浮かぶ――――暴発だ。
「逃げて!」
だが、相手はタビーの言葉を無視した。光の塊の前に、掌を翳す。
「征け――――」
聞いたことの無い呪。掌を中心として薄く緑色の壁が出来た。パシンという乾
いた音がして、タビーの暴発は弾かれ、消滅する。
ほっとした彼女は、だが思い出した様に侵入者を見上げた。
「……不法侵入ですよ、先輩」
月明かりに浮かんだ男は、フリッツ。タビーの言葉に独特の笑みを見せる。
「子どもに興味はないから安心して」
いつもと変わらぬ物言いに、タビーは溜息をついた。
■
寮の部屋にあればいい、と思うのは簡易台所だ。お湯だけでも沸かせれば今よ
り更に便利になる。だが、そこまで贅沢を言うのは我が儘だ。
タビーは取りあえず小さな灯りをつけ、何時も着ているローブを身に纏った。
練習着にも似た寝巻きだが、流石に他人の前で見せるのは抵抗がある。そんな
タビーの行動を笑ったフリッツは、椅子に腰掛けていた。
「何なんです、こんな夜中に」
「もうすぐ朝だよ」
「日は昇っていません」
「早起きは健康にいいんだ」
そう言っているフリッツは、目の下に立派な隈を拵えている。
「学院は?何かあった?」
「先輩は家の事情で休みになってますよ」
「ああ、そこは本当の事、言ったんだね」
「……先輩、それ以上は言わないでください。聞きたくないです」
カッシラー教官の気持ちがよくわかった。自分で対応できないことは、聞かな
い方がいい。
「冷たいね、タビーは」
「そうですよ、知ってたと思いますが」
「まぁね」
椅子の背もたれによりかかり、ぎしぎしと音をたてるフリッツへ、タビーは警
戒の眼差しを向ける。
「不法侵入して、何の用です?」
「タビーに一緒に来て欲しくて」
「お断りします」
「あれ、用件が何か聞かないの?」
「いいです、間に合ってます」
フリッツと一緒に行くと言う事は、講義も訓練も何もかも全部休むということ
だ。タビーは彼の様な天才ではない。首席を維持しているのも、特待生であるこ
とも、他人より努力して保っているのだ。
「でも、君は断れないと思うんだけど」
「何を言ってるか、理解できません……眠いんで、そろそろ出て行って貰えると
助かります」
「そう?」
でもね、と続けたフリッツは、組んだ足に肘をおき、掌を顎に添えた。
「断らない方がいいよ」
「いえ、本当に間に合っていますんで」
「ここにいたら、怪我するよ?」
「先輩」
うんざりだ。今までも散々振り回されたが、これ以上振り回されたくない。
「先輩は、一体………」
「さて、始まるかな」
にんまりと笑ったフリッツに、寒気がした。思わずベッドから立ち上がったタ
ビーの耳に、低い音が響く。
「!」
「2発目」
続けて、同じ様な音。今度は1回目よりも遠い。
「3発目」
低い大きな音と、揺れ。近い。
「先輩!」
「選んで、タビー」
フリッツは、促した。
「僕と一緒に来るか、ここで大怪我するのを待つか」
「……意味が、わかりません」
彼は、彼女の知らない何者かになってしまったのだろうか。視線の先にいるフ
リッツは、音にびくともしない。
「来てくれるなら、学院には手を出さない様にする」
「は!?」
この爆音の元はフリッツなのだろうか。そこまで馬鹿なことをする様には思え
なかったが。
「……先輩」
口の中が乾いて、粘ついている。
その不快感を耐えて、タビーはフリッツを見据えた。
「何を、したいんですか」
「聞いたら、一緒に来て貰うよ」
「何をさせるつもりですか」
「見届けてもらうだけだ」
何を、と聞こうとして止める。それを聞いた所で教えてはくれない。聞いたら、
一緒に行かなければならない。
「君なら、相応しいと思うんだけど」
「先輩!」
苛立ちが募る。咎める様なタビーの言葉にフリッツは立ち上がった。
「タビー……いや、タビタ・タルナート」
瞬間、タビーの耳は他の全てを拒否する。
「……なんで」
「一緒に来て欲しい。強制はしたくないんだ」
「なんで、なんでですか!!」
タビーの声は震えていた。
タビーはタビーだ。タビタではない。赤毛のちっぽけなタビー。
それで充分だったのに。
「タビー、一緒に来て欲しい」
有無を言わせないフリッツの声。
絶望に囚われながら、タビーはようやく頷いた。




