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騎士団の3回目の試験が近づいている。
いつもはゆるみがちなクヌートも、今回ばかりは違う。
本人いわく『実習で総大将やった時より気合いが入ってる』そうだが、
あの時は泣き言満載だった記憶があるタビーは聞かなかった事にした。
とりあえずこれだけの同期たちが協力したのだから、受かってもらわね
ば困る。
下級生たちの講義参加者も増えていた。特に休日のザシャの講義は人気
がある。これでいいのかと思わないでもないが、ザシャもクヌートも気にし
ていない。
タビーは念願の魔術師となり、旅の支度に熱が入る。エルトの袋は9つ
になった。手紙のような報告書を出すだけで、満足してくれる支援者など
滅多にいない。この際、支援者のことを気の済むまで頼るのもいいかもし
れない。
主に資金源として。
9つ目のエルトの袋は支援者であるフリッツからの贈り物だ。王宮魔術
師の一人が開発したもので、まだ魔術ギルドでも売られていないもの。フ
リッツはその開発に少々手を貸したらしく、お礼に貰ったものをタビーに
くれたのだ。
魔術師は9の数に縁があるという。
9つ目の袋に何を入れようと思案しながら、タビーは市場を巡る。
ジルヴェスターに渡す薬も作りたいし、ヒューゴを始めとした騎士寮の
同期に贈る傷薬も作りたい。旅に備えて予備の短剣や解体用のナイフも欲
しいし、厚手のいいローブも欲しかった。
フリッツの支援は月毎に一定額だが、その金額はタビーが仕事を請け負っ
ていたときと比べものにならない。学院の支度金と同じ位だ。この金がど
こから出ているのか疑問もあったが、彼女は考えない様にしている。
資金源があるせいで暴走しそうな自分の物欲を、タビーは抑え込んでい
た。くだらないものを買ってもフリッツは怒らないだろうが、今までの節
約生活が身についている彼女は、そもそも大金を使う事になれていない。
だから、買い物はいつもと変わらなかった。
「うん、知ってる。だからまけて」
「お前、全然判ってないな……」
馴染みの卸商が顔をひくつかせていても、タビーはそれを気に留めない。
「判ってる」
「判ってなんでその値段なんだよ」
「だって仕入れ価格安かったでしょう?」
「は?」
「魔獣に襲われそうになった商隊が……」
「ば!」
卸商の主人は慌てて彼女の口を塞いだ。
「お、お前なんで……」
「ね?まけて?」
上目づかいに目をぱちぱちとさせてみる。残念ながら、それには何の効
果もなく、主人は溜息をついて厚手の生地を引っ張りだしてきた。
「全部買うなら考えてやる」
布はかなり丈夫で染められていない。試しに軽く引いてみたが、折り目
も撚れなかった。自分で染めてから、仕立てにだしてもいい位である。
タビーのローブであれば、10着くらい作れそうなだけの量だが。
「うーん、全部か……」
「な、判っただろ。これに懲りたら」
「全部下さい」
話を遮られた主人はまじまじとタビーを見た。この生地は最上級、ロー
ブや騎士の制服にでも仕立てられるくらいの丈夫さだ。魔獣を恐れた商隊
がとにかく身軽になろうと、売り払った布のうちでも最上のものである。
「……金はあるんだろうな」
タビーは商業ギルドから認証されている商人でもあった。これは売買に
問題の無い商人に与えられるもので、彼女の年齢で持つのはかなり難しい。
だからこそ金がない、とは思わなかったが、これだけの生地を買い付け
る金となると話が違ってくる。
「いくら?」
タビーが掌をさしだした。主人は溜息をついて指で金額を提示する。
「まけて?」
「お前、二言目にはそれだな。たまには普通に買い物しろよ」
「市場では普通だけど」
「その優しさをなんでこっちに回さねぇんだ」
ぶつぶつ言いながら、主人はもう一度価格を書く。
