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王都はその名の通り王がいる場所で、騎士団本部や各ギルド本部もある、まさ
しくダーフィトの中心地である。
その分、人の出入りも激しく、特に商人達は良く行き来していた。ダーフィト
そのものが巨大な大陸であり、王都のある南と辺境とも呼ばれる北とでは作られ
るものも売れるものも違う。いずれにしても、出入りと同じく巨大な取引がそこ
ここで行われているのが王都だ。
出入りがあれば、揉め事や犯罪も増える。王都の治安は騎士団が、王族の警護
は近衛騎士隊がそれぞれ担当していた。街中を警邏する騎士団はタビーも良く見
かけたが、近衛騎士隊を見るのは初めてだ。
「ようこそお越し下さいました」
学院長と各専攻の教官長が恭しく頭を下げる。白い制服を身に纏った近衛騎士
は所作そのものが流れる様に美しい。
そんな近衛の手をかりて降りてきたのは、小柄な少女だ。ふんわりとした白金
色の髪の毛を緩くまとめ、鮮やかな青のドレスを身につけている。
「息災でしたか、学院長」
幼い声は、どこか背伸びをした様にも聞こえた。学院長と対すると祖父と孫の
様にも見える。学院長や教官長達の間から見えた声の主は小柄で、硬質な美しさ
を持っていた。
数歩足を進めたところで、声の主は立ち止まる。
「今年度の特待生にございます」
学院長の声に、タビーを含む生徒達は一斉に礼を取る。最上級のものだ。
「そうでしたか。励む様に」
間近で聞いた声は、鈴の様だった。顔を上げることは許されていない。だが、
世間の噂に疎いタビーでも、目の前の少女の絵姿は見た事がある。
ルティナ・シャイト・ダーフィト――――この国の第一王女だ。
タビーが見た絵姿は5歳の祝いのものだったが、ふっくらとした頬が愛らし
い王女だったと記憶している。
王女は特待生達を見回した様だった。そして少し躊躇いがちに、顔を上げる
様に告げる。
彼女の視線はタビー達を素通りした。興味がなさそうな風は見せずに。
その瞳は、末席にいた生徒で止まる。
基礎課程一年の特待生、首席はザシャ・バーデン。タビーが助けた青い瞳の
少年である。
王女はザシャに視線を止め、長くその顔を見つめていた。ザシャは無礼にな
らない様、目を伏せてやや、下を向いている。
「学院長」
「はい」
「案内を」
王女より一歩下がったところに学院長が、護衛の近衛と案内の教官が先頭に
立つ。
案内を促しておきながら、王女の視線はザシャから離れなかった。
近衛に促され、彼女はようやく歩み出す。
その後ろ姿が消えるまで、ザシャは俯いたままだった。
■
(人形の様だったな)
馬に乗りながら、タビーはそう思う。
王女とザシャ。いずれも硬質な美しさ――――単純に言えば、無表情に近い
が、容姿がそれを補っている。
対で並べたら、さぞかしお似合いだろう、見る分には。
(知り合いなのかな)
そんな事を考えながら馬に乗っていると、突然馬が跳ね上がった。
「!!」
慌てて手綱を引き、声をかけるが間に合わない。
手綱を手にしたまま、タビーは馬から落ちた。
「っと」
手綱を握っているため、頭から落ちるのは避けられたが、腰を強かに打つ。
「ったぁ……」
力が緩んだところで手綱を放してしまい、馬は暴れながら走って行く。
「捕まえろ!」
教官の声が飛んだ。タビーは痛みをこらえて立ち上がる。
「はいッ!」
馬はその場で何度も地面を蹴り上げる仕草をした。迂闊に近寄れない。だ
がどうにか手綱を掴み、首筋を叩く。
「ほーぅ、ほぅ」
声をなるべく低くし、手綱をゆったりと持った。蹴りが収まったところで
手綱を引き、馬場を歩かせる。
円を描く様に大きく、ゆっくりと。
興奮していた馬は、暫くしてようやく落ち着いた様だ。首筋を軽く叩いて
宥める。
「大丈夫か」
乗馬担当の教官に問われ、タビーは頷いた。
「はい」
「なんだ、一体……虫か?」
「すみません、急だったので……」
「仕方ないな。馬体の確認をしたら、今日は終わりにしろ」
「はい」
馬場の外へ連れ出し、手綱を柵に結びつける。顔から耳、首筋、胴体から
足回りまで見たが、特に異常はない。何かの音に驚いたのであれば、他の馬
も反応する筈だ。虫に刺されたか、それ以外か。
