241
「あ、タビーだ」
疲れきってひっくり返っていたタビーは、その声に目をあけた。
「……クヌート?」
「うん。なにやってんの?」
人気のない見学席の階段。彼女はそこで大の字になって転がっている。
女性としては、慎みのない、と言われてもおかしくない格好だ。
「休憩」
「あー、タビー演習出るんだもんね」
彼は彼女の側にある見学席に座る。
「どう?勝てそう?」
「クヌートこそ」
タビーはよいしょ、と声をかけて体を起こす。
「当日の朝まで、どっちにつくか決めないんだって?」
「まぁね」
彼は得意げに鼻をひくひくさせる。
「当日朝まで待って、勝ちそうな方につく予定」
「……じゃ、南軍か」
「わかんないよ。今日は確かに南軍優勢だけど、北軍だって負けちゃい
ない。だってヒューゴがいるんだから」
「一対一で戦う訳じゃないよ」
「判ってるって」
クヌートはへらへらと笑う。
「で、情報通のクヌートは、なんで南軍優勢だと思ったの?」
「タビー、情報はただじゃないんだよ」
したり顔で頷く彼の額を指で弾いてみる。
「い、いたいっ!」
「実習のときの貸し。今すぐ一括払いで返してくれてもいいんだけど?」
「やだな、あれは仲間なんだから数にはいれないの」
けらけらと笑ったクヌートは、少し考えてから口を開く。
「南軍はね、応用の連中が結構いるんだ」
「魔術には制限がかけられるよ」
「小さい魔術も、重ねると巨大化するんでしょ?」
彼の問いに、タビーは曖昧に頷いた。
「でも、条件が厳しいよ」
「そうなの?」
「全員が発動まで完璧に同じにするなら、確かに有利だけど」
発動までの時間を合わせるのは難しい。それであれば、多少のずれは
無視して同じ魔術を使い、次々に命中させる方が確実だ。
「あ、じゃあ南軍には1年から3年の特待生が集まっている、って知っ
てる?」
「北軍には一人もいないの?」
「ヒューゴだけかな。他の特待生はみんな南軍だし」
「何でまた」
「知らないよ」
座ったまま体を伸ばすクヌートは、猫の様だ。
「そんなにヒューゴと戦いたいのかな」
「僕たちなら最後の記念に、下級生達は憧れのヒューゴ先輩と、ってと
ころじゃないの?」
「クヌートはいいの?」
にやにや笑いながら言うと、彼は頬を膨らませた。実習でヒューゴと
対戦し、完膚なきまでに負けたのだ。今更である。
「タビーは両方いけるから、手強いよね」
「両方って……そこまで強くないけど」
「でも魔術と杖術を組合わせられるんだから、これは有利だと思う」
うんうんと頷くクヌートに、タビーはまた笑った。
「大きな演習とか……合同の実習は、これが最後かな」
彼女のいるところからは、上級生も下級生も入り混じって稽古に励ん
でいる様子が見える。
「だね」
クヌートも頷く。これが終われば、最上級生は進路を決めるための試
験対策に向けて動き出す。魔術応用も同じだ。特待生は学院推薦がもら
えるが、面接や簡単な試験がある。
「……進路かぁ」
「近衛は面接だけでしょうが」
「一応、武器を持って打ち合ってみせるんだよ」
憂鬱そうに呟く彼の肩を、タビーは軽く叩いた。
「どうにかなるよ」
「うん、僕もそう思っている」
クヌートはへらり、と笑い、訓練場を見下ろした。
「どっちに行くかなぁ」
北軍と南軍。クヌートは色々な情報を持っている様だが、そのためど
ちらも選べなくなっている。ヒューゴは最上級生で一番強いから、北軍
に行く方がいい気がするが、最近実力を伸ばしてきている後輩達も侮れ
ない。
「充分悩んだらいいよ」
タビーは立ち上がる。休憩は終わりだ。
「なに?もう終わり?」
「まさか」
休ませていた体の関節を動かす。筋肉をゆっくりと伸ばしながら、彼
女は上を見た。
