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神殿は常に信心深い人達が祈りに来ているが、人が少ない時間帯というものが
当然ある。朝や日暮れ時は多く、昼間は少ない。タビーの奉仕作業である護符授
与所は、更に人が来なくなる。
「タビー」
「はい」
神官に呼びかけられ、彼女はゆっくりと向き直った。神殿では急に立ち上がっ
たり、顔だけ振り向いたりすることは禁じられている。少々苛つく位の早さが神
殿の普通だ。
「今日は人も来ないので、別の作業をお願いしてもいいでしょうか」
「はい、勿論です」
正直、誰も来ない中ただ座っているのは苦痛だ。本でも持ち込めればいいが、
それは許されていない。
「では、あの神官についていく様に」
掌で示された所には、先日食堂で一緒になった神官がいる。彼は目を伏せがち
にして、少しだけ頭を傾けた。
「わかりました」
少々気まずいが、作業である――――仕事ではない、作業だ。タビーは静かに
立ち上がると、神官の前までゆっくりと歩いた。
「では、こちらへ」
神官は手招く。足早になりそうなのを抑えて、静かに、静かに歩いた。
いくつかの角を曲がった奥に、大きな扉がある。天井まで届くそれは、特に仕
掛けもない、つるりとした表面のものだ。
神官はその前で手を左から右へと動かす。扉は静かに開いた。
「……」
魔道具と同じ仕組みなのだろうか。タビーは促されて歩きつつ、扉をちらりと
見やった。どこにもそんな仕組みは見あたらないが――――。
「老師」
神官の呼びかけに、床に膝をついていた老人が顔をあげる。
「手伝いの者を、連れて参りました」
深く一礼をした後、神官は横にずれ、タビーを促す。
「タビーと申します」
深く頭を下げると、空気が動いた。老師と呼ばれた者が笑った気配がする。
「わざわざ手伝いを呼ばずとも」
「授与所も今日はあまり忙しくない様で」
「タビー、頭をあげなさい」
老師の言葉に従って立位に戻す。
「では、今日一日はお前の厚意に助けてもらうとしよう」
神官かタビーか、どちらに向けた言葉か判断できない。取りあえずタビーが無
言のまま頷いた。
「タビー、こちらへ」
座った老師の横には、大きな木箱がある。その中には、護符が大量に入ってい
た。売り物とは違い、ほつれたり、壊れているものもある。
「これは……」
「役目を終えた護符です」
若い神官は、老師とは反対側の木箱側へ座る様タビーを促す。
「役目を終えた護符は、神官達の手で浄化します」
木箱の中から小さな護符を一枚取り上げ、神官は目の前におく。
「護符を重ねていき、護符そのもので祭壇を作るのです」
「……」
老師の前をちらりと見る。一番大きい家庭用の護符が綺麗に並べられていた。
「今回は、大きい護符は少ないので……残りを積み上げてください」
「はい。何か決まり事はあるのでしょうか」
「大きいものを下にすれば、後はどちらを先に積んでも構いません」
若い神官も膝をつく。いくつかの護符を交互に重ねていくと、小さな山になる。
「この様に。形は特に決まっていませんが、崩れない様に」
「世界は綴じておる」
老師がのんびりとした声で呟く。
「故に、四角が良い」
「老師」
咎める様な神官の言葉に、老師はほほほ、と静かに笑った。
「四角、ですか」
「そうじゃよ、タビー」
「……できますか」
「はい」
積み上げるだけならそれほど手間はかからない。四角く、という事であれば、
円や三角で積み上げるより簡単だ。
「お昼は呼びにきますので」
「わかりました」
タビーは頷き、木箱の護符を取り上げる。積み上げ始めた彼女の作業を暫く見
てから、神官は静かに立ち去った。
■
護符は思ったより多い。
いくつかを木箱から取り、崩れないように積み上げてから次にかかる。老師の
方はと言えば、一つの護符を取り、長い時間弄んでからそうっと積む。少し積む
