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騎士専攻課程の最上級生は、秋の終わりから冬にかけて、騎士団への入団試験
がある。
騎士専攻を選んだからには、将来は騎士団もしくは近衛騎士隊への入団・入隊
を希望している事を意味していた。中には冒険者になる者もいるが、ごく少数だ。
近衛は王族や後宮、離宮の警備・警護を任される。出自は貴族であることが最
低要件。
騎士団は軍隊そのもので、将軍を頂点にダーフィトの軍事・警備等全てを握っ
ている。地方にある砦や駐屯地、王都内の警護や警邏、犯罪の摘発などその仕事
は多岐に渡っていた。
当然学院生だけでは足りない。そのため学院を卒業しなくても騎士団に入るた
めの試験を受ける事が可能だ。学院を出た者は大抵が将来の幹部候補生となる。
「早いですね」
寮長であるアロイスと副寮長であるライナー、そしてあと数名は学院の推薦を
受け、既に入団許可証が出ていた。
「まぁ、早けりゃいいってものでもないけどね」
ライナーが苦笑しつつ応える。成績優秀な者は、騎士団が早めに入団許可証を
出す。優秀故に貴族の私兵として雇用されたり、冒険者になったりする事を避け
るためだという。貴族の私兵であれば、騎士団とは桁違いの報酬が出る。その分
多少の後ろ暗い事もさせられるそうだが、仕事と割り切って就く者もいると聞く。
「無試験ではないんですか?」
「推薦でも簡単な審査はあるよ。半日で終わるけど」
本来であれば3日かけて精査するが、学院からの推薦があれば半日拘束で済み
その場で入団許可証もでる。だが大半の者は入団試験を受ける必要があった。
「寂しくなりますね」
冬の休暇が終わり、春になればライナー達は卒業だ。ライナーだけではない、
アロイスもラーラもイルマも。寮で長い間一緒に過ごし、色々と助けて貰い、寮
生活に馴染むまで気に掛けてもらった。
「あと数ヶ月あるよ」
「ですね」
そう言いながらタビーは大きなブラシを桶に戻す。
タビーとライナーがいるのは厩舎である。
騎士団では馬に乗ることが多い。乗ったまま戦える技量も必要だ。そのため学
院でもかなりの馬を保有している。その世話は、主に騎士寮の生徒達が行ってい
た。
だが、この時期は最上級生の大半が試験対策で忙しい。下級生達だけで賄えな
い事もないが、そうすると講義後の訓練時間が減る。朝の当番も人手が足りない。
そこでライナーやアロイスの様に進路が決まった最上級生が手伝いをしている。
タビーも時間の合間を見て手伝っていた。
フリッツの迷惑な手紙は『ラーラ先輩を入団試験に集中させてあげたい』とい
う、もっともらしい理由で断っている。ラーラが試験に合格した後が心配だが、
今はこの平穏を楽しみたい。
タビーは馬にブラシを掛け、ライナーは藁を入れ替える。最初は馬に唾をかけ
られたり、髪の毛をむしられたタビーも、最近は慣れてきた。ブラシ掛けも手早
く出来る。
「あと、こっちだけですか?」
「だね。半分」
騎士専攻課程で使う馬を揃えているだけあって、その数はかなり多い。若馬も
いるが、大抵は数年騎士団で使われた後、払い下げられたものだ。それでも騎馬
騎士を擁する騎士団からのものだから、いい馬が多い。タビーが大怪我をする前
にヒジャと一緒にされていた馬もいた。あの頃から見れば随分おとなしくなって
いる――――タビーの髪をむしる程度で済む位には。
馬は基本的に臆病だ。
だが騎士団の馬は臆病では務まらない。誰でも乗せて、魔術や剣戟の音にも動
ぜずに動ける馬が一番いい。ある程度騎士団で慣らされてるから、調教の手間は
殆どかからなかった。たまに、例外もあるが。
桶に入ったブラシはいくつもある。体の汚れを浮かせるもの、マッサージ用、
毛艶を出すもの、蹄鉄の汚れを掃除するもの、そしてそれらの道具から汚れを取
り除く鉄櫛。
馬の手入れは奥深い。水で洗ったら直ぐに拭かなければいけないし、足は上か
ら下へ、ブラシのかけ方もブラシ毎に違う。タビーは不慣れだから水洗いはまだ
させて貰えないが、大きな布を使って手早く拭くのは慣れた。たまに蹴られたり
馬のボロ(糞)が直撃しそうになったりした事もあったが、馬は可愛い。甘った
れの馬に顔をこすりつけられたり、ブラシが物足りないとタビーの服を噛んでき
たり。ヒジャとはまた違う可愛さだ。
とはいえ、馬は大きく数も多い。一度、馬が満足するまでブラシをかけてあげ
たいと思うものの、一頭当たりの時間は決まっている。
「来年、乗馬の講義を取ってみようかなぁ」
「なに?興味あるの?」
ライナーに問われて頷く。
選択講義の一つに乗馬があり、初心者でも乗れる様になるという。馬の手入れ
方法も教えてくれるし、自分の馬のブラシ掛け等も全部やれるそうだ。
