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タビーと騎士の犬  作者: 弾正
薬草
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 傷心のタビーは焼却炉が見える木陰にいた。

 昨日放り込んだ『なんでもないもの』が無事に焼けるかどうか確かめる

為である。

 どのような造りか判らないが、魔道具の教官達がこだわって作った焼却

炉は、指定時間になると自動的に火が付くのだ。


『タビー!?くっさッ!』

 昨夜、部屋の窓を全て開け放ち、5回も風呂に浸かったタビーである。

 湯あたりでふらふらになりつつも、どうにか臭いを落とした筈だったが、

朝一番に出会ったクヌートの言葉にすべて吹き飛んだ。朝の自主練をさぼ

り、何度も体を洗い直したのだ。


 そのお陰か、講義中には何も言われなかった。臭いに麻痺していること

を恐れて、わざとクヌートの前を通ってみたりしたが、今度は彼も何も言

わなかった。もっとも『朝のアレ、なに?』という答えづらい質問はされ

たのだが。


 近づいて、また臭いがついたらたまらない。タビーは遠くから焼却炉を

見守った。

 時間が来て、かちり、と小さい音がする。

 炎がついたのだろう、焼却炉は低い音を立て始めた。

「お願いしますお願いしますお願いします」

 タビーはひたすら祈る。ここが神殿だったら、護符を全種類揃えた上で

神殿に喜捨をするもの厭わない。


 火の勢いが強くなる。タビーは念のため、杖を構えた。


 どん、と軽い音がする。昨日の爆発音よりは全然小さい。

 再び、どん、という音が響く。一瞬怯んだタビーの前で、焼却炉はどん

どんどんと、どこか拍子を取っている様な音を立て始めた。


「な、なにこれ……」


 大きくはないが、足下に響くような低い音だ。焼却炉の中でどうなって

いるのか、考えるのも恐ろしい。


 まるで花火の様に連続した音が響く。何事かと廊下から覗いた院生もい

たが、焼却炉を見ると納得した様に顔を引っ込めた。魔術応用の焼却炉と

いえば、何が燃やされているかわからない、混沌の代名詞。今更変な音を

立てたところで、誰も気にしない。タビーにとっては、幸運である。

 