「え、半端じゃない?切り捨てた方が楽だよ」
「お前がな」
はぁ、と溜息をついて、主人は手を挙げた。
「わかった、わかったよ。それでいい」
「ありがとう!」
満面の笑みを浮かべるタビーに、主人は脱力する。院生の彼女は、大き
い買い物をするとき、必ず下調べをしていた。商人の基本だが、院生がそ
んなことをすると思っていなかった主人にしてみれば、タビーの存在はあ
りがたくもあり恐怖でもある。今回の取引も、予想より少々減ってしまっ
たが、利益はでているのだ。その境目を読む力が彼女にはある。
「お前さん、商人になった方がよかったんじゃねぇのか?」
「商人ねぇ」
タビーはお金の入った小袋と引き替えに、分厚い布を受け取った。それ
をエルトの袋に放り込んで取引は成立だ。
「楽しそうだよね、商人」
「……やっぱやめとけ」
彼女の様な存在が常にいたら、主人の胃は壊れてしまう。たまにしかこ
ない大口の客だから、どうにか耐えられるのだ。
「ついでに他にも何か買っていかねぇか?」
それを判っていて問う彼も、また商人であったが。
「次にする。お金は大事だよ」
真顔で応える彼女は、つい先程、桁違いの取引を有利に終わらせたとは
思えない神妙な顔でつぶやいた。
■
騎士団試験の当日。
外は生憎雪模様だった。少しずつ暖かくなってはいるが、ダーフィトの
冬は長い。特に晩冬は桁違いの大雪が降ることもあった。
「……つもりそうだね」
寮の談話室から外を眺めつつ、タビーは呟く。
「まぁ、座学には関係ないからな」
暖かい茶を口にするのはヒューゴ。念のため、ということで、クヌート
を試験会場まで送り届けてきた。ついさっき、戻ってきたのだ。
「何か言ってた?」
「法令と歴史が耳から零れてるらしい」
ここしばらくは追い込みで、クヌートは常時誰かに指導されている状態
だった。睡眠時間と食事だけはタビーがどうにか確保したが、最後の方は
目がうつろになっていたのだ。
ここで受からないと、後が無い。
4回目の試験は、学院に通っていない騎士希望者のための試験だ。冒険
者だったが安定した職に就きたい者、騎士に憧れる庶民がこぞって試験を
受けに来る。いくら学院に通っていたとしても、その中をくぐり抜けるの
は難しい。
騎士団に入りたい院生は、何が何でも3回目の試験までに合格しなけれ
ばならないのだ。
「あいつ近衛に行くのに、なんでここまでやってるんだろうな」
ヒューゴも窓の外を見ながらぼやく。近衛は貴族であることが最低条件
だ。逆に言えば、貴族であり品行に問題無く、ある程度武器が扱えるなら
近衛になれる。ただし、どれだけ実力があっても、家格で判断されるから
出世はなかなか厳しい。それでも給与は破格だったし、何より貴族に食い
込める。男爵家のクヌートとしては、どう考えても近衛になった方がいい。
「本気なのかも判らないしねぇ」
誰かがいれば真面目に勉強をするが、誰もいなければサボる。クヌート
の行動は判りやすかった。だからこそ、ここ一週間、彼を一人にするのは
手洗いに行くときだけだ。
「しかし、ここで受からないとちょっとな」
3回目の試験は2回目の試験と問題が同じである。ここまで有利にされ
ていても落ちるのであれば、最早騎士としての資質を疑われても仕方ない。
「今から落ちた話をしないでください」
ここ暫く、クヌートの教師役を務めたザシャが会話に加わる。
「ザシャも頑張ったしね……受かったら、お祝いしたいね」
「ああ、それは教官が手配しているらしい」
「教官が?」
ヒューゴが言う教官とは、カッシラーの事だろう。何をするのか考える
のも恐ろしい。同じ事を考えたらしいザシャも、半目でヒューゴを見つめ
た。
「いや、俺は聞いてないぞ。ほ、ほんとだ」
二人の視線に気づいたヒューゴが慌てる。視界の隅でその姿を見つつ、
タビーは雪を眺めた。
「クヌート、大丈夫かなぁ」




