22
アロイスの眠りは深い。
いざとなれば目が醒めるが、問題が無ければ起きない。こんな贅沢が許される
のは学院生のうちだけだ、と思っている。
だから、ヒジャの声に気づいても、起きようとは思わなかった。
ヒジャだけではなく、鳥も牛も馬も朝は早いものだ。環境が変わったから鳴く
のだろう。
『ぎ、ぎゃぁぁぁぁぁぁ!』
瞬間、アロイスは布団をはね除けた。
枕元に置いてある大剣を片手に窓を開ける。
彼の部屋からは裏庭の全ては見えない。だが、声は明らかにそちらからしてい
た。
しかも、女の声。
「タビーか!」
アロイスは窓枠に足を掛けると、素早く外に飛び出る。彼の部屋は3階だが、
この位の高さであれば問題はない。
着地と同時に足に衝撃が走るが、痛みはなかった。アロイスが走り出すと同時
に次々と窓が開き、寮生達が飛び出てくる。
「アロイス!」
「裏庭だ」
やはり2階の窓から飛び降りたライナーの声に、彼は端的に答えた。スピード
は落ちない。
「タビー!」
「こ、こないでぇえ!」
アロイス達が裏庭に駆け込んだ。木を後ろにしたタビーは顔を横に振っている。
その前にいるのは。
「……あれ?」
ライナーが戸惑った声をあげた。
振り向いた男はひげ面でぼさぼさの髪、おまけに手が真っ赤に染まっている。
「ヒジャ、ヒジャが……」
アロイス達の姿を目にしたタビーは、震えつつ声をあげた。
「ヒジャ?」
「いや、死んでないぞ」
ひげ面の男は戸惑った様に告げる。頭をかこうとした様だが、血まみれの手を
見て途中で止めた。
「教官、一体何が……」
「いや、ヒジャが来たっていうから乳でも飲もうかと思ったんだが」
よく見れば、そばに木の入れ物が転がっている。
「来たら、大仕事中でな」
アロイス達寮生は、ヒジャを見た。
「……増えてる」
か細い鳴き声を上げてるのは、貰ってきたヒジャではなく。
「え?子どもいたの?」
ライナーの言葉に、タビーは目を丸くした。
「え?ええ?」
「ああ、ちょいと手伝ったんだが、無事だぞ」
ヒジャは子どもを舐めている。子どもはよたよたしながらも、立ち上がろうと
必死だ。
「儲けたな」
にんまりと笑ったひげ面の男に、ライナーは溜息をつく。
「……あまり驚かさないで下さいよ。ただでさえ強面なのに」
「俺が悪いのか」
「半分以上は」
ケッ、と口にした男は、タビーを振り向く。
「悪かったな、驚かしちまってよ」
「あ、はい……」
「タビー」
ライナーが細剣をしまい、タビーに歩み寄る。
「びっくりしたと思うけど、大丈夫、学院の教官だから」
「え?」
赤く染まった手をどうしようかとぶらぶらさせている男に、彼女は目をやった。
「うちの寮監。カッシラー教官だよ」
「え?ええええええ?」
「タビー、腹筋500回と腕立て500回、どっちがいい?」
珍しく寮で食事を摂ったひげ面の男、カッシラー教官は、食事を終えたタビーに
問いかける。
「え?いえ、私こそ迷惑を……って、私がするんですか?」
「ないない」
へらへらと笑ったカッシラーは、肘を付きながら食堂にいる寮生達を見回す。
「お前の悲鳴ですら出て来なかった馬鹿と」
指を一つ折る。
「武器を持たずに飛び出した阿呆と」
もう一つ。
「女の前に下着姿で飛び出した間抜け」
おまけにもう一つ。
夏だからそれなりに暑い。男なら下着一枚で寝る事もあり得るだろう。
だが、それではダメだとカッシラーは言う。
「休暇でたるんでるんだろうよ、飯の後の一仕事だ」
「いや、食後にそれだけの運動は……厳しいんじゃ……」
タビーの見間違いで発生した騒動だ。腹筋も腕立ても回避したい。
自分がやるのも勘弁してほしいが、寮生達が巻き添えを喰らうのも同様だ。
「そういやそうだな」
教官の言葉に、だが食堂の寮生達は沈痛な面持ちのままである。
「それに、ギルドの依頼とか受けてる人もいますし、あ、ヒジャの柵とかも!」
「ふむ」
カッシラーは腕組みをした。
「仕方ない」
タビーはほっとして肩の力を抜く。
「全員、夕食前に訓練をする!」
大きな声に、寮生達が背を伸ばした。
「え?」
「夕食前に裏庭に集合しろ!遅れた奴はメシ抜き、及び深夜の行軍訓練を課す」
『はいっ!』
「え、えええええ!?」
 




