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とどまる事を知らず笑い続けるハイモの耳に、いくつもの足音が聞こえ
て来た。
「なんだァ?」
ばたん、と派手に扉を開ける音、そして家の中に踏み込んできた足音に
彼は顔を強ばらせる。
ハイモは慌ててタビーに近寄ると、短剣を抜いた。それを手に座り込ん
でいるザシャの腕を引く。
「……何をする」
抗おうとする彼の腕を強く引いて立たせた所で、小部屋の扉が開いた。
「な……」
「抵抗するな!」
飛び込んできたのは、黒い制服を身に纏った騎士たち。既に剣を抜き、
臨戦態勢にある。
「ち、近寄るな!」
ハイモが咄嗟にザシャへ短剣を当てた。
「ち、近寄ったら、コイツを、コイツを……」
言いながら、ハイモの口から泡が飛ぶ。視線が定まらず、腕が震えだし
た。尋常ではないその様子に、騎士たちの動きが止まる。
「は、放せ……」
ザシャが足掻く。ハイモの脛を蹴ろうとして、だがそれは成せなかった。
苛ついた彼は、ザシャの首をさらに強く締め付ける。
「う……」
短い期間とはいえ、騎士専攻に在籍したハイモの力は平均以上だ。意識
が遠くなるのを感じ、ザシャはあえいだ。
「どいつもこいつも……馬鹿にしやがって」
ブツブツと呟くハイモは、完全に我を失っている。
「放すんだ!」
「うるせぇ!」
ザシャの頬に短剣が当てられた。藻掻いた拍子に刃が触ったのか、彼の
頬に筋が走る。
「へへ……う、動くんじゃねぇぞ。もっと、もっと傷が」
そこまで口にしたハイモの意識が、唐突にザシャを傷つけた短剣の刃に
向けられた。
「なん、だ……?」
ザシャはタビーを刺し、ハイモはそのタビーから短剣を抜き。
だがその刃には、血の一滴、くもりさえも残っていない。
「まさか」
反射的に振り向こうとしたハイモの腕を、痛みが貫いた。
「うわッ!」
ザシャの首を絞めていた腕が緩む。咳き込みながら、彼はその場に屈ん
だ。
「ザシャ!」
聞き覚えのある声。もう一度、振り向こうとしたハイモの手を再度痛み
が襲う。それでもどうにか向けた視線の先には、杖を掲げたタビーがいた。
間違いなく、刺された筈。
左胸には、染みが広がっている。
――――染み?
ハイモの視線はその染みを凝視した。薄暗い家の中では判りづらいが、
それは間違いなく染みだ。
但し、赤くはない。
「てめぇ」
騙したな!とハイモが吠える前に、騎士達がその身を拘束する。
「放せッ、放せよっ!」
年齢にしては強い力を、騎士達は複数人で抑え込んだ。暴れるハイモの
足を、タビーの魔術が襲う。
「弾け!」
瞬間、ハイモの足は硬直した。茶魔術の応用は、人体の拘束も可能だ。
騎士達が彼を捕縛するのを見て、ようやくタビーの体から力が抜ける。
壁に寄りかかり、彼女もまたずるずると床に座り込んだ。
「……タビー」
膝をついたザシャが、声を絞り出す。掠れたそれに、彼女は笑った。
「大丈夫」
体力的には問題無い。気が抜けただけだ。ハイモを抱えた騎士達が出て
行き、その場に3人の騎士が残る。
「大丈夫か」
声をかけられて、タビーは頷いた。
「学院生か?一体どうした?」
「……」
それは彼女の台詞だ。こんなに都合良く騎士団が突入してくるなど、あ
りえない。
「私が……」
げほげほと咳をしながら、ザシャが告げる。
「私を、彼女は助けに来たのです」
「助けが必要な状態だったのだな?」
確認する様な問いかけに、彼は頷いた。
「俺たちはここで不法な取引が行われている、と通報があって来た」
「取引?」
ザシャが顔をあげ、タビーも不思議そうな表情で騎士を見る。
「そうだ。だが蓋を開けてみれば、不法取引どころか、人質がいる」
どうなっているのだ、と言いたげな眼差しに、タビーは俯いた。
何をどこまで話していいか、検討もつかない。
「……保護を希望します」
