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今日は、タビーが待ちに待った実習の日である。
今までも実習はあったが、学院内、王都内だけで、外に出ることは無かった。
だが、今日は違う。
乗り合い馬車を借り、王都の外に出るのだ。
タビーは生まれも育ちも王都だが、外に出た事は無い。地方に比べれば安全
だというが、魔獣も出るし盗賊や無法者もいる。独りで外に出るなど考えもし
なかった。
今日は馬車で指定の場所まで行き、学院まで歩いて戻ってくる、という実習
だ。王都の門が見える距離らしく、それほど遠く無いのだろう。
ある程度の距離毎に教官がおり、危険度も低めだ。最も、何かあってからで
は困るから、騎士専攻課程から有志が警戒に出ている。
「……」
乗合馬車は、案外狭い。誰もが緊張しているのか会話も無かった。タビーが
いるから、お貴族様な同乗者達が口を開かない、という可能性もあるが。
だが、そんなことはどうでもいい位、タビーの心は王都の外に向かっている。
ギルドの仕事で防護壁に昇った事があるが、王都外は草原といくつもの道が
交差している場所だった。遠くに海が見え、きらきらしていたのを覚えている。
(いつか、海にもいってみたい)
王都から1日もあれば着く海の側には、大きな港町があるという。交易の船
が行き交い、とても賑やかな街らしい。王都では酢漬けや塩漬けにした魚介類
が流通しているし、大きな商店では異国の細工物も扱っていた。それらは港町
から仕入れていると聞く。実際に行けば、もっと珍しいものもありそうだし、
仕事も王都とは違いそうだ。
ほうっと溜息をつくタビーに、隣に座っていた同期生がびくりと体を動かす。
緊張しているのか、それとも馬車に酔っているのか、顔色が悪かった。
「大丈夫?」
「な、何が?」
話しかけられた同期生は顔を引きつらせる。
「気分、悪くない?」
「気分?」
「うん、顔色がよくない」
「……」
自覚はない様だ。同期生は顔を撫でて、暫く考え、首を横に振る。
「いや、大丈夫だ」
「それならいいけど……」
貴族の乗る馬車と乗合馬車では乗り心地も違うだろう。とはいえ、強引に自
覚させて状況を悪化させるのも申し訳ない。タビーはそれ以上の問いかけを控
えた。
馬車は少しずつ速度を落としていく。もうすぐ到着するのだろう。
今日はただ王都まで戻ればいいだけだ。条件はたった一つ『一人で戻る』だ
けである。
これは進路を決める為にも必要な実習らしい。魔力がある、憧れているだけ
で魔術応用や騎士専攻課程に行こうとしている者達に、最低限の現実を体感さ
せるものだ。
事実、貴族の中にはこの実習の後に進路を変更する者が多いらしい。引きこ
もりの典型に見える魔術師の研究職でも、現実には徹夜や現地調査などがある
ため、この程度で音を上げる様では無理だ。
同じ様な実習を何度も繰り返し、生徒に丁度良い進路を決めてもらいたいと
いうのが学院側の考えだろう。
「降りてください」
御者席から声がかかる。馬車の後ろから順番に生徒が降り始めた。
馬車を降りると、周りは草原だ。少し離れた所に道がある。その先には王都
の防護壁が見えた。
「ああ……」
草の間を通る風が心地良い。青くさい匂いも何処か懐かしく感じる。生徒を
下ろした乗合馬車は、それぞれ王都に戻りだした。心細い表情をしているのは
やはり女生徒が多い。
風の心地よさに目を細めていると、集合の合図が掛かった。全員で教官の前
に並ぶ。首席のタビーは先頭だ。
「タビーから一人ずつ、順番に学院へ向かうように。夕暮れまでには到着する
こと。休憩は好きに取っていい」
『はい!』
生徒の返事に教官は満足そうに頷く。
「前に行く者を抜いても構わない。但し、他の者と連れだったり、喋ったりし
