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タビーと騎士の犬  作者: 弾正
演習
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 今日の夕食も変わらず肉がメインである。

 騎士寮の食事に肉が出なくなったら、それはそれで恐ろしいと思いつつ、

タビーはよく煮込まれた肉をつついた。


 騎士寮の食堂は、普段よりも賑やかだ。会話といえば演習のことばかり、

食後も談話室に集まって盛り上がっている様だった。

「失礼します」

 かたり、と音がして、タビーの対面にあたる席にトレイが置かれる。視

線だけを動かせば、ザシャがそこにいた。

 何も言わずに椅子に座り、少々疲れた顔をしている彼もまた、演習に巻

き込まれている一人だ。財政課程の1年である彼のところには、軍学や作

戦のことで質問が殺到している。軍学はどちらかというと騎士専攻の方が

詳しく学んでいる筈だ。本来なら財政の、しかも1年生に相談する様な内

容ではない。


 最も、学院始まって以来の逸材と言われるザシャは、軍学もある程度修

めている。実戦の経験はないが、実習見学の際に提出した彼の考察文は、

高く評価され、全学年に公開された。演習ではまず兵をまとめる事が必要

だから、その点を含めた相談なのだろう。


「お疲れ様」

 労う様に告げたタビーに、ザシャはちらりと視線だけを寄越した。彼女

はそれ以上何も言わない。彼の疲れた様な表情をみれば、どんな状況かは

判る。ここ最近のザシャは、そういう表情も見せる様になっていた。


「軍学はあくまで机上の学問、の筈ですが」

 木の匙を器用に使いながら、ザシャはぽつりと呟く。

「それだけだったら、今まで残っていないよ」

 学問として残るからには、それなりの理由がある。無論、それが演習に

役立つかはまた別の問題だが。

「しかし、不思議なものです」

「何が」

「演習とはいえ、敵味方に分かれている筈なのに……」

 騎士寮にはぎすぎすした空気もなく、いつもの日常があるだけだ。むし

ろ少々騒がしい程に。

「騎士寮だからね」

 今回は敵味方でも、目指す方向は同じだ。勝負がつく前から争うのは無

駄だと判っている。

「もう少し、真剣になるかと」

「充分真剣」

 誰もがいつもと同じ様に見えて、いつもと違う。入浴前後のマッサージ

が念入りになり、朝練に出る者も増えた。規則正しい生活を今まで以上に

心がける様になり、下級生の訓練にも付き合う。


「タビーは」

「ん?」

「どちらについたのですか?」

「えー」

 ザシャの問いかけに、彼女は目を泳がせる。

「どっちというか……」

 何と応えようかと考えているタビーを見て、ザシャは少し表情を緩めた。

「当日の楽しみにした方がいい様ですね」

「え?あ、そ、そうかも」

「タビー」

 続けようとした言葉は、だが声に遮られる。

「ヒューゴ?」

「悪いが、食事が終わったらちょっと見てくれないか」

「あ、うん」

「すまん。談話室にいるから」

 慌ただしく出て行く彼の背を見送って、タビーは溜息をつく。

「タビーも、忙しい様で」

 ザシャの言葉に、彼女は口をもごもごさせ、そして諦めた様に頷いた。

「協力できることは、あまりないんだけど」

「私では傷を診ることはできませんよ」

「……ありがと」

 褒められているのかそうでないのか理解できなかったが、とりあえず礼

を口にする。


「ごめん、お先」

 手早く夕食を片付け、タビーは立ち上がった。ザシャはゆったりと食事

をしながら頷く。

「おつかれさまです」

 彼の言葉に手をあげて、彼女は食堂を出て行った。



「い、いたいよう……うっう……」

 談話室の隅に、ヒューゴがいた。その前に椅子に座った寮生がいる。体

格から判断すると1年だろうか。

「ごめん、遅くなった」

「タビー」

 振り向いたヒューゴはほっとした様だ。1年生の周りでは、同期らしい

院生達がおろおろしている。

「傷口を水で洗ったんだが」

 ズボンの裾が膝までめくり上げられている。ぱっくりと開いた傷口は汚

れを落としたせいか、余計にグロテスクに見える。

「訓練場の階段で転倒した」