と均衡が取れていないのか、ばさりとあたりに散らばった。そして、途方にくれ
た様な表情をして、散らばった護符を手に取り積み上げる。
(……いつものと違う)
老師の方も気になるが、もっと気になるのは護符そのものだ。使われた護符だ
から、ぼろぼろになっていたり、組紐部分が解けていたりする。全体的に薄汚れ
ている様にも見えた。だが新しい護符と決定的に違うのは、口では言い表せない
『何か』だ。
喜捨と引き替えに日々授与している護符は、持った感触も見た感触も違う。ど
うにか言葉にするならば、護符の纏う『空気』が違うというところか。
(使っただけで、こうなるの?だったら、何が違うんだろう)
護符が何か、等、突き詰めるのは不敬であろう。だがタビーの好奇心は止まら
ない。
(お祈りか何かで、聖術を封じているのかな)
だとしたら魔力が感じられる筈だ。だが、新しい護符からそれを感じた事はな
い。
(聖術も魔術も基本は魔力と仮定すれば、同じものの筈)
であれば、魔術を使っても同様の護符は出来るのではないだろうか。魔力を魔
力として感じさせないものが聖術にはあるとしたら、それはどうやっているのだ
ろう。
(わからない)
積み上げるふりをしながら、さりげなく護符をひっくり返してみるが、特に気
になる部分はない。その護符を積み上げ、次の護符を手に取る。
(……同じだ)
新しい護符と比べると『空気』が違う。護符を授与された人達は、この『空気』
が無くなったら返しにくるのだろうか。それであれば、魔力は誰にでも見えるこ
とになる。タビーが今まで気にしなかったから知らないだけで、魔力を視認出来
るのは、水が流れるのと同じ位当たり前のことなのだろうか。
だが、護符の中にはまだ『使えそうな』ものもある。他と比べて『空気』が残っ
ている様な感じだった。
「老師」
先程の神官が呼んでいた呼び方を口にしてみる。
「なんだね、タビー」
積み上げた護符を倒しながら、彼はタビーに視線を移した。
「え、ええと……」
声をかけてみたものの、何と聞けばいいか判らない。老師は不思議そうな眼差
しをした後、タビーの手元を見やる。
「ああ、それも使った護符だよ」
「で、でも他のものとちょっと違う様な気がします」
話の糸口を掴んだタビーは、少々早口で問いかけた。
「護符って……どの程度で交換するのですか?」
「さて、どの程度かのぅ。1年という者もいれば、数年という者もおる」
「何年使っても、護符の効果はあるのでしょうか」
「護符の効果?」
訝しげな表情をした老師に、タビーは内心『しまった!』と思う。神殿の中で
交わすには、あまりに不適切な言葉だ。
「護符は、護符じゃな。それ以上でも以下でもないよ」
「そ、うですか……」
「この護符には、まだ祈りが残っておる。だから違う様に見えるのやもしれん」
それは、誰にでも感じられるものなのだろうか。
「祈り……祈りとは、聖術のことでしょうか」
「祈りは祈りだよ、タビー。綴じた世界の神へ捧げる祈りだ」
「魔力、ではないのですか?」
「魔術ではないよ、タビー」
ほほほ、と笑って、老師はその護符を積む。
「護符はそのまま作ればただの細工物じゃな」
「細工物……」
であれば、やはり護符には何かが込められているのだろう。それが魔力であれ
ば、魔術でも護符が作れるかもしれない。例えば、防御術を組み込んだ護符や攻
撃を受ければ、それを弾く様な護符。
(可能性は、ある)
最も、魔術の歴史は長く、既にこれに気づいている魔術師がいてもおかしくな
い。
(だけど、護符は聞いた事がない)
もしくは魔術を護符にするには、何か制約があるのだろうか。例えば、宗教的
なものが。
皺だらけの老師の指が、護符を積む。
護符は斜めになり、あたりに散らばった。
規則的な、だがどこか不均衡さえ感じる行為に、タビーは、口を噤んだ。




