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森は、一晩中燃え続けた。
明け方、ようやくくすぶる程度に収まり、日が昇った頃には焦げた匂い
が残るのみ。恵みを与えた森の面影はそこになく、炭化した木々の残りが
そこここにあるだけだ。
これで終わりではない。
焼け残った物の中に魔獣の卵がないか、幼生が生き残っていないか確認
し、炭化した木々を壊して粉々にする。
死んだ魔獣の骨が見つかれば、袋に入れて、こちらも粉々にする。実際
は獣の骨もあるだろうが、そこまで分類することはない。骨らしきものは
すべて袋に入れ、まとめて砕き、粉々にするのだ。
そうして、木々の残骸も魔獣の骨も大地にまかれ、土と混ぜられる。
このやり方が正しいのかは誰にも判らない。
ただ、昔から魔獣はそうやって処理されている。
タビーはザシャやディーター、ジルヴェスターとともに焼け野原を歩い
ていた。焦げる匂いで、鼻がムズムズする。手持ちの布で鼻と口を覆って
いたが、あまり効果はないようだ。
「きれいに燃えましたね」
魔獣の骨らしき物を手にしながら、ザシャは周囲を見回した。
「また、森ができるのを待つしかないな」
ディーターもあたりを見回す。魔獣の繁殖地になるまで、ここは実り豊
かな森だった。狩人は獲物を求め、成人する少し前の子どもたちが、お小
遣い代わりに薬草や木々の実りを収穫しに来た。そうやって生きてきた森
は、数年でできるものではない。
「どこからか、木を移植とかできないのかな」
タビーはつぶやく。
「出来なくはないでしょうが、根付くかは別問題ですね」
繁殖地にされた土地は地力がかなり弱くなる。灰や骨を土に混ぜるのは、
地力の回復を手助けするためだ。それでもすぐに地力は戻らず、相当に時
間がかかる。
この森を拠点としていた狩人達は、新しい狩り場を見つけなければなら
ない。場合によっては移住も必要になる。だが彼らの仕事を犠牲にしてで
も、魔獣は討伐しなければならないのだ。
木なのか骨なのか判らないものを軽く踏み、色が白や灰色のものは袋に
入れていく。炎のせいか、それともまだ幼生だったためか、残っている骨
は少ない。炭化した木々を壊しながら、タビーは歩みを進める。
「随分、焼けたな」
ディーターが溜息をつく。森を一つ、まるまる潰してしまったのだ。ど
こか違和感の残る風景である。
「森ができるまで……どのくらいかかるんだろう」
ジルヴェスターは俯きながら、溜息をつく。直接被害を受けたのは領民
達だ。そして将来は彼が領民達を護っていく必要がある。
「木が芽吹いて、育つまで……短くはないでしょう」
ザシャが呟き、ジルヴェスターはもう一つ溜息をついた。
■
報酬は、安くない。
ずっしりと重い小袋を渡されて、タビーとディーターは顔を見合わせる。
「大事になったからな。侯爵様から、くれぐれもよろしく、との事だ」
マルクスは当惑している2人をみて苦笑した。
「もらえるものはもらっとけ。あって困るものじゃないだろう」
「それでも、なんというか……」
「貰いすぎの様な気がしますけど」
タビーの言葉に、彼は少しだけ口元を上げる。
「お前は魔術で頑張ったし、ディーターは幼生を何頭か仕留めてる。色が
ついたっておかしくない」
「……」
幼生は大人と違い、弱点を突かれると直ぐに消耗してしまう。倒し易い
のは当たり前だ。
「それより、帰りは送ってやれん。すまんな」
繁殖地の一つは潰したが、まだ他に残っている可能性もある。魔獣の脅
威は変わらない。侯爵家の私兵達は、引き続き魔獣討伐を行うのだ。侯爵
家嫡子であるジルヴェスターに、充分な護衛をつけられないのは、マルク
スとしても不本意だった。
「大丈夫です。ありがとうございました」
ディーターが頭を下げ、タビーも慌てて倣う。
「悪いが……若様を頼む」
「できる限りのことは」
マルクスは頷き、そして彼らの後ろを見た。行きに使った馬車が用意さ
れている。ザシャは馬車の扉近くに佇み、家令と何事か話をしているジル
