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夜の王都は思ったより静かだった。
その中を、タビーは馬に乗って駆けている。とはいえ、彼女は乗馬初心者なの
で、カッシラーに同乗し、ヒューゴはディールを乗せている。
夜でも走れる様に訓練された馬は、所々にぼうっとついている灯りだけで先に
進む。闇に吸い込まれそうな気さえして、タビーは体を震わせた。
王都には東西南北に各一ヶ所ずつ支所が、それ以外にも小さな駐在場や立ち寄
り先がある。騎士団の本部は王宮の隣であり、広大な馬場を擁していた。
その一角に人目を避ける様入ったのは、タビーと同行者達だ。
既に話は通っていたのだろう、カッシラーがなにがしかの印を見せると、すぐ
に中に通された。
馬を降り、預けた所で本部内に入る。
石畳で作られた床は、深夜でも足音がよく響いた。街中とは違い、煌々と灯り
がついている本部は、この時間でもどこかざわめいている。
「こちらです」
案内の騎士に通されたのは、地下だった。階段を一段ずつ降りる毎に、冷たい
風がまとわりつく様な気さえする。
階段を降りきると、今度は別の騎士が案内に立った。いくつかの扉を過ぎ、や
や小さめの扉の前で、騎士は立ち止まる。
「どうぞ」
扉を開けられたが、タビーは踏み出せなかった。カッシラーが肩を掴み、ぐい
と引っ張らなければ、いつまでもそこに立ちすくんでいただろう。扉の奥からは
冷気と、どことなくツンとした消毒薬の様な匂いがした。
部屋に入ると、ドアが閉められる。中には3人程の騎士がいた。いずれも髭を
生やし、剣を佩いている。
「夜更けに、すまない」
一人の声に、タビーはどうにか頷いた。視線は布を被された塊から外れない。
それを認識したときから、彼女の瞳は逸らしたくても逸らせなかった。体が、
動かない――――動けない。
「今日……ああ、もう昨日だな。昨日の夕暮れ、橋の支柱にひっかかっていたと
ころを、発見された」
「君が見たという不審人物と同一人物か、確認をして欲しい」
できるか、と言外に問われた気がして、タビーはようやく視線を騎士達に向け
た。
「わかり……ました」
顔から血の気が引いているのが判る。杖を両手で握りしめた。カッシラーが肩
を何度か叩く。
「では」
布がめくられた。
その男の目は閉じられ、髪は水に濡れていたせいか半乾きの様に見えた。
血は流し尽くしたのだろうか、首に大きく割れた傷がある。剥き出しになった
傷に、タビーは全身を震わせて目を閉じた。
あの時の事を、思い出す。
ザシャの腕を掴んだ時、その間に割り入ったこと、杖で弾いたこと――――。
今一度、目を開ける。
誰も、何も言わなかった。
ここにあるのは亡骸で、既に命は流れてしまっている。タビーに危害を与える
ことはない。
だが、それでも恐怖は身の内に沸き起こる。
「……どうだね?」
騎士の声に、タビーは頷いた。
「あの時に……みた、不審人物です」
「間違いないかね?」
「はい。鼻の下の髭が……左右釣り合ってなかったのを、覚えています」
「なるほど」
襲撃の際には気にならなかったが、今思えばおかしかった。貴族の関係者なら
身なりを気にするだろう。侍従でも下男でも同じだ。
「……髭はね、付け髭だった」
亡骸に手を伸ばした騎士は、それをむしり取る。
「見つかったときには、髭が髪に絡まっていたんだ。それで付け髭をしていたと
判った。髭を剥がしても、その時の不審者と言えるか?」
「はい」
真正面から顔を見た、と続けたタビーに、騎士達は顔を見合わせた。
「……タビーと言ったか」
「はい」
「君は不審者を見たんだね?」
「……はい」
「正面から?」
「はい」
聞かれてから、タビーは体を硬くした。
不審者を見かけたと告げたが、正面からとなると相手に『見られた』と認識さ
れる。更に今までの発言で、髭の長さがおかしいと判る位に、接近していたと判
断された筈だ。
「タビー」
体が震えた。
「……その場に誰がいたのか、教えて貰えるね」
静かな声だ。責める様でも追い込む様な声でもない。
「タビー」
促す様なカッシラー教官の声に、タビーは俯いた。
「誰が、いたんだね?」
騎士の声に、もう隠せないと彼女は目を強く閉じる。
「……秘密にしてほしい、と言われました」
「他言はしない。捜査に必要なだけだ」
「……」
隠しきれなかった。申し訳ないと思いつつ、タビーはのろのろと口を開く。
「……です」
出した声は掠れていた。震える唇を叱咤し、タビーは杖を強く掴む。
「ザシャ・バーデンです」
「……ノルド国の留学生か」
彼は留学生だったのか、他国からわざわざ来ているからそうなっているのだろ
うか。ぼんやりと考えてるタビーの前で、騎士達は視線を交わしている。
「タビー」
一人の騎士が前に出た。反射的に一歩下がろうとし、カッシラーの手に抑えら
れる。
「よく言ってくれた。だがもう少し、思い出して欲しい。その時の二人は、どう
だったのかね?」
「……その人は、ザシャの前で膝をついていました」
今でも思い出せる、あの日のことを。
「見ているうちに言い争いになって……その人が、ザシャの腕を掴んだので、間
に割って入りました」
「……助けを呼ばなかったのかね?」
「呼ぶより前に、走り出してしまいました」
タビーのその言葉に、騎士は苦笑した。
「魔術師志望にしては、勇敢だな。だが、次回からは必ず救援を呼びなさい」
「……はい」
タビーは素直に頷く。不審者の事を報告しなければよかった、という感情と、
もう隠さなくてもいいという安堵。それらがないまぜになった。
「そろそろいいですか?」
ディール教官の言葉に、騎士達は頷く。
「協力をありがとう」
「いえ……すみませんでした」
頭を下げ、教官達に促されたタビーは部屋を出て行く。
その背を見送って、騎士達は嘆息した。
「やはり、ノルドか」
「我らの手には余る。この件は閣下に報告をした方がいいのでは?」
「そうだな……面倒な所から横槍が入っても困る」
国内の事件だが、他国が絡むと厄介だ。そうでなくともダーフィトとノルドの
関係は複雑で、対等な関係を築けていない。それは主にノルド側の事情だが、騎
士の立場で外交的な内容を含む捜査を、独断で行う事はできない。
「閣下に報告しよう。とにかくそれからだ」
一人の騎士の言葉に、他の二人も同調する。
タビーが騎士団本部に赴いてから2日後――――。
ザシャ・バーデンは騎士団本部預かりとなった。




