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不審者が入り込んだ、というタビーの報告は、学院内を緊張させた。
学院には貴族や裕福な商人の子女もいる。院内では身分の差はないものとされ
ているが、身分そのものが無くなる訳ではない。
政敵や商売敵相手にピリピリしている貴族や商人達は声高に学院内の警備を要
求し、学院側は出入口及び不審者が越えたと思われる壁に対策を講じた。
タビーは、不審者がいたという報告をしただけだ。
その人相風体は説明したが、それだけである。
ザシャの言動に不信感はあったが、取りあえず今は保留だ。
騎士専攻の有志は、講義後から夕食までの時間を自主的な警備の時間にした。
近衛であろうと騎士団であろうと、警備は基本的な業務でもある。実習を兼ね
たそれは、学院内の物々しさを増していた。
「怖いわねぇ」
「暗殺者って噂もあるらしいよ」
「暗殺!?誰を」
「そりゃまぁ……いろいろいるじゃない、ここは」
教室の中で交わされる噂話を流し聞きながら、タビーは窓の外を見る。あの不
審者は暗殺者には見えなかった。そもそも暗殺者ならあんな風に話などしていな
いだろう。あの距離なら、ザシャを直ぐ手にかけられた筈だ。生業として暗殺を
する者なら、人目につく様な行動を取るはずがない。
ザシャの事を何故自分は黙っているのだろうか、タビーは自問自答する。
彼が何を言おうと、不審者は不審者だ。バーデン家は他国だが貴族、ザシャは
その嫡子。暗殺の可能性はゼロではない。自国で他国の貴族が暗殺されるなど、
国の体面に関わる事だ。そうでなくてもザシャは王女であるルティナ殿下と何が
しかの関係がある様に見える。単なるお家騒動なのか、それとも他に何かがある
のか。
不審人物の目撃者がタビーであることは、担任のディールと魔術応用の教官長
であるベック、そして学院長しか知らない。彼女の名前が出ることで、逆に狙わ
れる可能性を防ぐためだ。学院内では目撃者が誰かという噂も出たが、不審者や
その思惑に話題が集中し、それ以外の事は殆ど気にされなかった。
不審者と、王女と他国の貴族。
その2つの噂で、学院内は常にないほど騒々しかった。
■
講義の予習と復習が終わると、タビーは小袋内の仕分けをする。
学院内が騒がしく、心安まるのは部屋にいるときだけだ。中でも、細かいが単
純作業であるこの仕分けは、無心になれていい。
「……なんか違う、かなぁ」
独り言を呟きながら、つまんだ薬草を他へ分ける。色が似ているが、ほんの僅
かに残った葉脈の方向や切り口を見れば違うものと判断できた。
仕分けした薬草を置いてある薬包紙は徐々に増えている。思ったより色々なも
のが混ぜられている様だった。小袋側に残ってるのはあと四分の一程度か。それ
が終われば、今度は薬包紙毎に薬草を特定する作業になる。
「今日はここらにしておこうかな」
肩や首筋の強ばりをほぐしながら道具をしまっていく。後は明日に備えて寝る
だけだ。
そろそろ寝巻きに着替えようか、と思っていた所にノックの音がする。
「はい?」
「私だ」
くぐもった声だ。寮生の声とは思えない。
「……ええと」
躊躇っているうちに、もう一つの声が聞こえる。
「タビー、俺だ。ヒューゴだ」
「あ、はい。今、開けます」
ヒューゴの声は判った。タビーは鎖と大きな錠前を外し、扉を開ける。
「……教官」
くぐもった声の主は担任であるディールだ。その後ろにはカッシラー。
「あの、何か……」
「緊急の件だ。制服に着替えなさい。杖も持ってくる様に」
「は、はい」
タビーは慌てて扉を閉める。反射的に鍵を取り付けるのはもう癖だ。
明日の為に用意していた制服を身につけ、いつも通りローブを纏う。手袋をは
めて、杖を持った。
再度鍵を外し、外に出る。
「お待たせしてすみません」
「いやいい」
鎖と鍵を巻き付けるタビーを待ってから、皆は移動する。寮監でもあるカッシ
ラーが何も言わないのが気になった。彼はタビーの後ろについている。
ヒューゴもついてきているのが不思議だった。特に問題はない筈だが。
基礎課程の時につかっていた棟に入り、やはり一番手前の教室に入る。ディー
ルが何事か唱えると、うすぼんやりとした灯りがついた。
「タビー」
「はい」
「不審者が見つかった」
「え……?」
戸惑ったタビーは入口で誰も入らない様に待機しているカッシラーに視線を向
ける。
「お前さんの言っていた不審者かどうか、確認して欲しいそうだ。騎士団からの
依頼だ」
いつもとは違うカッシラーの重い声に、体が緊張した。
「騎士団、って……」
王都の治安を守るのは確かに騎士団だ。学院の不審者についても報告がされて
いるのだろう。
その不審者を捕まえたから、タビーに確認して欲しい。それは判る。
だが何故今なのだろう。捕まえたのならば、明日でもいい筈だ。騎士団の管理
下にある牢は、脱獄できないくらい厳重だと聞いている。
(……まさか)
その理由に思い当たったタビーは、顔を引きつらせた。どうにか視線をディー
ルに向ける。
「察した様だが、敢えて言っておく。君が目撃したと思われる不審者が、川で見
つかった。死体で、だ」
血の気が引いた。よろけそうになったところを、ヒューゴが慌てて支える。
「既に学院長や教官長に報告済みだ。ヒューゴとカッシラー殿は騎士寮の寮長と
寮監だから同席してもらっている」
淡々と告げるディールの顔は、いつも以上に表情がない。
「自死ではない。騎士団は、至急君に確認をして欲しいと言っている」
「……」
杖を強く握りしめた。震える体を押さえつけて、タビーは何とか顔を上げる。
「……わかり、ました」