ながら歩くことは禁止だ。どうしても無理だったら、最寄りの教官に相談する
こと。動けない生徒を見かけたら、都度教官へ報告を」
学院までの到着時間を争うものではないので、気楽だ。タビーはのんびりと
歩くつもりだった。夕暮れまでは半日以上ある。持ち物に指定がなかったのを
いいことに、菓子類をポケットに忍ばせてきた。飴があればよかったが、ここ
では水飴の様なものしかない。流石に持ち込めなかった。
「タビー、行きなさい」
「はい」
タビーが前に進み出ると、生徒達がざわめく。彼女に向けた、というよりは
始まってしまう、という期待と不安の様な声だ。
タビーは道へ向かって歩き出す。草原を歩いてもいいが、初めてなのだから
一番歩きやすい道を選んだ。道を歩き出すと、後ろから足音が聞こえる。少し
して、彼女をすうっと抜いていったのはヒューゴだった。騎士専攻志望だとい
うから、体力にも脚力にも自信があるのだろう。
――――タビーにはどうしようもない、足の長さという差もあるが。
この後には、トビアスが来るはずだ。決闘騒ぎ以来、お互いに関わろうとは
していないし、出来れば今も顔を合わせたくなかった。
後ろから足音は聞こえてこない。ちらりと振り向いたがトビアスの姿は見あ
たらなかった。前を向けば、ヒューゴの背が見える。
「……」
少し、歩く速度を上げてみた。
ヒューゴとの間隔はさほど変わらないが、充分だろう。この間隔を維持して
歩くことにする。
一定の速度を保つことは、さほど苦では無い。これが走るのであればまた違
うが、歩く程度なら今のタビーには容易かった。物珍しさにきょろきょろしつ
つも、目印代わりのヒューゴの背を見失わなければいいのだ。
王都への道は舗装されており、馬車が2台すれ違えるだけの幅がある。石が
嵌めこまれているが、所々が破損しており、気をつけないと躓きそうだ。時折
タビーを抜いていく馬や馬車がいた。日常的に使われる道なのだろう。
一夏を訓練三昧で過ごしたタビーは、怪我をした事が嘘の様に体力をつけて
いる。
カッシラー教官に勧められ、休暇が終わった後も自主的な訓練を行っていた。
走り込みや素振りは相手がいなくても出来るし、訓練場を使えば雨でも大丈
夫だ。そうやって自主練を続けたせいか、この程度の道は楽に歩ける。
休憩を取ろうかと思ったが、ヒューゴは止まらない様だし、もう少し行って
からでも大丈夫だろう。自分の体力を考えても、まだ余裕があった。
再び後ろを振り向くが、トビアスの姿はない。それ以外の生徒も見あたらな
かった。ヒューゴの歩く速度が速いのか、それとも既に棄権したのか。
「……ありえないか」
トビアスは騎士専攻課程を希望していた筈だ。
となれば、幼い頃から英才教育を受けており、この程度の距離は問題ない。
フリッツに言わせれば、家の面子を潰した彼が騎士専攻に進める訳がない、
という事だったが、そうであっても実習には関係ないだろう。
ヒューゴは相変わらず淡々と歩いている様だった。タビーも同じ程度の間隔
を保って歩いて行く。時折王都の方角と自分の歩いている道を確認しながら、
黙々と歩くだけだ。
腰に下げたエルトの袋から、小さな水袋を出す。歩きながら水を口にし、ま
た袋に戻した。こういう特殊なものの使用も許可されている。強制的に体力や
脚力を上げる魔道具でなければいいのだろう。補給も対策のうちだ。
ヒューゴを目印にして歩いていると、思ったより早く王都の門が近くなって
きた。クッキーは無駄になりそうだ。
軽く息をつき、空を見上げて目を細める。
いい天気だった。雲一つない、澄みきった青空。このまま寝転がったら気持
ちいいだろう。前世ではそんな経験が無かった。無機質な建物に囲まれて、そ
の合間から空を見上げていた様に思う。
もう一度ほうっと息をついた瞬間、視界を黒いものが過ぎった。