 タビーは片膝をつき、出血している足の踵を反対側の膝にのせた。

「血は止まっている。何か薬は?」

「いつものあれだな」

 いつもの、と言えばリタの傷薬だ。今のタビーには鬼門である。

「動かすよ」

 声をかけて爪先を軽く回す。小さな悲鳴が上がった。

「いた、いたたた!」

「……」

 黙ったまま、タビーは脹ら脛を軽く押す。また悲鳴が上がる。

「や、やめでぐだざ、い」

 だらだらと涙を流す下級生に、タビーはヒューゴの顔を見上げた。

「ちょっと席外してもらえる?」

「そこまで酷いのか?」

「膿んでいるかも。切開して傷口を広げないと……」

「や、いやだぁぁぁ!」

 院生は勢いよく立ち上がって逃げようとする。

「というわけで」

「……」

 下級生ははっとした顔で周囲を見回す。

 同期の責める様な眼差しと、ヒューゴの顔を見て、みるみるうちにうな

だれた。

「大丈夫なのか」

 ヒューゴの声に、院生はしゃくり上げ始める。

「す、すみません……」

 院生は、涙を何度も拭う。

「く、訓練が、訓練が、厳しくって、つ、辛いんです、俺」

 演習が決定してから、今まで以上に訓練の時間が増した。しかも上級生

達が見ているから、逃げる訳にもいかない。

「だ、だから」

 何度もしゃくりあげる院生の肩を叩き、タビーは苦笑しながらヒューゴ

を見た。

「……まったく」

 彼も苦笑しつつ、院生の頭を軽く手をのせる。

「心配させるな」

 叱られると思っていただろう下級生は勢いよく頭をあげた。

「で、でも、俺」

「きついなら、そう言え」

「無理だって」

 騎士寮は強い者が何よりも優先される。そんな中で、まだ体が成長しきっ

ていない下級生が、大人並の上級生に意見を言うことは並大抵のことでは

ないのだ。


 タビーは下級生を座らせる。

「まぁ、明日一日くらいは休んでいいよ。傷が大きいから」

 エルトの袋から他の傷薬を取り出し、へらで掬う。掌で少し温めてから

傷薬を塗り込んだ。今度は本当に痛いのだろう、顔をしかめた下級生に、

タビーは笑う。

「膿んでもいないし、切開もしないよ」

「ほ、本当ですか!?」

「怪我して直ぐに膿む、っていうのは少し無理があるよ」

 当て布にも傷薬を広げ、大きい傷口にぴったりと合わせる。包帯を取り

出し、慣れた手つきで巻き出すと、ようやく周囲もほっとした様な空気が

流れはじめた。

「訓練の強弱と休憩には注意してくれるから。ヒューゴが」

 下級生達はタビーの側に立ったままの彼に視線を向ける。

「そうだな」

 ヒューゴもその頃の事を思い出したのだろう。成長期に入った体に無茶

な負荷をかけることはよくない。上級生と下級生では体のつくりそのもの

が違うのだ。上級生に逆らいづらい1年生では、とにかくついていくだけ

で必死だろう。いくら演習のためであったとしても、少々行きすぎだ。


「よし、と。どう?立てる?きつくない?」

 恐る恐る立ち上がった院生は、ほっとした様だった。膝を軽く曲げさせ

てみるが、包帯はずれない。治療はこれで終わりだ。

「念のため、明日の朝は救護室に行ってね」

「わ、わかりました」

 下級生は深く頭を下げる。

「ありがとうございます!」

「どういたしまして」

 怪我をした下級生が頭をあげ、同期達と談話室を出て行く。

「……本当に膿んだと思った」

 ぽつりと呟くヒューゴに、タビーは苦笑した。

「汚れを落としてくれてたから、膿まないよ」

「そうか」

 タビーは思い出した様にエルトの袋を探る。

「タビー?」

「はい、これ。おすそわけ」

 差し出された大きめの金属缶に入っているのは、いつもの傷薬だ。

「いいのか?」

「いいよ。あった方が私も安心だし」

「ありがとう」

 ヒューゴは大切そうに缶を受け取る。

「今日は、その、手間をかけたな」

「役に立ててよかったよ」

 タビーが笑い、彼も表情を緩めた。

「あとはお願いします」

 寮長であっても、タビーには騎士専攻の内情はわからない。ここはヒュー

ゴに任せる所だ。

「承る」

 彼は、仰々しい礼をする。

 それから二人は目を合わせ、吹き出した。


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