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荷物をまとめたタビーは割り当てられた寮から出た。3日間しか過ごし
ていない部屋には愛着もない。荷物も必要なもの以外出していなかったか
ら、支度に時間はかからなかった。
タビーは既に任命書を貰っているが、他の志願者はどうなのか。神殿か
ら来るフォルカーなら知っているのか、疑問は尽きない。
タビーは騎士になり、タルナート家の企みからうまく逃げ切った。討伐
隊が自分を含めて5人しかいないのは不安だが、とにかく生き延びる事が
最優先。
もう一つ、タビーが期待しているのは討伐隊の名目であちらこちらに行
けること。その中にタビーの暮らせそうな町や村があるといい。
今までの討伐隊が全滅、もしくは命からがら逃げ切った者がいることは
理解している。そして魔術師や神官は1人も戻ってこなかった事も。
不安がないといえば嘘になる。でもそれ以上に期待も大きかった。
タビーは実習等以外で王都をでたことがない。今回の討伐行ではどこに
行くのか。最終目的地は最果ての谷。無事にそこへたどり着けるのかも判
らない。そもそも討伐隊なのに5人しか志願者がいないとは思わなかった。
クノール子爵がわざわざ説得してくれたのもそれが理由だろう。
今日はシュタイン公爵、騎士団では将軍と呼ばれる彼のところへ出頭す
る。そこで顔合わせが行われ、共同生活を始める場所の確認、その後は訓
練になるのか判らない。
ふと、甘い匂いを感じた。
どこかでかいだことのある匂いだ。何だったろうかと思い出す前に、目
的の場所へ辿り着く。
騎士団の事務方や薬術師達が詰める建物だ。
目的の部屋は最上階、5階である。将軍も階段を昇るのだろうか。この
世界にはエスカレーターもエレベーターもない。魔術で浮かぶ事はできる
が、飛び続けることはできなかった。そもそも将軍である彼は、魔術を使
うことができない筈だ。
とりとめもない思考に、タビーは少しだけ笑う。どうやら自分は緊張し
ているらしい、と自覚した様だ。
扉を開ける。事務方はいる筈だろうに、建物の中はやけに静かだった。
階段は目の前にある。
磨き込まれた階段に足を乗せると、僅かにきしむ音がした。
■
「まったく理解に苦しみますな!」
長い髭を撫でながら、男は宰相を見やる。
「確かに討伐隊の人数は少ない。だが神官や魔術師もいると聞いておりま
すぞ」
「なかなか優秀だとの噂で」
そばにいた男が追従する。
「そもそも我らの持っているのは私軍、あくまで領内の警備をするための
もの」
「協力しろとおっしゃるが、その費用はどうされるおつもりか」
貴族は警護や領内の守備を理由に私軍を持つ事が許されていた。そもそ
も騎士団はシュタイン公の私軍だったのを、国軍に転換したのだ。
人を雇うには金がいる。警護が出来る人間は、他よりも高い給金が必要
だ。いくら女王の命、討伐隊の支援といえども簡単に動かせるものではな
い。
「陛下の命には従えないということか」
「対価が必要と言っているだけだ」
貴族の主張は筋が通っている。私軍の持ち主は貴族であり、命令も彼ら
が行っているのだ。費用も負担せず、ただ『協力しろ』では、貴族達の持
ち出し分が増えるのみ。旨味はどこにもない。
「金か」
宰相の言葉に、貴族は鼻白んだ表情を浮かべる。
「宰相閣下は、下賤の者と付き合ううちに、品性まで失われたか」
「老いとは残酷なもの。しばし、何処かで静養されては如何か?」
彼らの応えを、宰相は黙殺した。
「と、とにかく」
貴族の一人が口を開く。
「とにかく、私軍の協力は難しい。そもそも討伐隊が5人など。我らの私
軍が協力したところで、魔獣の餌になるだけよ」
「宰相閣下、英雄はもういない。その末裔も求心力をもたぬ。討伐隊が集
まらないのも、そのせいだろう」
言いたい事だけを言い、彼らは部屋を出て行く。
溜息をつくと、宰相は眉間を軽く揉んだ。予想はしていたが、ここまで
非協力だとは思わなかった。
「……どうなさいますか」
宰相は振り返り、幾重にも重ねられた飾り布を見る。少しして、顔を強
ばらせた女王がそこから出て来た。
「対価とは、なんですか?」
真っ直ぐに聞いてくる女王。
「本来は私軍を動かした費用、と言いたい所ですが……」
「違うのですか?」
「彼らの身内から王配を選べば、すぐにでも協力してくれるでしょう」
宰相の言葉に、女王は硬直した。討伐隊は王や女王が命じてつくられる
もの。その討伐隊への協力を、貴族は断らないと思っていたのだ。
「陛下」
宰相は杖を使って立ち上がる。
「政に私情をはさみすぎてはなりません」
「私情?私は……」
「では、なぜ討伐隊の派遣を決めたとき、貴族への協力を要請されなかっ
たのか」
「それは」
「陛下がご存知の方が、あの中にいる。だからこそ貴族の協力などを口に
したのではありませぬか?」
「宰相、私は」
「あの者は」
宰相は女王の瞳を見据える。
「理由はどうあれ、討伐隊に志願した者。それ以上でもそれ以下でもない
のです」
「……」
女王は無言のまま、宰相を見返した。
「それなら、私は……」
