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前線から戻ってきた院生たちの報告を聞いて、ヒューゴは眉を顰めた。
使用不可とされていない魔術を使い、北軍を挑発している。間違いなく
ラーズとヒューゴを引っ張り出すためだ。
大将であるラーズが前線に出れば、北軍の士気はあがる。その分、負け
も近くなるが。
南軍の急襲隊を抑え込むため、北軍の主力はそちらに行かせていた。そ
の面々も既に後退し、正面の主軍と合流している。
「ヒューゴ」
「こちらを引っ張り出す陽動だ」
ラーズが何か言う前に、ヒューゴは首を振った。
「わかってる、しかし…」
このままでは彼らも動けず、個別に撃破されるだろう。本陣が落とされ
ても、大将が残っていれば負けではない。南軍に属している院生は多いか
ら、このままではラーズも倒される可能性がある。
いずれかの大将が倒れるまで続く演習だ。ならば最後の最後まで粘りた
い。
大将を動かし、挑発にのるか。
泰然自若と騒がず、最後まで耐えるか。
「……だめだ」
ヒューゴは溜息をつく。自分の考えでは、受け身すぎる。それは生き残
る可能性を高めるが、同時に大将以外の院生達を犠牲にすることと同意だ。
「ラーズ。いや、大将」
彼は、年下の大将を見つめる。
「どうしたい?」
このまま本陣を守るのは馬鹿馬鹿しい。言葉にはしなかったが、それが
二人の共通認識だ。その先を、ヒューゴは防戦と判断した。
最終的に判断を下すのは、大将であるラーズだ。
ヒューゴは自分の判断を口にせず、大将である彼に視線を向ける。
「俺は……」
籤引きで選ばれた大将だ。指揮能力など期待されていない。ナータンに
比べれば頭も回らないし、策を出す事もできなかった。
それでも、大将である。
進み方を、自分で選ぶ時なのだ。
ヒューゴと、そして主要な仲間達がいつの間にか集まって来ていた。
ラーズは、ごくりと喉を鳴らす。
「俺は……」
■
「父上」
「アンナ、見てごらん。やはりリリーのいる南軍が優勢だね」
「まぁ。でも、リリーはどこにいるのでしょう」
息子の前で、夫婦は彼の声など聞こえないかの様に寄り添っている。
「父上」
「このままいけば、南軍の勝ちだ」
「リリーは大丈夫かしら。貴方の様な騎士がいればよいのだけど……」
「いつかリリーも出会うだろう。私が君と出会ったように」
「……父上、母上!」
流石に耐えかね、彼は木のテーブルを軽く叩く。
「なんだ。急ぎでなければ後に……」
「そのリリーが、あそこにいます」
指さした方は、北軍の陣だ。しかも主力がぶつかっている所を越えて陣
の奥深くまで入りこんでいる。
「見せなさい」
息子から遠眼鏡を奪った伯爵は、急いでそれを両目に当てた。
「……なんということだ!アンナ、見なさい」
伯爵夫人もそれをのぞき込み、そしてまぁ!という声を上げる。
「あんな所まで進むなど、愚策。南軍の大将は女性を前に出して、何を考
えているのかと」
「あなた!」
息子の言葉は再び遮られた。
「あなた、リリーのそばに、男性が!」
「ああ、やはり君にも見えたんだね。彼はどこの誰なのだ?」
「リリーの服を引っ張っているわ……まさか!」
「アンナ?」
「求婚しているのかしら?」
母でもある伯爵夫人の、思い切り予想外の言葉に男は目眩を覚える。
「今は、演習中だよ。その様なことを……」
「でも、貴方は……」
頬を染めて少し俯いた妻を、伯爵は静かに抱き寄せた。
「そうだった、私が君に求婚したのは、狩りの時だったね」
その話なら、もう何百回と聞かされた息子は腕を伸ばし、遠眼鏡を取り
返した。
「私は、君をみて、すぐにそうしなければならないと思ったのだ」
「あなた……」
見つめ合っている夫婦は無視して、男は遠眼鏡で妹を探す。
見学席でそんな会話が交わされていると知らないリリーは、杖を下ろし
た。膜が消える。腕が疲れたのだろう、軽くさすっていた。
「タビー、どうするの?ここで待つのかしら」
「そうだね」
