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「リタは洗浄時に裏側の棘を擦り落とし……」
自習時間を使って内職をしつつ、タビーは教本を見ていた。
編み図を何度も見、実際にいくつか編むと要領は掴める。角周りの部分だけは
注意が必要だが、それ以外は問題ない。
内職をしながら、教本を読んでいる。周囲に部屋がないのはこういう時に気楽
だ。
本来であれば、自習時間には扉を開放し、寮監が各部屋を確認する。
だが、騎士寮の寮監であるカッシラー教官は寮に常駐していないし、タビーは
数少ない女性ということで扉の開放は免じられていた。だから内職していても、
特に咎められる事は無い。
成績が落ちる事だけが心配だったので、内職をしながら暗記系の教本を読む事
にした。『ながら』勉強は得意だったと思う。少なくとも、今は得意だ。
「魔力を混ぜながら練る必要があり、その際には茎や根は入れてはならない。茎
は裂いて染料になる。根は防虫剤になるが、取扱に注意が必要」
薬術基礎は、座学が中心だ。材料をすり潰す為の練習や採取の実習程度で、実
際に薬を作る事はない。基本的に薬を作り出すときには魔力が必要なので、基礎
課程ではそこまで出来ないのだ。
だから試験は筆記のみ、それも文章で書かせるものが多い。前世の様な選択問
題や穴埋め問題は出ないのだ。となると、暗記してしまう方が早かった。実際に
薬が作れる様になる来年度から取ってもいい講義だが、基礎を早めにしておけば
来年は少し楽だろう、と選択している。
「茎を染料にするときは、縦に裂く。そのまま水につけ、3日程度放置すると上
澄みに色がつく。リタの染料は水と馴染まないため……」
教本を読みながら、手を動かす。時々手元に目を落とし、出来を確認しながら
進めていく。この手のものは同じものを作る為、コツを覚えてしまえば楽だ。当
初の申告より、多めの枚数を作る事が出来ている。
学院の中でも、貴族がこのハンカチを持っているのを見かけた。確か侯爵家令
嬢だったと思うが、青空の様に鮮やかな青が綺麗で、ほんの一瞬だったがタビー
は見とれたくらいだ。預かってきた中にはそんな鮮やかな色は無かったから、特
別に染めさせたのだろう。
「何使ってるんだろ」
染め物屋で仕事をしたことがあるタビーは、大抵の染料を知っている。青であ
ればいくつかの染料をすぐ思いつくが、そのどれも鮮やかな青、というものでは
ない。恐らく何かと混ぜたのだろう。
「何だろうなぁ」
教本をめくり、手を編み針に戻す。
「リタの染料は、麻、木綿と相性がいい。特に薬効はないが、包帯として使うと
ころもある。根はすり潰し……」
淡々と読み、編んでいく。仕上がったハンカチが歪ではないか、模様を落とし
て編み込んでいないかを確認してから、袋にしまいこむ。
「……ゴールダと混ぜるが、このとき熱が生じない様に石製の……石製って、あ
れ?」
前の頁に戻り、使用器具を確認する。
「ああ、そっか。これか……」
器具の名前に印をつけた。同じ道具でも材料が違うものがある。ここを忘れて
書いてしまうと減点だ。
「ええと、石製の棒器具を使い、魔力を少しずつくわえて馴染ませる」
読み上げたところでタビーは息をついた。今日の範囲はここまでだ。もう一度
読み直そうとしたところで、ノックの音がする。
「はい」
「タビー、いる?」
フリッツの声だ。途端に応じる気が失せるが、返事をしてしまったから仕方な
い。
「あの、自習時間なんで……」
扉越しに声をかけるが、忍び笑いが返ってくるだけだ。
「ええと、明日に」
「タビー。出世払いなんでしょ?」
「……まだ出世してません」
「いいよ、今のタビーに出来ることだから」
どう言っても動く気がない事だけは判る。タビーは溜息をつき、内職道具を手
早く片付け、のろのろと扉を開けた。
「やぁ、タビー。こんばんは」
「……こんばんは」
フリッツは、今夜もくねくねしている。
いつも思うが体の一部分だけではなく全体がくねくねして見えるのだ。タビー
の錯覚かとも思うが、どうやらそうではない様で、同期生の間でも『あのくねく
ねとした先輩』と言えば話が通じる。