「討伐隊が魔獣への生け贄なら、陛下、あなたは国のための生け贄です」
「!」
「強い王や女王ならよいのです。力を持ち、貴族を統べる。多少の私情を
織りこんでも、誰もが目をつぶる」
女王は違う。王位につくとは誰も思っていなかった。本人すら。
帝王学を仕込まれ、何もしなくても王になるはずの兄とは、全く違うの
だ。
「陛下、討伐隊の者が戻るとは思いませぬ様に」
女王が息を呑む。肩が小刻みに震えていた。哀れに思うが、それを表に
出す事は宰相として許されない。
「……戻ります」
青ざめた顔のまま、女王はそう告げた。
宰相が机上のベルを鳴らすと、直ぐに近衛がやってくる。四方を近衛騎
士に守られて、女王は宰相の執務室を出た。
■
大きな扉だった。
タビーは息を整え、思い出した様に自分の格好を確かめる。
騎士になってからは、ローブを着ていない。そんな自分にまだ慣れてい
なかった。
「釦は全部とまってる、裾も上着も大丈夫」
小さい声でもう一度確認してから、タビーは手をあげ、扉を叩く。
「入れ」
くぐもって聞こえる声。彼女は一息ついてから、扉を開けた。
「タビー、出頭いたしました」
「結構」
将軍は、窓際に立っている。逆光で表情を伺うのが難しい。タビーは騎
士の礼を取り、部屋に入った。
シュタイン公爵は、騎士団を取りまとめる将軍でもある。討伐隊は女王
の直下にあるものと位置づけられてはいるが、実際の指揮を代行している
のは彼だ。
「これで、5人揃ったか」
シュタイン公は傍らに控えていたヘスに声をかける。
「5人だけ、というべきでは?」
「悲観しても何も始まらない」
彼はタビーに視線を向けた。
「騎士になるとは思わなかったが、歓迎しよう」
「ありがとうございます」
「志願を取り下げるつもりはないな?」
「ありません」
タビーは即答した。
「では、残りの4人と会わせよう。ヘス」
「はい」
「後を頼む」
「かしこまりました。タビー、こちらへ」
入って来た扉からまた廊下へ戻る。挨拶としてはあまりに簡単だ。
「あそこが、貴様達の住む家だ」
廊下の窓から見える小さな家。執務棟からそれほど離れていない。
「他の人はもう?」
「ああ、先に入っている」
聞けば、何人かはもともと王都にいたという。一人だけ地方にいたが、
彼も昨日到着し、あの家に入った。
「タビー」
「はい」
「準備期間の間、外部の者と接触することを許されない」
「……はい」
「面会に誰かが来たとしても、追い返すことになる」
一瞬、ジルヴェスターの顔が頭を過ぎる。挨拶も、約束も果たしていな
い。
「わかりました」
「条件は他の者も一緒だ」
外部の者と会うことで、里心がつくのを避けたいのだろう。志願者が5
人しかいないのだ。これ以上減らすわけにはいかない。
「手紙のやりとりは出来るが、事前に検閲が入る」
「検閲……」
言葉の意味は判る。実際にそういうことを経験するとは思わなかった。
「他にも多少の融通は利く。必要があれば言え」
「はい」
「それと」
じゃらり、と音がする。どこかで聞いた様な馴染んだ音。
「残りは全部男だからな。寮ではこうしていたのだろう?同じようにすれ
ばいい」
「……」
渡されたのは重い鎖と錠前。寮にあったものと似ている。良く知ってい
るな、と思ったところで思い出した。目の前の男は、あのフリッツの父親
だ。
タビーは鎖と錠前をエルトの袋に突っ込む。
階段を降り裏口をでる。『家』までそれほど遠く無い。
煉瓦の様なもので作られている、角張った家だ。王都には珍しい形であ
る。普通の家は三角屋根で、天井が高く作られている事が多い。目の前に
ある様な家はどちらかというと商店向きだ。
「入口の鍵を渡しておこう」
「はい、あの、この家は普段、何に使われているんですか?」
「訓練に使う事もあれば、懲罰房代わりに使う事もある」
「懲罰房……」
タビーは顔を引きつらせた。
「誰も彼もが品行方正だと思っていたか?」
ヘスは低く笑う。
「騎士とて人だ。欲望や堕落に負けることもある」
彼自身、そういうものにぐらつかなかったと言えば嘘になる。
「だが、結局騎士に戻る。頭を冷やせば、自分にはそれしかないと判るか
らな」
彼は扉の前に立ち、くるりと振り向く。
「後は自分でやれ」
「え?あ、あの、紹介とか……」
「基礎課程の子どもか、貴様は」
じろりと睨まれて、タビーは顔を引きつらせた。フリッツには睨まれた
ことなどない。この二人はあまり似ていないな、と、くだらない事が頭を
過ぎった。
タビーが戸惑っているうちに、ヘスは執務棟へ戻って行く。それを見送
り、彼女は緊張した様に鍵を見た。鈍色の鍵を、そっとドアに差し込む。
扉を開き、中を覗き込んでみた。誰もいない。
中に入ってから扉を閉める。見回すと食事ができる大きなテーブルと椅
子があり、更にその奥は台所の様だった。開け放たれた右側の扉の、向こ
うは居間に見える。階段は奥の方だ。
みしり、みしりという音がして、誰かが降りてくる気配がする。
彼女は背を伸ばし、目をこらした。階段を降りた者は、ゆっくりとこち
らに近づいてくる。
「……!!」
タビーの口から、声にならない声があふれた。