彼女は両軍がぶつかっている場所を眺めた。
「あの中に入るのは、最後にした方がいいね」
「そうね。ローブが汚れてしまうわ」
「ね、ちょっと本当に君たち何を考えてるの?」
一人置き去りになったクヌートは、のんびりと構えているタビーとリリー
を見やる。
「え、クヌート。あそこに行きたいの?」
「まぁ」
二人の言動に、流石の彼も挫けそうになった。どうにか自分を立て直し
てクヌートは彼女達を見る。
「あのさ、演習なんだよ!ちゃんと戦わないと!」
「そんなに急がなくても大丈夫だって」
タビーは笑って、北軍の本陣方向を眺めた。
「向こうだって、策は練ってると思うよ」
「じゃ、僕たちはなんでここにいるの!?」
「落ち着きましょう、クヌートさん」
リリーはタビーを信頼しきっている様だ。これでは彼の分が悪い。
「そもそも、タビーだったら本陣強襲とか出来るよね?リリーが支援すれ
ば、雑魚一掃でヒューゴと対決じゃない?」
「正面からヒューゴとぶつかったら負けるよ」
「前は勝ったよ!!」
「前は前。今は今」
クヌートが想像するより、タビーは冷静だ。
「そもそも、あの実習で私が勝てたのも、運がよかったから」
「それも実力のうちだよ!って、そうじゃなくて!ここは一度下がらない
と、レオ達がまた……」
「タビー、大将が動きました」
リリーの目は、北軍の大将旗が動いているのを見つけた。
「そっか」
「どうしましょう」
「予定通りかなぁ……」
「ね、一応聞いておきたいけど、予定って……なに?」
「陽動で北軍の大将以下を引きつける」
「……戦うんじゃん!」
「まさか」
ヒューゴ一人でも危険なのに、大将と主要な面々が揃う。そうなったら
タビーに勝ち目はない。基本的な魔術以外に使えるのは杖のみ。魔術応用
だから杖持ち込み禁止、とはならなかったが、使い慣れた杖を持っていて
もあれだけの人数を捌くのは無理だ。
「リリー」
「はい」
彼女はふたたび薄緑色の膜を展開した。クヌートまで包まれている。
「あ、そうだ。クヌート、逃げるならいまのうちね。この膜、内側から出
ることはできるけど、外から中には入れないから」
口をぱくぱくさせる彼から視線をそらし、タビーは大将旗の動きを見守っ
た。
やはり、こちらに来るのだろう。
レオ達が報告に行けば、タビーの行動が挑発だと見抜く筈だ。少なくと
もヒューゴはそう判断する。
その後は大将がどう出るか、だったが、どうやらタビーが思うように動
いている様だ。
正面でぶつかっている北軍が、自陣側に押し込まれている。側面急襲隊
を迎撃した院生達と合流しても、北軍は劣勢だ。負傷して演習から外され
る者、南軍へ降伏する者もいた。
降伏した院生は、即演習から外される。それでも参加と戦った分の点数
は得られるし、降伏した相手が勝てば加点をもらえるのだ。南軍優勢とみ
て、降伏する院生がいるのも仕方ない。
実際に騎士になれば許されないが、今は演習である。戦場での判断力を
磨くことも必要だ。
「思ったより、退くのが早い……」
タビーは大将旗を目で追いつつ、腕を組む。ヒューゴと大将をこちら側
に引っ張り出すのは計画通りだ。南軍大将は勿論、指揮官クラスの院生達
にも言っていない。完全にタビーの暴走である。
正面で戦っている北軍には、もう少しだけ頑張って貰い、どうにかこち
らへヒューゴ達を引きつけたい。彼らが正面に行ってしまえば終わりだ。
南軍はまだ戦力を温存している。北軍の主力が出れば、そこでぶつかる
だろう。恐らく、ナータンを引っ張り出すまでもなく、南軍が勝つ。
はぁ、と溜息をつきながら、思い出した様にタビーは振り向いた。
「クヌート、そこにいていいの?」
「え?」
急に話しかけられ、彼は目を丸くする。
「ここにいると巻き込まれるし、戦闘になったら守れないけど……」
「こ、この中なら大丈夫でしょッ!?」
「いやそれはそうだけど、いいの?」
「いいって、もう間に合わないよ!」
半分涙目になったクヌートが、リリーの肩越しにそれを見た。
秋の空に翻る、北軍の大将旗を。