ヴェスターを眺めていた。
「道中、気をつけろ」
「はい」
魔獣が出るのはブッシュバウム領だけではない。ダーフィト全体で出没
頻度が高まっている。一番安全と思われている大街道でも、魔獣が現れた
ことがあった。女王や騎士団が対応をしているが、追いつかない状況だ。
領地に現れた魔獣を狩るため、どこの貴族達も私兵を投入している。冒
険者を傭兵代わりに雇うこともあるらしい。腕に覚えのある者にとっては
稼ぎ時である。
「気をつけて」
「ありがとうございます」
2人揃ってもう一度頭を下げ、馬車に向かう。急げば夏期休暇が終わる
前に学院へ到着する筈だ。
まず、家令と話が終わったジルヴェスターが、続いてザシャ、タビー、
ディーターの順で馬車に乗り込む。
侍従のバスラーが扉をしめ、御者の隣に座った。少しして、馬車が走り
出す。侯爵邸の門が重々しい音を立てて開き、馬車は王都へ向かう。
「先輩」
「ん?」
隣に座ったジルヴェスターが、申し訳なさそうな顔をしている。
「すみません……思ったより、その、休暇にならなくて」
「ああ」
最初はジルヴェスターが領内を見回る時に同行する、という事だった。
タビー自身は護衛と思っていたから気にしてはいないが、恐らく彼は
もう少しのんびりとした見回りだと思っていたのだろう。そうでもなけ
れば、タビーを誘うとは思えない。
「いい経験になったから」
「……そうですか」
どこかしょんぼりしている様に見えるジルヴェスターに、タビーは苦
笑する。
「多分、騎士寮の大半は同じだと思うよ」
ヒューゴも帰省して領内を見回る、という話だった。特に予定もなけ
れば、同行する院生もいるだろう。貴族でなくとも、護衛や見回りの仕
事を受ける事もある。のんびり訓練だけしていた、という者はいないと
タビーは思っていた。
「休暇も終わりかぁ。ああ、休み明けの実習が……」
魔術応用も最終学年となると、実習が増えてくる。実習そのものは問
題ないが、その後に論文を書かされるのが大変だった。感想文ではない
から、何か適当な課題をみつけ、それについて書いていかなければなら
ない。実習が何度も繰り返されれば、その課題を探すのも大変だ。
「俺は夜間訓練だな」
ディーターも軽く息をつく。騎士になるための道は遠い。実習をしな
がら、騎士団の試験対策もするのだ。
「ザシャは?」
「休暇中に論文を仕上げる必要があります。今回は少ないので8本書け
ば終わりですが」
「は?8本!?」
ジルヴェスターが目を丸くした。
「か、書けるの?時間ないけど」
タビーも思わず問いかける。財務は相当厳しいと聞くが、ザシャの年
でそんなに課題が課されるとは思ってもみなかった。
「下書きはできているので、問題はありません」
侯爵家の図書室に入り浸っていたのも、それが理由だったらしい。ザ
シャは特に報償を受け取っていない様だったが、侯爵家の蔵書を見る事
が出来るのであれば、無報酬でも気にならない様だ。
「私は、特には課題もありませんよ」
微笑むジルヴェスターに、ディーターが口元を歪める。
「まぁ、講義再開を楽しみにしてろ」
「え?何かあるんですか?」
「言わない」
にやにやと笑いながら、彼は焦るジルヴェスターを見ていた。
「お、教えてください!」
「知らん」
年が変われば、やることも変わる可能性がある、と、ディーターは笑
う。
「だったら教えてくれても」
「勝ったらな」
ディーターが見せたのは、行きにも散々やっていたカードだ。タビー
は溜息をつき、ジルヴェスターは笑みを浮かべる。
「勝ったら、教えて貰えますね?」
「いいぞ。俺に勝ったらな」
「最初の親は誰です?」
ディーターからカードを受け取ったザシャが、カードを混ぜつつ問い
かけた。
「タビーも、どうです?案外面白いですよ」
ぴくりとも動かないザシャの硬質な顔を見て、参加する訳がない。
「やめとく」
手をひらひらと振って、タビーは窓の外を見つめる。日よけの布越し
に、王都へ続く大街道が見えた。
短い夏が、終わろうとしている。