「どう?一緒にやる?」
「階段の走り込み!?とんでもない!!」
クヌートは慌てて立ち上がり、逃げ出す。訓練嫌いなのは本当の様だ。
小さな姿が見えなくなるまで見送り、タビーは階段を駆け上り始めた。
■
演習まで一週間を切った。
騎士専攻も魔術応用も、最後の追い込みに入っている。普段は見ても
らえない最上級生に稽古をつけてもらったり、効率の良い魔術の発動方
法を教えてもらう後輩達。小さな怪我は絶えないが、準備運動と適度な
休憩や補給を取り入れ、ここまで順調に進んで来ている。
演習を行うのは、王都郊外。
北側を避け、東側の一帯で行うという。今日からは東側の通行を制限
し、迂回して貰う通達も出ており、学院だけではなく王都でも演習のこ
とは話題になっていた。
タビーは、ぼんやりと頬杖をついている。
誰もいない講義室は、静かすぎた。だがその分、考え事には向いてい
る。
(どうしてだろう)
彼女の頭を占めているのは、それだけだ。
(やっぱり魔術ではだめなのか)
だが、それはあり得ない。同期達は参加する者も多い。最上級生は任
意だが、余程の事情がない限り参加している。
(寮長だから?)
ヒューゴは副寮長だが、最初の頃に声をかけられて北軍に参加を決め
た。
(これは、やっぱり……)
考えたく無い事実だが、もうそれしかない。
「嫌われてる、とか……」
ぽろりと言葉が漏れた。その生々しさに、思わず背筋が寒くなる。自
分で自分の言葉を嫌悪しているなど、情けなさ過ぎた。
ラーズの北軍、ナータンの南軍。
タビーは、そのいずれからも声がかからなかった。
任意参加だから、出たければ軍をどちらかに絞り込んで選べばいいだ
けだが、彼女はどちらからか声がかかると思い込んでいたのだ。
――――思い上がりも、はなはだしい。
どっぷりと自己嫌悪に陥ったタビーは、そのまま机に頬をつけてしま
う。
「……今更、参加するとか」
言ってもおかしくない、と思いつつ、どこかで声もかけられない自分
に参加する価値があるのか、と、感じてもいる。
「う、わ……」
タビーは、自分が思う以上に自惚れていた様だ。魔術応用の首席で特
待生、この立場を4年間守り切った。魔術に関しては誰にも負けないと
内心で奢っていたのかもしれない。
いずれにしても、自分の傲慢さが招いた事である。
タビーは頬を机につけたまま、長いため息を吐いた。
演習に出るタビーの知り合いといえば、ヒューゴにジルヴェスター、
ハインツやレオポルト、クヌートくらい。その中の誰かを介して自軍に
来て欲しい、と招かれるのを待っていたのだ。
「う、わ……恥ずかしい」
くだらない自尊心をこじらせている。タビーは脱力した。
「どうしよう」
演習には参加したい。卒業のための研究や論文も、このために前倒し
したのだ。だが今からいずれかの軍に申し出るのも、なんとなく恥ずか
しい。そもそも、受け入れてもらえるかどうか。
廊下を通る院生の声も、どこか楽しげに聞こえる。
誰にも誘われないと燻っているタビーとは大違いだ。
彼女はゆっくりと顔を上げる。
人に察してもらいたいと、受け身すぎた。
だが、こうなったらタビーにも意地がある。
嫌われているのは残念だが、仕方ない。参加するには両軍のいずれか
に受け入れて貰うしかないのだ。
「でも、どっちにするか……」
以前の実習ではヒューゴと当たったから、今度は共に戦ってみるのも
いい。となると、ジルヴェスターとは敵になる。
南軍にすればジルヴェスターがおり、魔術応用の面々も多い。魔術の
集団戦を経験したことがないから、そこに参加してみるのもいいだろう。
いずれも、受け入れて貰えれば、の話だが。
うちひしがれたまま、タビーはゆっくりと立ち上がった。




