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決闘騒ぎが起こってから、タビーの立ち位置は少しだけ変わった。
正攻法ではないものの、正当な決闘で勝利を認められるということは、一定の
評価が成される、と同意義である。
「すまなかった」
決闘の次の日、驚いたことにヒューゴ・ギルベルトから謝罪を受けた。
しかも、皆がいる前で。
「あ、いえ、私も……その、決闘で色々言ってごめんなさい」
指さし付きで罵ったのは間違いない。相手を怯ませて時間を稼ぐ方法だったと
はいえ、ヒューゴへの言葉はなくても良かった筈だ。
「いや、あれで目が醒めた気がする」
自分は驕っていた、と告げた彼は、深く頭を下げる。
タビーも同じ様に頭を下げ、二人の間のわだかまりはある程度解消された。
それを見た同級生達も、タビーを『いないもの』として扱うことは、ほぼ無く
なった――――一部を除いて。
ヒューゴは特に自分の派閥に彼女を引き込もうとはしなかった。それは有り難
かったが、逆にトビアス一派からは目の敵にされたのである。
定番の『下賤の者』呼ばわりはまだしも、すれ違い様にわざとぶつかってくる、
足を出されるなど、小さな嫌がらせは多かった。
だが、タビーは気にしない。
謂われの無い暴力に比べれば可愛いものだったし、ぶつかってくる気配を察し
て避けたりしている。
教本や持ち物にいたずらされるかもしれない、と警戒していたが、お貴族様は
そんな小さいいびりはしないらしい。
――――わざとぶつかるのは、小さいと思わないでもなかったが。
だから、油断した。
「……こうきたか」
開かない扉を何度か押して、タビーは溜息をついた。資料を返却しに来た所を
閉じ込められたのである。
「まいったなぁ」
肌身離さず身につけているエルトの袋には、手助けになる様なものは入ってい
ない。
決闘騒ぎの様に防御膜を張って広げれば部屋を出られるだろうが、その為の道
具もなかった。第一、資料室を破壊する訳にはいかない。
「おーい」
声を上げてみたが、反応は無かった。資料室には内鍵の様なものはない。外か
らのみ鍵が掛かる。だが鍵はタビーの手の中にあるから、おそらく何らかの方法
で出られなくしているのだろう。
トビアスの取り巻きなら同い年、魔術を使っていない筈だ。
かんぬきの様なものを掛けてるのか、紐か何かで縛ってあるのか、もしくは、
重いものでも置いてるのかもしれない。物音がまったくしなかった事は不思議だ
が。
いずれにしても、扉が動かないことだけは確かだ。
「……行っておいてよかった」
資料を返す前にお手洗いに行ったのは幸運だった。少しは心に余裕が持てる。
食べ物も水もないが、半日位は大丈夫だろう。
夕食にタビーがいなければ、アロイス達が気づくはずだ。
万が一、急な訓練で彼らがいなくてもフリッツがいる。どこにもいないとなれ
ば、学院に来るかもしれない。
「どうしようかな」
とりあえず、床の埃を払って座ってみた。資料保管のためだけに作られている
部屋に机はあるが椅子はない。窓もなく、唯一、天井に近い所に通風口代わりで
あろう小窓があった。
「……寝るか」
残念ながら解決策は全く思いつかない。いたずらに思い悩むなら、寝ている方
が楽だろう。騒げば体力を消費する。
こうと決めたらタビーの動きは早い。埃っぽいのは仕方ないが、できる限り払
い、大変申し訳ないと思いつつ積み上げてあった本を2冊ほど床に置く。
「あ、丁度良いかも」
多少の硬さはあるが、簡易枕としては充分だ。ローブを羽織ったまま寝そべる。
「やれやれ……」
溜息をつきながら、幾度か体勢を変える。楽な位置を見つけると、タビーはそ
のまま目を閉じた。
■
学院には、いくつかの不思議な話がある。
それは上級生から下級生へと語り継がれるものであり、長い歴史を持つ学院で
あればこそ、というものでもあった。
有名なのは、ビショフ家の悲劇だろう。
当時貴族しか通えなかった学院で、ビショフ家の嫡子と、とある子爵家の子女
が恋に落ちた。
ビショフ家は侯爵であり、子爵家の子女とは釣り合いが取れない、と二人の間
を引き裂いたという。
絶望した子爵家の子女は自ら命を絶ち、それを知ったビショフ家の嫡子は狂っ
た挙げ句、やはり自害して果てた。
この二家は亡くなった二人以外の子がおらず、養子を迎える事も認められず、
最終的に二つの家は途絶えたのだ。
多感な時期にある女生徒達は怖がりつつもこの話が好きだったし、そんな恋を
してみたいと夢見る者達も少なくない。
だが、その結末が悲劇的なもの故に、同じ位恐れてもいた。
「……あら」
最上級生の少女は、資料室前に置かれている像に目をとめる。
「ねぇ、ここにこんなもの……ありました?」
「いいえ、私はまったく」
「私も」
「私も……」
資料を抱えた上級生達は顔を見合わせた。
「何か、あったのかしら」
「何か、ってなんでしょう」
「何かって……ねぇ」
少女達は不安そうな表情を浮かべる。最上級生と言えども大人ではない。講義
が終わり、静かな院内は彼女達の不安をかき立てた。
「でも、資料を返さないといけませんわ」
貴族らしい少女が意を決した様に顔を上げる。他の者達も頷いた。
「でも、どうやってどかしましょうか」
普段は階段の踊り場に飾ってある像である。重さもそれなりだ。
「では、私が魔術を使いましょう」
「そうね、お願いできるかしら」
「でしたら、私が資料を預かりますわ」
少女の一人が短い杖を取り出す。
「横にどければいいかしら」
「とりあえずそうしましょう。片付けたら、教官にどうすればいいか伺わないと」
「そうですわね」
杖がくるりと輪を描いた。
音もせず、像が少しだけ浮き上がり、少し離れた所にそっと置かれる。
「ありがとう……あら」
「どうなさいました?」
「鍵は、かかっていない様ですわ」
「まぁ」
ここに来る前、教官室に寄った少女達は資料室の鍵を見つけられなかった。
誰かが使っているのだろうと考え、取りあえず資料室に来てみたのだが。
「……鍵がないから、こんなものを置いたのかしら」
「きっとそうですわ。誰かがなくしてしまったのでしょう」
「困りますわね。教官にお伝えしなくては」
「とにかく、早く片付けましょう」
杖をしまった上級生は、扉の取っ手を引く。かちゃり、と音がして扉が開いたの
を確認してから、預かって貰っていた自分の資料を受け取った。
「時間がかかってしまったわ。さ、早く……」
少女の一人が中に入る。夕日の差し込んだ資料室は、鮮やかな橙色に染まってい
た。
他の少女も続いて入ろうとした所で、ぴたりと足を止めた。最初の少女が動かな
いのだ。
「どうかなさったの?」
瞬間、立ち止まっていた生徒はふらりと倒れ込む。
「きゃっ!」
「危ない!」
資料を落としつつ、後ろにいた少女が倒れた少女を受け止める。慌てて顔を覗き
込むと、真っ青だった。
「いったい……」
問いかけた少女は資料室を見回し、そして息を呑んだ。
誰かが、いる。
ゆっくり視線をずらせば、散らばった本。
鮮やかな夕日に昏い色のローブが影を落としていた。
少女は、大きく震える。
影は、赤い。
まるで、血の様に赤く、ローブの主を彩っている。
「――――」
彼女が覚えてるのは、そこまで。
意識が遠ざかる中、同級生達の悲鳴だけが耳に残った。