「なに?」
「私はノルド王国、伯爵のザシャ・バーデン。私と彼女を保護して頂きた
い」
■
呆れた様なカッシラーの眼差しに、タビーはいたたまれなかった。
「お前、ウチの連中に染まったな」
ウチ、というのは騎士寮の事だろう。本来であれば、助けを求めるべき
だった。それを自分で解決しようとしたのは、タビーの身勝手だ。
「申し訳ありません……」
ザシャとタビーは騎士団に保護された。
海を挟んだ隣国とはいえ、貴族は貴族。その貴族を拐かし、傷をつけよ
うとしたのだ。ハイモは連行され、タビーとザシャは騎士団に保護された。
身元引受人としてやってきたのが、教官で寮監でもあるカッシラーだ。
「無事でよかったと言ってやりたいところだが」
「はぁ」
「お前はともかく、ザシャだな。下手に表沙汰にすると、問題が大きくな
る」
ノルドとの外交状態は『険悪』である。間に海があるから戦争になって
いないだけで、これが土地を接していたら間違いなく戦争になっていた。
そのノルドの貴族が拐かされたとなれば、政治問題に発展する。それも
踏まえて、今、騎士団の参謀とザシャが面談を行っていた。
「ハイモは……」
「騎士団で拘束されている。というか、治療中らしい」
「治療」
「なんかの薬をやっている様だな」
「薬、ですか?」
前世でも覚醒剤や麻薬、ドラッグというものはあった。ダーフィトにも
その類はあるらしい。
「お前さんが作ってる薬とは真逆だ。ちっとばかし気持ち良くなったり、
自分が強くなった様に思えたりする」
「……ハイモも?」
「おそらくな。そうでもなきゃ、治療なんかせんだろう」
彼は今、貴族誘拐の主犯とされている。何らかの処罰が下るまで、とに
かく生かしておく必要があるのだろう。
「治るんでしょうか」
「さぁな。常習性があるヤツや、強いヤツはなかなか難しい。何を使った
かにもよるが」
「……そんな薬を、ハイモが手に入れられるものですか?」
彼はまだ13歳だ。体格が平均より大きく、力も強い。学院に入学でき
たのだから、それなりに頭も回る筈だ。それでも13歳の少年が薬を入手
出来るとは、タビーには思えなかった。
「ま、そういうことだな」
カッシラーは応える。
ハイモの側には、薬を与える様な輩がいた。
何の代償もなく、ただ薬を分け与える様な者はいない。恐らく、薬を与
えた誰かがいる筈だ。
何より、ハイモが放校処分になったこと、学院や貴族に強い恨みを抱え
ていることを教えた『誰か』がいる。それも、学院内に。
「まったく、これだから厄介だな。貴族様は」
学院内だけではなく、学院外の世界でも違法な力をもつ事ができるのは
貴族くらいだ。
「ザシャは、学院で襲われたそうです」
騎士達に保護され、騎士団本部に連れて来られたザシャは、そう言って
いた。
「ご苦労なこった。というより、ほんっとに何も考えていない奴らだな」
学院内で襲われれば、院生の関与が疑われる。しかも他国の貴族だ。ザ
シャ自身が影響力を持たなくても、このことを利用してノルドが干渉して
くる事は誰にでもわかる。それを敢えて実行するというのは、破れかぶれ
なのか、もしくは捕まっても自分の身の安全だけは守れるという自信があ
るからだ。
「それよりお前、その染みは何だ?」
カッシラーに指摘され、タビーはローブに出来た大きな染みを見る。
「テッサですよ」
「テッサ?」
この時期によく出回る果物だ。甘味はそれほど強くないが、柔らかい独
特の食感が癖になる。タビーは、これをローブの内側にある物入れに入れ
ていたのだ。ザシャが貫いたのはタビーではなく、この果物である。
「思ったよりべたつきました。次回は他の果物ですね」
「……次なんか考えるなよ、まったく」
呆れた様な物言いをしたところで、扉が開く。
「教官、タビー。ヘス参謀がお呼びです」
「はいよ」
カッシラーは立ち上がる。
「さて、行くか」




