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タビーと騎士の犬  作者: 弾正
夏期休暇
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「終わった……」

 タビーは思い切り背を伸ばした。

 夏期休暇前の最後の試験、最終学年ともなれば、単純な問題は殆ど出な

くなる。ほぼ全教科が短文回答か考察記入だ。それ以外に実技の試験があ

るため、かなりの負担になる。


 それでも夏期休暇まで試験が食い込む、財政課程に比べればまだましだ。

 ひとつひとつの試験がすべて論文、教本持ち込み可とはいえ、それを丸

写しして通る様な試験ではない。つくづく、財政課程でなくてよかったと

思う。


「先輩!!」

 呼びかけられて顔をあげれば、ジルヴェスターが手を振っていた。

「待っていて下さい!」

 まるで子どもの様だ。あれで『くるしゅうない』と言っていたのが嘘の

様にも思える。実際、今の彼は身長も伸び、筋肉もついてきた。ようやく

騎士専攻の院生らしくなってきたのだ。


「先輩、お待たせしてすみません」

 初めて会ったとき、ジルヴェスターがこんな言葉を使える様になるとは

思わなかった。

「何かあったの?」

「はい。先輩、休暇はどうされますか?」

「休暇?」

 試験が終われば夏期休暇だ。最後の夏休み、タビーはどんな仕事をする

か、迷っている。できれば旅のためのお金を貯めておきたい。


「仕事に行こうかな、って思ってるけど」

「も、もう決まってしまいましたか?」

 縋る様な眼差し。自分よりも背の高い男にこんな目をされると、何だか

申し訳ない様な気がする。

「まだ、だけど……」

「よかった!」

 ジルヴェスターは嬉しそうに笑った。

「その、先輩。突然なんですが……」

 すこしはにかみながら、彼は続ける。

「私と一緒に、ブッシュバウム領に来ていただけませんか?」



 タビーは馬車に揺られながら、外の景色を見ていた。

 王都はとうの昔に抜け、整備された道を馬車が駆け抜けていく。ダーフィ

トの夏は短い。そんな夏の陽射しをうけて、名前も知らない木々の葉が眩

しいほど輝いている。

「タビー、次は?」

「遠慮する」

 こんな揺れる馬車の中で、カードゲームに興じるなど、何が楽しいのだ

ろう、とタビーは思った。一場が終わるごとに声をかけてくれるが、間違

いなくカモにされる。

 実際、ジルヴェスターがいいカモになっていた。

「ジルヴェスター、今度は君が親だ」

 ザシャの言葉に、ジルヴェスターが張り切ってカードをまぜる音が聞こ

える。


 ブッシュバウム侯爵領は、広大ではないが交通の要所をいくつか抱えて

いた。

 港街も擁しているため、領民は商人や職人、船や港関係の仕事に就く者

が多い。農業に携わっている者もいるが、数は少なかった。


 そんな侯爵領は、今、一つの話題でもちきりだ。


『バノが魔獣に襲われた』

『街の連中で逃げられたのは数人』

『魔獣は何頭もいたらしい』


 バノは侯爵領の一番端にある街だった。ある日、魔獣に襲われて壊滅し

たのだ。以前タビーが見た早馬の伝令は、この報告だったという。


 魔獣の力は凄まじい。それでも今回の様に、逃げられたのはほんの僅か、

ほぼ全滅状態というのはそうそうないのだ。

 魔獣は基本的に雑食性、人も家畜も彼らにとっては同じ『食料』である。

 魔獣が去った後の街は酷い状態で、僅かに残った遺骸をどうにかあつめ、

一ヶ所に葬ったという。


 ブッシュバウム侯爵は私兵を出し魔獣討伐に当たらせたが、魔獣そのも

のはバノの周囲には確認できなかった。それを聞いたジルヴェスターの

『領民を守りたい』という思いから、夏期休暇の間だけ、領内を見回るこ

とになったのだ。


 タビーはその手伝いである。


 無論、報酬は侯爵家から出るし、魔獣を討伐すればさらに追加報奨金が

でるという。見回りだけで報酬が出る、ということは『侯爵家のお坊ちゃ

ま』であるジルヴェスターの護衛という意味だ。少なくとも、タビーはそ

う思っている。


 同行しているのは、ザシャ、そして実習で一緒だったディーターである。

 ヒューゴに声をかけてみたが、やはり自領の警備が必要で、彼も帰省す

るとのことだった。