「馬って可愛いじゃないですか」
「可愛いけど、気難しいよ」
ライナーは苦笑した。可愛い、という感覚は、仔犬や仔猫を表現するものとは
また違う。馬の可愛さは乗らないと判らない。
「乗ったらもっと可愛くなりますか?」
「たぶん」
あくまでライナーの考えだ。タビーは少し考え、頷く。
「乗ってみたいです。走ったら気持ちよさそうだし」
「教えてあげようか?」
「え?」
「乗ったこと、ないでしょ?」
「はい」
今までその機会は無かった。
「手伝ってくれるし、教えてあげるよ。長い時間は無理だけど、馬が空いてれば
構わないし」
「お、怒られませんかね?」
「誰に?」
「ええと……カッシラー教官?」
タビーの物言いに、ライナーは吹き出す。あれほど彼女に甘い教官が、その程
度で怒るとは思えない。
「大丈夫だよ、講義だったら怒鳴られるけど」
「ど、怒鳴るんですか?」
「そ」
騎馬に関わらず、教官の講義では怒声や罵声が普通だ。馬を粗末に扱おうもの
なら、鉄拳が飛んでくる。
「馬が怯えると思うでしょ?でも、案外大丈夫なんだよね、教官の声なら」
「慣れてるとか?」
「そんなところかな」
ライナーは藁をならしていたフォークを馬房に立てかけた。
「寮にいてもみんなぴりぴりしてるしねぇ」
入団試験には座学もある。普段、剣や槍を持って走り回っている寮生達でも、
これを逃れる事はできない。必死で暗記物と戦っている筈だ。下級生達はそんな
上級生を刺激しないためにも、夕食の時間まで寮に戻らない。
「少し慣れてたら、来年の講義も楽でしょ」
「そうですね」
タビーは首を傾げ、少しして頷く。
「じゃ、お願いしてもいいですか?といっても、お礼なんかは出せないんですけ
ど……」
「いいよ、そんなの。馬は僕も好きだからね」
笑ったライナーに、タビーは嬉しくなる。
「なんか、ますますやる気が出て来ました」
「あと半分あるけど」
「大丈夫です」
機嫌良さそうに笑ってから、タビーは次の馬房に入っていく。最初、へっぴり
腰で逆に馬を怯えさせていた頃とは大違いだ。
あと少しでこの生活も終わる。ライナーは騎士団に入り、タビーは学院で勉強
を続けるだろう。
ちょっとした寂しさに、彼はそっと苦笑した。
■
教官に呼び出されるということは、厄介な頼み事がある、という事だ。
「頼めないかな?」
付与魔術の教官にそう告げられて、断れない。どうやら今年が教官一年目らし
い彼は、他の教官から雑用その他を押しつけられている様だ。そうでなければ、
わざわざタビーに『お願い』など持ってこない。
「はぁ……」
「神殿からも是非に、と言われているんだよ」
「……」
今度の休み、神殿での護符授与手伝いをして欲しいという依頼である。タビー
指名で当然無報酬。
神殿は『奉仕の心』に金額は付けられない、ということで無報酬なのだが、正
直ほんの少しでも給金が出れば、やりたい人も出てくると思う。
それを目の前の教官に言っても仕方ないが。
「何か、予定ある?」
返事を濁しているタビーに、教官は問いかける。
「いえ……あー、その、大丈夫、です」
期待を裏切れない。
これがカッシラー教官あたりだったら、さくっと断って――――。
(無理か)
「よかった」
あからさまにほっとした様な教官は、手元のメモをタビーに手渡す。
「これ、持って行ってね。忙しいと思うけど」
「忙しい?」
「うん、祭りの前だからね。護符授与所は凄く混むよ。ほら、騎士団の試験もあ
るしね」
「……」
最初に理由を聞いておくべきだった。確かにこの時期に豊穣を祝う祭りがある
が、それと連動して忙しくなるとは。
「本当に助かるよ。神殿も君を指名してくれている。期待されているんだね」
そんな馬鹿な、と言いたいが言わない。この教官は穏和で講義も判りやすいが
騙され易い気もした。
「じゃ、今度の休みお願いするね……ああ、そうだ」
内緒だよ、と言ってくれたのは飴玉だ。前世と違って、砂糖を煮詰めただけの
様なもの。丸く平べったい形にすれば、べっこう飴になる。
「……ありがとうございます」
奉仕作業が飴玉一つか、と思わないでもないが、これは教官の厚意だ。ありが
たく受け取る。教官という立場なら命令という形で行かせる事も出来たのに、そ
うしなかった。いい人ではあるのだ。
教官室を出て、タビーはメモに目を落とした。
夜明けから始まって夕暮れまで。1日だけだが、夏の休暇より奉仕時間は長そ
うだ。
特に予定はないが、給金の貰えない奉仕作業はどこか空しい。タビーが熱心な
信者であれば違っただろうが。
「……ギルドはまた今度かな」
幸い魔獣討伐ででた金一封がある。一日くらい奉仕作業に出ても懐は大丈夫だ
ろう。
無理矢理自分を納得させると、タビーは寮へと向かって歩き出した。




