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「失礼します」
『面談室』と書かれた扉を、タビーはノックした。中から招く声があり、扉を
開ける。
机と椅子が2つの簡素な部屋だった。
椅子の1つには担任であるディールが座っている。
魔術応用専攻2年に進級したタビーは、学年末にあった特待生の査定に合格し
新たな年度を迎えた。組分けは成績順で、タビーは1組、担任は昨年に引き続き
ディールである。
「座りなさい」
「はい」
新年度早々の面談は、今後の進路についてだ。生徒それぞれの希望や悩みを聞
き、必要な講座を勧めたり問題の解決に努める。前世の個人面談と同じだ。
「さて、タビー。進路の希望は何かね?」
「学院を卒業したら、旅に出たいと思います」
彼女のその応えはディールの想像には無かったのだろう。沈黙が二人の間に流
れる。
「旅、か」
「はい」
「旅で何をしたいのかね?」
「見聞を広げたいと思います」
「それだけか?」
「今のところは」
再びの沈黙。無理もない、魔術応用の首席であれば、王宮への出仕や魔術ギル
ドの幹部候補としての道もある。選び放題なのだ。
「王宮への出仕はしないのか?」
「興味がありません」
言い切ったタビーに、ディールは少し表情を緩めた。どこか面白がっている様
にも見える。
「誰かの下で働くのは嫌なのか?」
「それはありません」
「王宮魔術師として出仕すれば、いずれ爵位も貰えるだろう」
「興味がないのです」
爵位を貰う、ということは貴族になるということだ。貴族とは必要以上に関わ
りたくない。派閥争いに巻き込まれるのもまっぴらだし、体面に拘って、やりた
いことができない様になるのはご免だった。
「教官は、私に王宮へ出仕して欲しいのでしょうか」
今度はタビーが問いかける。
「否である」
「ではなぜ?」
「優秀な魔術師であれば、よりよい環境を求めるだろう。この国で一番いいのは
王宮出仕だ」
「そうですか」
確かに研究を続けるにはいいのだろう。ある程度の研究費も準備されるだろう
し、給金も破格だと聞く。だが、貴族との関わりも増えていく筈だ。なにしろ、
勤務先が王宮内なのだから。
「旅、か……では、今年度は実習を多めにとる方がいいな」
ディールは手元から1枚の用紙を差し出す。
「今年度の実習講義一覧だ」
「ありがとうございます」
「座学も必要だが、選択できる実習は極力全て受ける様に。旅に出るのであれば
様々な魔術が必要になる」
「はい」
「他の専攻との共同実習も勧める。一人旅なのか、それともどこかに加わるのか
いずれにしても、初見の者と連携を取れる位でなければ命が危ない」
「わかりました」
ディールは少し考え、手元の紙にいくつかの○を書き入れた。
「最低限、これだけは取っておくこと」
「ありがとうございます」
タビーはほっとした。進路を否定されている訳ではない様だ。それに教官の勧
める講義であれば、効率良く学べるだろう。
「成績は問題ない。今年度も励む様に」
「はい、ありがとうございます」
面談は終わりだ。タビーは紙を受け取ると、頭を下げる。面談室を出ると、廊
下の椅子に同期生が座っていた。タビーが出て来たのを見ると立ち上がり、入れ
替わりに面談室へ向かう。
今年度を入れれば、3年。
長いようで短い。ここに来るまでも色々あったが、振り返ってみればあっとい
う間だった。今後はもっと意識していかないと、ただ成績がいいだけで終わって
しまう。
友人でもいれば相談ができるが、ここ数年でタビーにできたのは、ちょっとし
た世間話をする程度の同期生だけだ。あとは微妙な行動を取る先輩位で。
教室へ向かいながら、タビーは溜息をつく。
ラーラへのおつかいは無くなったが、フリッツが変わることはない。連日手紙
を出しているのを見ているし、暇さえあればタビーを捕まえてラーラの話だ。あ
れだけ話して、まだ同じ話を一回も聞いたことがない。
そんなフリッツも今年は最終学年。噂では既に王宮魔術師として出仕すること
が決まっている、とのことだった。王宮ならば隣接する騎士団本部も近い。ラー
ラの異動がなければ、間違いなくそこへ行くだろう。何が何でも。
教室のある棟へ戻ろうとして、タビーの足は止まった。
渡り廊下から見える大きな木、その下に人が倒れている。
慌てて駆け寄ると、きつく目を閉じた生徒は脂汗を浮かべていた。
「ちょっと、大丈夫?」
肩に手をかけ、声をかける。
だが、相手は唸るだけでまともな返事をしない。
「ねぇ、君!」
体を軽く揺するが、やはり反応は鈍かった。
手袋を外し、額と首筋を触ると熱い。熱が出ているのだろう。
タビーは周囲を見回す。他の生徒や教官は見あたらない。
「……」
タビーは手袋をはめ、杖を持ち上げる。そんなに大きな魔力はいらない。
ぐるりと杖を回し、ぴたりと止める。
乾いた音がした。
実習中に何かあったときに使う魔術だ。簡易狼煙の様なものである。色をつけ
ることも出来るが、教官の誰かに気づいて欲しいだけなので、敢えてそのまま打
ち上げた。
音に、倒れていた者は目を開ける。
深い、青。
揺れてる青は美しい。タビーが見とれる程に。華奢な体、長い髪と相まって、
物語で読んだどこかの姫君の様だった。
「大丈夫?今、人を呼んだから」
「……」
少年か少女か、見分けのつかない相手は手を上げ、タビーの腕に縋りついた。
「――――」
異国の言葉。聞いた事のないそれに、タビーは目を丸くする。
「な、なに?大丈夫?私の言う事、判る?」
焦って問う彼女の前で、その手から力が抜けた。慌ててそれを受け止める。
「ちょ……しっかりして!」
苦しそうな表情をする相手の手を握りしめた。
渡り廊下に、誰かが駆けてきた足音が響く。
「こっちです!」
タビーは開いた方の手を大きく手を振った。何人かの教官がやってくるのが見え
る。
支えた手は、酷く熱かった。