「あのね、タビーにお願いがあるんだ」
「はぁ」
講義後に預かった手紙は既にラーラに手渡し済みだ。今日も見事に握りつぶさ
れ、ごみ箱へ直行だった。
「これなんだけど」
彼がひらり、と取り出したのは、小さな正方形の黒い布だ。タビーの顔が反射
的に引きつる。
「タビーは、手先が器用だって思い出したんだ」
にっこり微笑むフリッツが、恐ろしい。
「あ、あの、その小さな布を……どうしろと」
「今、流行ってるんだよ。この周りにレースをあしらうのが」
ガツンと頭を殴られた様な気がする。内職のことは、騎士寮の誰にも言ってい
ない。ギルドと依頼主は把握しているだろうが、誰が受けたかを易々と外部に漏
らしたりはしないだろう。
(……どこから聞いたんだろう)
嫌な汗をかきつつ、タビーはどうにか口を開く。
「それは……ええと、いい趣味ですね?」
疑問形になったのは仕方ない。貴族の流行など、タビーは知らない事になって
いる。
「でしょう?でね、タビーにはこの回りにレースを編んで欲しいんだ」
「……は、はぁ」
黒い正方形をひらひらとさせている。絹に似ているが、どこか光沢のある不思
議な生地だ。
「で、でも材料も道具も……」
「用意してあるよ」
どこからともなく出て来たのは、レース編み用の針と、同じく黒く染まった編
み糸である。やはり普通のレース用糸には見えない。
「な、なんか……黒って、あまり、その、縁起よくないっていうか」
「騎士団の制服は黒だよ」
「は、はぁ」
「それでね、普通はこの正方形に大きくレースを付けるんだけど、できればこの
正方形と同じ位の長さで作って欲しいんだ」
「あー、でも、その、編み図がないと。普通にこう縁取りくらいしか出来ないん
で」
「大丈夫」
フリッツはあくまでにこやかだ。
「編み図はこれ」
どこから出したとか、何故持っているのか、もう聞きたくなかった。編み図を
見れば、ギルドで依頼されたものより複雑だ。難易度が高いと言ってもいい。
「あー、これは……難しいですね」
「これが難しいって判るなら、大丈夫だよね」
「いえいえいえいえ」
断りたい。これに取りかかったら、内職の方が疎かになりそうだ。
「あ、失敗したときの為にもう一枚布は持ってきたよ」
「いえいえいえ」
得体の知れない黒い布と黒い糸、フリッツが何をしたいのか何となく判るが、
それを理解したくない。
「でね、できあがったものをラーラに渡して欲しいんだ」
「多分、捨てられます」
「そこで君の出番じゃないか」
今夜一番の笑みを浮かべ、フリッツは一層くねくねとした。
「君から、ならラーラは受け取るだろう?」
「……」
思考が停止する。確かに、自分からなら受け取ってくれるかもしれない。だが
あのラーラがレースたっぷりのハンカチを使うだろうか。箪笥の肥やしになりそ
うだ。
「あの、私、やっぱり……」
「ハンカチには小さいけど、この位の大きさなら髪をまとめるのに使えるし」
「は、はぁ」
ラーラやイルマは普段、後頭部で髪をまとめている。前世で言うところのポ
ニーテールだったり、団子の様にまとめたり、三つ編みにしたりと気を遣ってい
るのはタビーも知っていた。
「騎士団に入ったら、仕事で使えるのは黒いものだけだから」
まとめた髪に被せれば確かに洒落ているだろう。だが、それをタビーから贈る
というのは違和感しかない。
「ら、ラーラ先輩にだけあげるとか、できません」
「うん、だからもう一枚布があるんじゃないか」
「いやそれ失敗した用ですよね」
「え?なに?もう一枚いるの?ちょっと時間かかるけど明日には用意……」
「いえいいです」
押し問答の様な会話にタビーは頭痛がしてきた。
「タビーなら、できるよね?」
にこやかに微笑むフリッツが、何を何処まで知っているのか判らない。
ただ判るのは、タビーがこれを断ることが出来ない、ということだ。
「……う」
「う?」
「承ります……」
全身からがくりと力を抜いて、タビーは項垂れた。
■
数日後、目の下に隈を作ったタビーから、騎士寮の紅二点であるラーラとイル
マは、髪飾りの差し入れを受け取った。
二人がそれを愛用し、後年、騎士団の女性達に広まったのはまた別の話である。




