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この頃、学園は騒がしい。
最上級生達は己が進路へ向けて動き出し、各課程の下級生たちは実習が
多くなり始める。
そんな秋、学院側から告知されたのは、騎士専攻と魔術応用の全生徒を
対象とした大規模な演習だった。
上級生はまだしも、下級生たちは魔獣騒動のお陰で本格的な実習が殆ど
できていない。だったら保護者代わりの上級生をつけて、演習という形で
補おうという考えだ。
最上級生は進路のかかった試験の準備がある。
そのため、彼らだけは任意参加を許された。
最も学院お墨付きの演習を、騎士課程の最上級生達が逃すわけがない。
特に今回の演習は面白い試みがいくつもある。
中心になるのは3年生の院生たち。
彼らは籤引きで二手に分かれ、共闘者を募る。大将も籤引きだ。
3年生以外は、自分が好きな方についていい。つまり、どれだけ味方を
集められるかが、勝利の鍵のひとつとなる。
更に、演習日まで誰がどちらにつくかは公開されない。
どちらにつくか大っぴらにしてもいいし、当日まで隠してもいいのだ。
互いの陣営があの手この手で味方を集め、それなりに名の通った者達を
陣営に誘うことになる。院生の間で駆け引きが繰り広げられるのだ。
演習の籤引きが行われた当日、大将が発表された。
北軍 ラーズ・クリューガー
南軍 ナータン・ゴッチャル
そして、騎士専攻と魔術応用の3年生達は均等に両軍へと振り分けられ
る。これも籤引きだ。
両軍とも、大将は貴族ではない。更にいずれの大将も騎士専攻によくい
る『考える前に体を動かす』というタイプだ。
準備期間は1ヶ月。
籤引き当日から、騎士専攻と魔術応用の院生達は演習に向けて否応なし
に動いていくことになる。
■
魔術応用の最上級生達は、演習への参加を保留にしている者が大半だ。
誰もが憧れ、希望する王宮魔術師への試験や卒業に合わせて設定した研
究の進捗、様々な理由で参加を渋る者が多い。それでも各学年の特待生や
専門に特化した、名の知れている院生達は演習に誘われれば受け入れる。
これは『後輩を育てる』という意味もあった。魔術師と騎士、進む道は
違うが、同じ院生だ。請われればできるかぎり受けたいという気持ちもあ
る。
「本当ですか!ありがとうございます」
今、まさにタビーの目の前で、同期が演習に誘われ、研究で忙しい筈の
彼は苦笑しつつもその誘いを受け入れていた。
何度も頭を下げる後輩に、彼は笑っている。
「タビー?」
ぼんやりとその風景を眺めていたタビーは、呼ばれて慌てて振り向いた。
「……リリー」
「早く戻らないと、講義に間に合わないわ」
昼下がりの学院は、どこかのんびりした空気が流れている。
「そ、そうだね」
「何か……ああ」
タビーの視線の先を見て、リリーは微笑む。
「演習の話なのね」
「そ、そうだね」
「でも、こんな演習は十年以上もなかったそうよ」
リリーに促されて、タビーも歩き始める。
「普段は実習で足りるから……」
「そうね」
彼女は表情を曇らせる。
「魔獣の話は、私の家でもよく聞くようになってしまって」
「やっぱり、被害が?」
「いえ、私の家は王都に近いから、そこまでは」
被害が大きいのは、最果ての谷に近い街や村だ。王都に近くなれば魔獣
の目撃談も少なくなる。それでも例年に比べれば多い。
「でも、お兄様たちは大変そう」
被害の大きい地域から、伝手を辿って引っ越してくる者が増える。そう
でなくても、魔獣を恐れて流民になり、王都へ避難しようとする者も多い
のだ。
王都の住宅は家賃も含めて物価が高い。折角ここまで避難してきても、
生活ができずに物乞いをする者達も多いと聞く。リリーの兄も、そうやっ
て避難してきた人々への対処で忙殺されているらしい。
「早く落ち着くといいけど」
「そうね。今回は演習ですけど、毎回こんな風にはできないもの」
今回の演習は実習ができない分を補う、という名目ではあるが、今年度
以降魔獣が増えれば、全く実習ができなくなる可能性が高い。
訓練だけで騎士や魔術師になるとすれば、経験が少なすぎて使えない。
戦力が大幅に低下し、後進を育てる事ができなくなる。
「タビーは?参加するのでしょう?」
「え?」
リリーは暗くなってしまった雰囲気を振り払う様に、微笑んだ。
「ヒューゴは北軍らしいわ」
「……よく知ってるね」
「私は演習には誘われていないけれど、興味がないわけではないのよ」
貴族令嬢が魔術師を目指すことは、ほとんどない。リリーの場合は家族
の後押しと末っ子という立場もあり、魔術応用に進んだのだ。そういう立
場として、今回の演習に興味があるのだろう。
「でも、当日までわからないよ?」
「そうね」
北軍につく、と声高に言っていた者が、当日は南軍に参加する、という
事も考えられる。3年生以外は両軍どちらについてもいいのだ。嘘を流す
のは情報戦の一つでもある。
「騎士寮は、どう?やっぱり、大変かしら?」
「大変、ということはないかな」
騎士寮はある程度、物事を割り切れる者が多い。演習の参加もその一つ
だ。陣営が同じでなくても、いがみ合うことはない。自陣営の事を正直に
話すこともあれば、嘘をつくこともある。いちいち怒っていたら、騎士に
などなれない。
「やっぱり、ヒューゴ達は楽しそうだし、3年生は必死かな」
どこからか噂を仕入れてくるクヌートは、下級生を適当にからかって勉
強漬けの鬱憤を晴らしている。今回は無関係である財政のザシャは、軍学
や作戦の事で相談を受けている様だ。ディーターやレオポルト、ハインツ
もいずれかの軍に参加することが決まっているし、ジルヴェスターは南軍
への参加を公言していた。
「評価は良くないけど、裏切りもありだって」
「まぁ」
リリーは目を丸くする。通常の対戦型実習や演習では、陣替えそのもを
認めていない事が多い。
「自軍が不利になったら、寝返るのも考えないと」
「なんだか、凄い騒ぎになりそうね」
今回の演習は制約があまりない。そして、大将のいずれもが貴族ではな
かった。貴族であれば、その派閥を介してある程度の人数は集められるし
どの様な態勢でかかってくるかも読める。
3年生達は否応なくどちらかに属しているが、他の学年の貴族は演習に
参加しないという手もあるのだ。こうなると、両軍どちらが有利か不利か
も当日までわかりにくい。
「でも、ヒューゴが北軍なら、彼の友人たちはやはり北軍ではないの?」
「そうでもない」
ヒューゴは騎士専攻の首席であり友人も多いが、彼らはまだどちらにつ
くか明らかにしていない。
ヒューゴと戦える南軍につくか。
友情をとって北軍につくか。
「不思議ねぇ……騎士専攻の方々は」
「そうだね」
二人は顔を見合わせ、笑いあう。
騒がしくも短い秋が、始まろうとしていた。