 彼としては、魔術を使えるタビーを同行させたい、と思っていたらしい。

 ブッシュバウム侯爵領に行く話をしたところ、『先をこされた』とぼや

いていた。

 実習で同じ組だったディーターは、まだ休暇をどうするか決めていない、

という話だったので、駄目元で声をかけたところ、一緒に来てくれること

になったのだ。


 最近はどの領地でも魔獣の出現が多いため、騎士寮の面々でも里帰りを

したり、タビーの様に報酬目当てで手伝いに行く者も多い。基礎課程から

上がったばかりの1年生は除くとして、それ以外は大半が長期外出だ。体

が鈍るから帰省しない、という者が大半の騎士寮で、これほど寮生がいな

い日が来るとは誰も想像しなかった。


「はい、おしまい」

 今回のカードもザシャが勝った様だ。カードはディーターもそこそこ強

い様で、ジルヴェスターは一人負け状態である。

「せ、先輩。先輩もやりましょうよ」

 涙目でこちらに助けを求めるジルヴェスターを、タビーは見なかった事

にした。タビーが入っても同じだ。一番むしりやすいジルヴェスターを攻

める。これ以上傷口を広げない方がいい。


「先輩っ!」

「まぁまぁ。それより、侯爵領はもうすぐ?」

「え?ええと」

 ジルヴェスターは窓の外を見てから頷く。

「ああ、もうすぐですね」

 窓を全開にすると、気のせいか潮の香りがした。

「もう少しすると、海が見えます。そこにある港街に、私の家があります」


「港街キームゼー」

 カードをしまいながら、ザシャが口を開く。

「どんなところ?」

「賑やかなところですよ!」

 ジルヴェスターの言葉にタビーは微笑む。彼の素直さは嫌いではない。

 侯爵家継嗣としては、もう少ししたたかになった方がいい気もするが。

「キームゼーは、侯爵領最大の街。他領と比べてもここまで大きい港はな

いでしょう。交通の要所でもあり、年々街が広がっています」

「家を増築している様な?」

「どちらかといえば、家のまわりに家を追加している感じで」

 学院に入るまで、タビーは王都から出た事がなかった。

 というより院生でいるうちに、こんなに遠くまで来るとは思ってもみな

かったのだ。


「ジルヴェスターは?帰ってくるのは久しぶり?」

「そうですね。私は王都で過ごすことが多かったので」

 大抵の貴族は王都にも屋敷を持つ。特にブッシュバウム侯爵は宰相府で

もその名を知られた辣腕家。なかなか領地に帰ってくることはできないら

しい。

「普段は誰が領地を?」

「家令がいます」

 執事と違い、家令は領内の税や行政、他領とのやりとりも含め、かなり

の権限を持っている。

「家令一人では無理なので、補佐もいます」

 侯爵家ともなると、家令一人では片付かないのだろう。これでも、ブッ

シュバウム侯爵家は他に比べて領地は広くない。宰相派の貴族達は総じて

領地そのものが大きくないが、交通の要所や採石場、穀倉地帯を領内に持

ち、かなりの税収を得ている。


「キームゼーでは新鮮な魚介類も豊富です」

「ああ、そう言えばキームゼー産の塩や干物はよく見るな」

 ディーターが呟けば、ジルヴェスターも頷く。

「うちの名産です。先輩にも、是非食べてもらいたいです」

「ありがとう」

 干物というと、前世であった鯵や秋刀魚、金目鯛などが思い浮かぶ。こ

の世界に同じ魚がいるか判らないが、楽しみになってきた。


 少しずつ潮の匂いが強くなってくる。

 今世で海を見るのは初めてだ。波はあるのか、魚はどうやって獲るのか、

干物はどんなものがあって、どういう風に作られるのか。

 前世では塩田というものがあったが、流通するだけの塩を作り出すのは

どうやっているのか。興味はつきない。


「今日は我が家に泊まってください。明日はどこから始めるか打ち合わせ

をして、遅くても明後日には見回りに出たいと思います」

「馬は?」

「大丈夫です。家令に頼んでおきました」

 ジルヴェスターは胸を張る。


「もうそろそろですね」


 ザシャが馬車の窓から外を見た。先程より人通りも多くなっている。道

は馬車専用と人間用と分かれているらしく、徒歩の者は少し離れた所を歩

いていた。

「見えて来ました」

 ジルヴェスターは嬉しそうだ。


「あれが、キームゼーです」


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