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正面でぶつかっていた両軍がざわめいた。
彼らの上を通った何かは南軍の奥に落ち、派手な音を轟かせる。
「な、なんだ?」
「魔術か?どこだ!」
「今だ!押せ!」
北軍の指揮をとる院生が声を発した。後退していた院生のうち、まず鉄
壁の防御を誇る盾持ちが最前線に出る。勢いをつけ、余所見をしていた南
軍を吹き飛ばした。
「うわッ!」
「くそ、本陣は大丈夫なのか?」
南軍は一気に混乱する。追い打ちをかけるかの様に、北軍の塹壕から弓
兵が遠隔攻撃をした。重ねる様に、魔術が乱れ飛ぶ。よく見れば、北軍の
後方支援が戦線に加わり始めた。呆然としているうちに、戦線は一気に押
し戻される。
「くそっ!誰か本陣に……」
「裏切りだッ!」
どこからか声が響いた。
「タビーが、タビーが北軍に寝返ったぞ!」
一瞬の沈黙の後、院生達は軍を問わずにどよめく。
「馬鹿な!」
「よっしゃ、寮長が来たら負けねぇぞ!」
「南軍の魔術が止まった!押せ、押せぇ!」
北軍は一気に持ち直し、南軍の混乱は更に酷くなった。勝ちは見えてい
て、後はどう勝つか、だけだった彼らは、反撃を想定しなかったのだ。
「嘘だ!」
中央に合流した北軍を追っていたジルヴェスターは、叫ぶ。
「嘘だ、嘘だ!」
勢いを得た北軍と競り合う。
「先輩が……先輩が!」
裏切るとは思わなかった。どの様な考えで南軍を選んだのかは判らない
が、タビーと裏切りは一番遠いと、信じていたのだ。
「崩れたぞ!」
「行け!」
南軍の一部が動揺し、戦線から離脱する。彼らを追うかの様に、魔術が
炸裂した。
「……嘘だ」
味方が少なくなった中、ジルヴェスターはただただ呆然とする。
「今だ、討ち取れ!」
北軍が一気に攻勢を強める。我に返った彼は、剣を収めた。
「投降するか?」
その行動を誤解した北軍の院生が笑う。
「……」
ジルヴェスターは、走り出した。あっけにとられた北軍の院生達の間を
すり抜ける。
目指す相手はただ一人。
――――タビーだ。
■
「もう少し前にでようか」
「そうね」
タビーとリリーは、暢気に歩いている。リリーの足下からは防御膜のた
てる『ぐえっぐえっ』という音が聞こえていた。クヌートは慣れた様だが
ヒューゴはその音に嫌そうな顔をしている。ラーズや北軍の面々も引き気
味だ。
「その音は……どうにかならないのか」
「改良の余地はあると思ってる」
ヒューゴの問いに、タビーは真顔で答えた。
誰にも誘われなかった演習を、彼女とてただ指をくわえて眺めていた訳
ではない。大半を自主訓練と、新しい防御魔術、そしてディール教官の唱
える魔術理論の読み込みに費やした。
いつ、誰に、どちらの軍に誘われてもいいように。
結局、誰にも誘ってもらえなかったが、それで引き下がるタビーではな
い。自分の誇りと自信をへし折られても、諦めなかった。
「……戦線が、随分上がってる」
クヌートがぽつりと呟く。周囲は味方、しかもヒューゴやラーズまでい
る。あの訳の分からない防御膜の中に入らなくていい現実を、彼はありが
たく享受していた。
「北軍に勢いがついたね。できれば、このまま行けるところまで戦線を押
し上げたいところ」
「人数に問題が無ければ、な」
ヒューゴが苦い顔をする。南軍の勢いが衰えたとはいえ、人数的にはま
だ優勢だ。冷静になれば再び向こうが有利になる。
「面倒だから、タビーの魔術でやっちゃえば?」
騎士専攻にいながら直接攻撃が苦手なクヌートは、へらりと笑う。