 焼却炉はまだ音を立てていた。心なしか、揺れている様にも見える。ま

さかあの『なんでもないもの』が原因ではないだろう。あれはどこにでも

あるただの失敗作だ。焼却炉を小刻みに揺らし、低いがどこか軽快な爆発

音をたてる物体ではない。材料は、リタと蒸留した水なのだから。


 木陰から焼却炉を見守るタビーは、どこから見ても怪しい。だが、そん

な彼女を見る者はいなかった。入れておけば自動的に中が燃える焼却炉な

のだ。わざわざ見に来る物好きはいない。

 連続して鳴っていた低い音が、間隔をあけて聞こえ始める。そろそろ終

わりなのだ。間延びした音を、タビーはどきどきしながら聞いていた。


 音が完全に止まる。焼却炉の入口が、ぱかりと開いた。


「……」

 恐る恐る近寄ったタビーは、焼却炉を覗き込む。中には燃えかすすらな

かった。全て綺麗に燃やされている。臭いもしなかった。

 思わず喜んで飛び跳ねそうになる体を、タビーは無理矢理押さえつけた。

 やらなければいけないことは、まだある。


 タビーは足下に置いておいた布袋を広げた。

 昨日、嫌というほど嗅いだ臭いだ。慌てて口を閉じるが、布目の合間か

ら臭いが漏れてきそうな気がした。

「勿体ない……」

 未練がましく、タビーはその袋を焼却炉に放り込んだ。

 ローブと制服である。勘違いされない様に、糸を解き、汚れた布切れの

様にした。ローブはまだ新しいため、非常に残念だったが、この臭いには

耐えきれない。

 今日、変な音はしたものの取りあえず焼ける事が判ったのだ。ローブも

問題ないだろう。あの音は少々頂けないが。


 最後の問題を片付けたものの、ローブの事を思ってタビーは肩を落とし

た。



 野営の楽しみは、少ない。

 交代で見張りがある上、食事も簡易的なものだ。焚き火で乾燥した肉を

炙るのが上等、とされる野営は、騎士専攻であれば月に数回行われている。


 下級生はまず学院内での野営から始まり、王都壁側、王都から少し離れ

たところ、王都が見えるところ、という様に、少しずつ遠くまで行くのだ。

 秋になれば、王都が見えるところまで遠出することになる。


「あー、思い出すね、野営」

 ハインツはタビーの側で、鍋をかき混ぜていた。

「最初の時、クヌートが泣いて泣いて大変だった」

 ぼやくのはレオポルト。

「それで、その本人はどこに行った?」

 芋の皮をむきながら、ディーターは問う。

「統率学の追試」

 レオポルトは座ったまま溜息をついた。

「あいつ、卒業できるのか?」

「その前に、試験に受かる事を考えないと。タビー、塩とって」

 小さな塩の瓶は、ハインツの宝物だ。実家が商家の彼は、ダーフィトの

東で取れる塩が好みだという。この塩でなければ、スープの味が決まらな

いそうだ。


「近衛だろ。無試験に近い」

「まぁ、男爵家でも貴族だから……そこは少し、羨ましいね」

 ハインツとディーターは騎士団志望だ。というより、貴族でない彼らは

近衛になれない。学院そのものは貴族にも庶民にも開かれているが、近衛

の壁は厚く、貴族でない者が務めることはなかった。

「レオは?近衛?」

「考え中」

 タビーの問いに、レオポルトは少しだけ肩を上げる。

「子爵家なのに?」

「家の事も考えると近衛だろ?だけど気楽なのは騎士団だな」

 近衛は家柄が物を言う、貴族寮の様な場所だ。レオポルトは子爵家子息

であるにも関わらず、騎士寮に住んでいる。個室でもない。それが案外気

楽だと言う。


「近衛かぁ」

 タビーは思い出す。女王が戴冠する時に、周囲を護っていた煌びやかな

騎士達を。白い騎士服はシミ一つなく、下げる剣は金銀で象眼されていた。

 遠目から見ても華やかな近衛に同期がなるというのは、なんとなく不思

議な気もする。


「でも、近衛に入ったら芝生にも寝っ転がれないし、食事も大変。汚して

いいのは膝だけ、それも女王の前で膝をついた事以外では禁止」

 ハインツがにやりと笑う。

「え、じゃぁ汚れたらどうするの?」

「近衛は王宮内に小さな部屋を与えられるから、そこに着替えをおいてお

く」

「王宮って、そんな部屋まであるの……」

 驚き半分、呆れ半分のタビーに、レオポルトとハインツは笑う。

「ま、近衛は見栄えが最優先だから」

「だったらお前、入れないだろ?」

「お前に言われるとは」

 2人は視線を交わして、お互い皮肉っぽく唇を歪めた。


「おい、そろそろ入れて良いぞ」

 香ばしい匂いが辺りに漂う。クヌートの実家であるバイアー男爵家、そ

の領地で採れる香辛料の一種だ。酸味があり、肉のスープに使うと味が引

き立つ。クヌートに貰った香辛料と乾燥肉、前世の米に良く似た穀物と野

菜を合わせ、スープを作っているのだ。クヌートの故郷の味である。


「クヌート、遅いね」

 タビーは空を見上げた。もう、夕暮れである。

「追試何回目だ?」

「統率学は2回目」

 騎士専攻で最下位に近い場所をうろうろしているクヌートは、追試や補

講を受ける事が多い。座学は全滅に近い成績なのだ。


「あー、教官怒ってるだろうなぁ」

 統率学の教官は、厳しい事で有名らしい。

「自業自得だ。試験前に何もしていなかったからな」

 呆れた口調のディーターに、ハインツが頷く。

「範囲と大体の内容は教えてくれるのにねぇ。なんで覚えないんだか」

 文章で回答する必要はあるが、それでも座学の中では楽な方らしい。

 真面目に講義を聞き、暗記すればそこそこの点数が取れる。


「一番食べたい!って言ってたヤツが食べられない、ってのも何だな」

 少し遠い故郷。クヌートが市場で衝動買いした香辛料、頼まれてスープ

を作っているが、当の本人は一向に戻って来ない。

「もうすぐ卒業か」

 ディータがぽつりと呟いた。秋になったばかりだが、ダーフィトの秋は

短い。そして雪が降る頃に騎士団の入団試験がある。近衛も簡単な面接と

試験があるが、貴族で一通りの事が出来れば問題無い。その分、面接で思

想や主義主張を根掘り葉掘り聞かれる。


「タビーは?やっぱり出仕しないの?」

「うん。推薦ももらえる、って言ったけど……王宮出仕は興味ない」

 あそこにはフリッツがいるのだ。そして、出仕すれば会ってしまうかも

しれない。血の繋がった、だが他人よりも遠い家族というものに。

「あー、俺も言ってみたいよ。その余裕!」

 レオポルトはばたり、と芝生に横になった。貴族らしくない、大の字だ。


「でも、みんな会えなくなるんだな」

 タビーがレオポルト達と一緒に実習を受けたのが、ついこの前の様に感

じられる。

「会おうと思えばあえるでしょ」

 ハインツはさらりと呟いた。火が弱い、といいながら、薪を足していく。

「ま、騎士団に入っても、配属先次第じゃ何年も会えないからなぁ」

 入ってから二年は実地研修の様なものだ。先輩達に鍛えられ、騎士とし

て育っていく。同じ配属先に行けることなどなく、皆がばらばらになる。


「おーい」

 遠くから、声が聞こえた。レオポルトが体を起こす。髪にまとわりつい

た芝生がぽろぽろと落ちた。

「クヌートだな」

「あいつ、大丈夫なのか。追試」

「あの顔は結果なんか考えてないぞ」

 呆れたディーターとハインツは、だがどこか楽しそうだ。


 タビーはスープに香草を放り込む。これでできあがりだ。

 星が瞬きだした空の下で、火と鍋を囲み、夕食を食べる。数ヶ月後には

離ればなれになるのが、信じられない。

 

 残された時間は、もうそれほどないのだ。


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