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ザシャ・バーデンが騎士団預かりになったことは、瞬く間に学院中へ広がった。
以前の噂と絡めて吹聴されたそれは、尾鰭がついて何が真実かどれが推測かも
わからないほど。
噂の中でタビーの名前は出なかったが、騎士団預かりになっているザシャには
判るだろう。
「……」
そして、タビー自身にも監視がついている。
騎士団から未来の騎士の為に、という触れ込みで、学院内に数人の騎士が常駐
することになった。
剣などの稽古をつけたり、騎乗技術、有志で続けられている学院内警備への助
言等をしているが、彼らがタビーの監視をしている。騎士から直接稽古をつけて
貰えると、騎士専攻の面々は大喜びだったが、彼女には気詰まりでしかない。
とはいえ、この状況で魔術や薬術の自主練習等すれば、騎士のうちの誰かがつ
くだろう。そうなると、彼らが学院に常駐している理由が判ってしまう。タビー
は自分が監視対象だと知られたくなかった。
結果、講義後は乗馬か杖の自主訓練となる。
現役の騎士から直接教えて貰えるから、タビーの騎馬技術は飛躍的に上がった。
魔術師になったとき、騎馬技術が何の役に立つかはわからない。杖で戦う方法
はいざ襲われた時に役立つだろう、多分だが。
数日経過してもザシャは戻って来ない。日々、噂は大きくなる。教官達が窘め
ても、生徒達の好奇心は収まる事を知らない。
「大丈夫か」
あの夜から、ヒューゴはタビーを気にかけてくれている。
「取りあえずは」
寮長と副寮長という関係だが、必要以上の接触を彼女は避けていた。伯爵子息
であり、騎士専攻の首席、騎士寮の寮長ということもあって、ヒューゴもまた注
目を集めている立場だ。接触過多は、余計な嫉妬を招きかねない。
「私より、彼でしょう」
馬の手入れをしながら、タビーは呟いた。背中合わせで自分の馬の手入れをし
ているヒューゴが頷いた気配がする。
馬の洗い場には、他に誰もいなかった。最近では馬の水浴びまで一人で出来る
様になったタビーには、この時間が癒しである。
「そうだな」
ザシャは騎士団内で自主学習をしているらしい。たまに教官が状況を伺いに赴
いていると聞くが、タビーの所にくる情報もその程度だ。
「鉄櫛、あるか?」
「はい……一体何がなんだか」
後ろ手のまま鉄櫛を渡す。マッサージ用のブラシ掛けをすると、タビーの馬は
気持ちよさそうに目を半分閉じた。
「そうだな」
二人は黙々と馬の手入れを進める。早く終わったのはタビーだ。
蹄部分にほんの少しオイルを塗り、終了である。
「じゃ」
軽く挨拶をして、彼女は馬を洗い場から移動させた。あとは厩舎の馬房に入れ
て本日は終了である。馬ものんびりと彼女の後をついてきた。
ザシャの事を考えても仕方ない。騎士団預かりになった彼は、騎士団の質問に
も『わからない』で通しているらしい。あの不審者との会話ですら『相手が何を
言っているかわからなかった』と証言している。ある意味、貴族らしい回答だ。
ザシャがその様な態度を取る限り、騎士団預かりは継続されるだろう。ノルド
はダーフィトと敵対、とまでは行かないが、微妙な関係にある。ザシャに万が一
の事があれば、ノルドはダーフィトを糾弾するだろう。両国の間には海がある。
直ぐに戦争、とはならないだろうが、その可能性が高まるはずだ。
海軍を擁するノルドと、騎馬軍団が主体のダーフィト。国の大きさでは負けて
いなくても、慣れない海上戦では明らかにダーフィトが不利だ。
戦争、という単語を思い浮かべて、タビーは身を震わせる。
戦争が始まれば、学院は閉鎖されるだろう。タビーの様に専門課程にいる者達
は、この前の魔獣討伐と同じ様に後方支援に駆り出される可能性が高い。
それでも手が足りなくなれば、前線に出ることになる。