(集中してなかったなぁ……)
馬は人の心を読む、と教官は言っていた。タビーに乗馬の基本を教えてく
れたライナーにも、馬は人の事を想像する以上に理解している、と教えられ
たのだ。集中していれば、その原因が判ったかもしれない。落馬する前に対
処が出来た可能性もある。
体のどこにも問題ないことを確認して、タビーは手綱を解くと厩舎に向か
う。
馬が途中にある砂場に寄りたがったので、お詫びもこめて付き合った。手
綱を外した馬は、気持ちよさそうに砂浴びをしている。砂浴びをした後はブ
ラッシングが必要だが、実習の終了時間にはまだ余裕があった。
(殿下は、ザシャを知っている様だった)
王女が学院を訪問してから、三日が経っている。学院内は王女とザシャの
噂で持ちきりだ。あの場には特待生達しかいなかったが、王女が関心を示し
たのは彼だけだ。ザシャの美しさや頭脳を褒める者、他国の貴族に心奪われ
るのは王女として如何なものかと不平を持つ者、様々である。
そのザシャは、と言えば、噂を嫌ってか殿下の訪問後、講義に姿を見せて
いない。成績を維持していれば教官から指導は入らないだろう、フリッツが
いい例だ。タビーは以前から馬場や訓練場でザシャを見かける事があったが
ここ数日は姿も見ていない。
馬が大きく身を震わせて立ち上がった。満足げな表情に微笑み、タビーは
手綱をつける。
講義後に乗馬の訓練をする者もいるので、馬に水浴びはさせない。その代
わり砂やゴミを取り除くブラシを念入りにかけた。
最後に蹄鉄を確かめ、問題ないことを確認してから馬房に入れる。丁度そ
の頃に、講義が終わる鐘が鳴った。
汗を拭い、着替えるために更衣室へと向かう。
その途中で、印象的なあの髪の色を見かけた。
(ザシャ?)
彼は、木の下にいる。その前には、見た事もない男が膝を付いていた。
教官に似た服を着ているが、教官ではない。学院の生徒にしては年嵩だ。
そして、学院には許可された者以外立ち入れず、許可を受けた者は必ず右
腕に赤い布を巻いている。
男の右腕のどこにも、赤い布はない。
タビーは杖を握りしめた。二人は何か言い合っている様にも見える。
――――教官を呼ぶか、警告をするか。
タビーが迷った瞬間、男は立ち上がりザシャの腕を掴んだ。
「!」
彼女は走り出す。教官を呼ぶべきだと思ったが、抗うザシャを助ける方が
先だ、と判断した。
「やめなさい!」
男とザシャが驚いた様にこちらを見る。
腕をつかんでいた手が緩んだ瞬間、タビーは杖を押し込んだ。
「つッ!」
バシン、という音がして、男が弾かれる。急に手を放されたため、ザシャ
もよろけたが、どうにか踏みとどまった。
「誰?」
杖を構え、ザシャを庇う。
「貴様……」
「ここは学院よ。関係者じゃないなら、でていって!」
男の腰には剣が佩かれている。杖でどこまで対応できるか、ザシャを守り
切れるか、今更ながら不安になった。だが、それを表に出さず、タビーは杖
を構える。
「くそっ!」
舌打ちをして、男は走り去った。追いかけようとしたところで、ローブを
掴まれる。
「いい」
ザシャの声だ。振り向けば、彼は首を横に振っていた。
「大丈夫だから」
「ふ、不審者じゃないの?」
まさか父兄だったのだろうか。それであれば、きちんと面会の手続きを経
るべきだ。何か言おうとしたタビーの前で、ザシャはもう一度首を横に振る。
「不審者だけど、教官には報告しなくていい」
「はァ?」
何を言っているんだ、と言いたげなタビーを、ザシャはその青い瞳で見据
えた。
「これ以上……噂になりたくない」
「……」
その気持ちは判る。だが、後で何かあったとき、後悔するのはタビーだ。
「……不審者を見かけた、という報告はする」
ザシャが何か言う前に、タビーは続けた。
「私は、ここで、不審者を見かけたの。それだけは報告する」
そこに彼がいたことは、敢えて言わない。ここまでが譲歩できる所だ。
「……それでいい」
ザシャが溜息交じりに応えた。
「ありがとう……ございました」
取って付けた様な礼を述べ、彼は去って行く。その姿が見えなくなったと
ころで、タビーは男が消えた方角を見る。その姿はもう見えない。
しばらく眺めていたが、このまま見ていてもどうしようもない。
タビーは頭を振り、教官室へと足を進めた。