「それでいいなら、打ち込むけど」
「腹立たしいほど、簡単に勝てそうだ……」
ラーズが呻いた。力や技をいくら磨いても、敵に魔術師がいれば叶わな
いという気持ちになる。
「規格外だからな、タビーは。本気にするなよ」
ヒューゴは肩を落とす後輩の背を軽く叩く。
そんな事を言っている間にも、タビーは北軍の塹壕をうまく使って、南
軍に攻撃を仕掛けていた。北軍についた応用の面々も、彼女を真似てあち
らこちらから魔術を発動させる。
戦いは、止まった方が負けるのだ。
一度動いたら、戦いが終わるまで動き続けなければならない。タビーは
それを体現している。魔術応用の所属ながら、騎士の基本を押さえてると
いうのは、変な気持ちがした。
そのタビーが、ふと止まる。
「ヒューゴ」
「ん?」
「ラーズと一緒に、正面に行って」
「お前はどうする?」
「ちょっと、先に進むのは難儀かも」
塹壕の向こうに立っているのは、ジルヴェスターだ。走ってきたのか、
息が荒い。
ヒューゴはジルヴェスターの表情を眺め、そして苦笑した。彼はまだ
まだ純真だ。タビーが裏切るなど思わなかったのだろう。
「リリー、クヌート。二人はどうする?」
「私は、タビーと一緒に」
「僕は大将と行くよ」
流石にこのままじゃ役立たず過ぎる、とぼやいたクヌートは、タビー
の肩を軽く叩いてから、北軍の面々の中に入っていく。
「大丈夫か」
「たぶんね」
ヒューゴとラーズ、北軍の面々も離れる。リリーは二人から少し下が
り距離を取った。
「……先輩」
荒い息のまま、ジルヴェスターは問う。
「どうしてですか」
「……」
「どうして、どうして裏切りなんて……」
言いながらジルヴェスターは拳で目の辺りを拭った。
タビーは少しだけ笑う。彼女の取った行動は大人げない。誰かに必要
とされたいのなら、そう主張すれば良かった。それもせずに、ただ誘っ
て貰うのを待っていたのは、恥ずかしいほど傲慢である。
誰かに必要とされたかったのだ、タビーは。
この年になって、ようやく見えてきた自分の感情。
タビーは杖を構えた。すうっと息を吸い込み、腹に力を入れる。
ジルヴェスターは促された様に剣を抜いた。
最初に走り出したのはジルヴェスター。
動かずにそれを迎え入れるのはタビー。
派手な音がした。刃は潰してあるが、立派な武器だ。打ち所が悪けれ
ば大怪我の可能性もある。
「先輩……」
縋る様な眼差し。タビーはそんな彼を突き飛ばした。
「ジルヴェスター様。戦場で、そんなに気を緩ませて……死にたいの?」
呟かれた言葉に、ジルヴェスターは感情を抑え込む。
なぜ、どうして、そんな気持ちは封じ込めた。今は、ただただ目の前
の戦いに集中しなければならない。
背は伸びた。
あの頃より、手も大きい。足も長くなった。騎士と言うにはひょろり
としているのが悩みだが、それは年月が解決すると思っている。
初めて出会った時のタビーは、彼より頭2つ分は背が高かった。
今のタビーは、頭1つ分、ジルヴェスターより低い。
時は平等に流れていて、その中で彼も成長してきたのだ。
「……先輩の挑発は、猫みたいだ」
少し口元を緩めれば、ムッとした様な表情で返される。
二人は、再び武器を構えた。
杖と剣。
魔術師の卵と騎士の卵。
(……負けたくない)
ジルヴェスターは、吹き出しそうな感情を抑えつつ、タビーを見やる。
(負けられない!)
ジルヴェスターは、すっと動いた。
剣を持ったまま、素早く内へ入ろうとする。それを察したタビーがひ
らりと軽やかに避けた。
彼は、演習用の剣を持つ手に力を込める。
「……行きます」




