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基礎課程も残すところ数ヶ月。
その日、タビー達に配られたのは専攻課程志望確認の用紙だった。
「まずは、皆さんがどこに進みたいかの確認です」
配布した教官はそう言いつつ、黒板に4つの専攻課程を書く。
騎士専攻課程、魔術応用課程、財政専攻課程、教養専攻課程。
基礎課程のみで学院を卒業する者もいるが、大半はいずれかの課程へと進む。
但し、教養専攻課程だけは貴族や裕福な家庭の子女に限定されている。いわ
ゆる花嫁修業をする課程だ。そちらに進むには相当な金額が必要だが、教養専
攻課程で良い成績を残すということは、よい家へ嫁ぐ為の条件に等しい。それ
だけの金額を出してでも通わせたい、というのが貴族の本音だ。
タビーの志望は魔術応用課程である。
第二志望を書く欄もあったが、敢えて空白にした。魔力にも成績にも問題が
ないのであれば、当初の志望通り魔術師になりたい。特別講義や自主練で武器
を扱ったが、そちらの才能はあまりないと自覚している。魔術師になり、広い
大陸を回ってみたい。どこかいい場所があれば、そこで落ち着きたいという気
持ちもある。
魔術師になって、王都を出て行きたい。
ここ最近になってタビーが思っていることだ。貴族のしがらみやなにやらが
あって、王都は生きづらい。タビーは、タビーだけの居場所が欲しかった。そ
のために、魔術師の能力は役に立つだろう。
書き終えた用紙を教官に提出して、タビーは教室を出た。
最近では、トビアス派も形を潜めている。なるべく人の目がある所を移動し
たり、タビー自身も注意する様になって隙が無くなったのだろう。教官達も同
様で、彼女一人に任せる様な指示はしない。貴族との諍い事を回避したいのは
学院側も同じなのだろう。
「タビー」
声をかけられて振り向けば、去年同じ組だった同期生がいる。
「久しぶり」
「ほんと。ね、タビーはどこ希望?」
他の組でも同様の志望調査があった様だ。
「魔術応用かな」
「ああ、タビーなら大丈夫よね」
決闘でもうまく出来てたし、と続けられて、少々赤面する。
「あ、ありがとう……」
「私は財政にしたわ」
「私も」
財政専攻課程は官吏や公的機関への勤務を希望する者が多い。魔術応用とは
別の意味で大変だと聞く。
「あとは騎士かな。魔術に行くのは、タビーくらいかも」
「そっか……」
知人達は皆違う進路になる様だ。
「でも、そっち行ったら少し楽なんじゃない?」
「たぶん」
各種専攻課程は基礎課程以上に成績と能力が優先される。貴族だから、とい
う理由は通用しない。
「共同実習とか、一緒に出来るといいね」
「うん、そうだよね」
話をしつつ、寮への道で別れる。今日は内職の受け取りがあるので訓練は休
みだ。寮へ戻り、支度をすませると学院を出る。
昨日のうちに外出届を出して置いたため、正面入口の管理人に咎められるこ
ともなく王都へ出られた。
買い物もしたいが、懐具合が寂しい。大好物である果物の砂糖漬けを横目に
まっすぐ商業ギルドへと向かった。
「こんにちは」
一声かけてギルドへ入る。いつもと変わらず綺麗に整えられたギルド内と、
それに反して依頼が折り重なった古い掲示板。給金のいい代筆屋の案件がいく
つかあったが、終日拘束が基本だから今は無理だ。
「やぁ、タビー」
受付にいた若い男が立ち上がる。
「待ってたよ」
「すみません、急に」
最近とんとご無沙汰していたのに、いきなり内職の斡旋をお願いしたのだ。
それを受け付けて貰えるだけでも有り難い。
「座って」
受付にある椅子を示され、そこに腰を下ろす。男は奥に行き、戻ってきた時
には大きな包みを抱えていた。
「……なんか、凄く大きいですね」
「はは、ちょっと量があるんだ」
中から出て来たのは、様々な色の布だ。絹独特の光沢があるが、大きさが微
妙だ。チーフにするにも小さすぎる。
「レース編みは出来たよね?」
「はい、編み図があれば」
「うん、これ」
男が差し出した図は、細かい編み方を指定してあった。ざっと眺めたが、特
殊な編み方はない。基本を少し捻った程度で、このくらいならタビーでも出来
る。
「大丈夫そうです」
「よかった。見本はこれ」
袋の中から出て来たのは、絹のまわりにたっぷりとレースを縫い付けたハン
カチの様なものだった。
「最近の流行でね。レース部分の方が大きいのが特徴」
「凄いですね」
「今はまだ貴族だけだけど、まぁそのうち下にも来るよ」
「なんか、使い勝手はよくないというか」
「爪を引っかけそうだよね」
笑った男は袋の中を見せる。
「布と、レース用の糸。針は一番下に2本入ってる」
「わかりました」
「どのくらいでできる?」
「編んでみないと何ともいえませんが……」
四方を全てレースで編むとして、自習時間に何枚出来るかを計算した。これだ
けのレースだと、慣れるまで時間が掛かりそうだ。それも考えて1日3枚位と
申告する。
「わかった。とにかく今は出せば売れるんだ。丁寧にやって欲しいけど、時間
も気にして欲しいな」
「はい」
「取りあえず、次の休みにできあがった分だけ納品ね」
「わかりました」
材料と編み図を袋にまとめ、更にそれをエルトの袋へ入れる。ここに入れれ
ば汚れないし、落とす事も無い。
「頼むよ……でも、大丈夫なの?学院は」
「はい」
たぶん、とは言えなかった。ギルドには今までも便宜を図って貰っている。
「じゃ、お願いするよ」
「わかりました」
一礼してギルドを出た。寄り道をする暇はない。寮に帰ったら早速編み図を
見て、一度編んでみなければ。ある程度の法則が決まっていれば、それ程考え
なくても編めると思うが、実際に編むまではわからない。
「でも、こんなのが流行るんだ……」
貴族の流行は暫くすると庶民にも伝わる。と言っても、それを持てるかどう
かは懐事情によって異なるが。ただ、この程度のものであれば、手が届く範囲
だろう。贈り物にはいいかもしれない。
「……ハンカチかぁ」
前世で何かの折に貰った記憶がある。積極的に買わなくても、何かのたびに
手に入るもの。だがここでは手ぬぐいの様なタオルが一般的だ。ハンカチと呼
ぶものは高い。今回のは絹とレースだから尚更だ。
「早く帰ろう」
冷たい風が吹き付ける。タビーは首をすくめ、早足で学院へと向かった。