魔獣相手なら魔術行使は出来るが、人相手にそれはできるだろうか。進級した
タビーは、講義で様々な攻撃魔術を修得している。それを人に使え、と言われた
時、使えるかどうか。
きれい事だと判っている。旅をしている間に盗賊に襲われたら、タビーは魔術
を使うだろう。盗賊なら魔術を使えて、戦争では使えない、というのは道理に合
わない。
馬を馬房へ入れ、飼い葉と水を足す。飼い葉用の桶に鼻先を突っ込んで、一心
不乱に食べる馬は、穏やかだ。
この馬も、もし戦争が起これば、前線に駆り出される可能性がある。
どうすればいいのか、タビーにはまったく判らなかった。
■
ダーフィト国王には、二人の子どもがいる。
一人は側妃が生んだ王子ルーファン。
一人は正妃が産んだ王女ルティナ。
目下、貴族達の関心はどちらが王位継承者になるかだった。ダーフィトは女王
を認めている。血筋から言えばルティナが上だ。だが、女王を嫌う一派もある。
そちらは王子ルーファンを支持していた。
国王と三公が政治の中心となるダーフィトでは、三公を味方にできるか否かで
形勢が変わる。三公の下にはそれぞれの貴族がおり、貴族達は更にその中で派閥
を作っていた。いずれにしても、誰がどちらを支持するのかは、貴族達の中で大
きな話題である。
そんな王宮の側、騎士団本部にザシャは軟禁されていた。
部屋は広く、調度品は質素だがそれなりのものだ。風呂場も手洗いも部屋にあ
り、食事は騎士が運んでくる。日に2回ほど散歩をさせて貰えるが、騎士に囲ま
れて本部内を歩くだけだ。
学院で使っている教本は持参したが、全て読んでしまった。騎士団内の資料室
にいくばくかの本があるが、それは全てが戦術や騎馬技術、用兵などの本で、ザ
シャにはあまり面白いと思えない。かといって、王宮の蔵書室で本を借りること
もできず、彼は退屈なまま日々を送っている。
不審者の事を、いつまでも隠しておけるとは思わなかった。
だが、こんな軟禁状態におかれるとは考えていなかったのだ。
王女絡みの噂に辟易して、学院内をふらふらしていた自分にも非がある。故郷
から海を越えたダーフィトまで、わざわざ彼らが来るとは思わなかった。
不審者は、自分の縁戚の知人と名乗ったが、ザシャに記憶はない。
今でこそ伯爵家嫡子だが、彼自身は次男だ。兄が生きていれば、いずれどこか
の家の婿にでも入り、静かに暮らす筈だった。
父が、母が、兄が横死し、唯一生き残ったザシャは、ノルド国王から嫡子と認
定され、16歳の誕生日を迎えた時に爵位を相続することになっている。
茶番だ。
家族が何故死んだのか、子どもには判らないと思っているのだろう。だが、彼
はそれを見抜けぬほど阿呆ではなかった。逆に聡すぎるからこそ、ダーフィトへ
逃げる様にやってきたのだ。
だが、ここにまで彼らはやってくる。
後見人を持たないザシャは格好の獲物なのだろう。一番の敵は、家族を見殺し
にした縁戚だ。その知人の言葉など、彼が聞くはずもない。
まして彼らの駒になるなど、ありえなかった。
窓から外を見る。装飾の様に嵌められた格子は、ザシャを閉じ込める檻だ。
『やめなさい!』
あの時、助けに入ってくれた上級生は、タビーと言うらしい。
『ここは学院よ。関係者じゃないなら、でていって!』
杖を押し込み、自分とあの男の間に割って入った彼女の背は、少し震えて見え
た。
怖いのなら、放っておけばいい。
もしくは、誰かを呼べばいい――――悲鳴の一つでもあげれば、誰か気づくだ
ろう。
だが、彼女はそうしなかった。ザシャより少し大きい、だがまだ大人ではない
背で彼を庇ったのだ。
そんな人が縁戚にいれば、何か変わっただろうか。
守って欲しいのではない、信じて欲しかった。父も、母も、兄もそうだった筈
だ。
ザシャは窓に指先を伸ばす。
今、無性にタビーに会いたかった。




