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教官が笛を吹いた。
仕切り板が取り払われ、格子状の柵越しに両隊が睨みあう。
ヒューゴ側は、騎士専攻のほぼ全員と言っていい面々が前衛に揃っている
のを見て、虚を突かれた様だ。その油断を逃がさない。
「行け!」
副隊長の声が響く。タビーは杖を翳した。
パシンという乾いた音と共に柵のロープが切れる。緩んだ部分をこじ開け
東側が西側へと攻め込んだ。
「防御を固めろ!」
西側は攻めず、守りに徹する。なだれ込んできた東側と西側で打ちあいが
始まった。
「弓隊、前へ!」
戦っている相手をめがけ、東側の中衛が弓を引き絞る。矢は先端を丸めて
あるが、当たればそれなりに痛い。
「放て!」
副隊長の声に従い、矢が放たれる。最前衛で戦っている者達ぎりぎりの所
に矢が飛んだ。その間に、タビーは左側へと走った。
柵を倒した方が戦いは楽だが、逆に突撃を許すことにも繋がる。数カ所に
穴をあけ、可能な限り柵を維持するつもりだった。穴が開けられるのが待て
ない者達は柵を登って越えている。2ヶ所目に穴をあけ、タビーは再び走っ
た。
「タビー!」
相手も矢で応戦してきている。それを避けていると、どこかで聞き慣れた
声がした。
「タビー!!」
悲鳴だ。右側に行く足を止め、彼女は振り向く。
「なんなのコレっ!」
クヌートだ。半泣きになりながら、騎士専攻の一人に担がれている。
「何って……」
「僕、総隊長なんだよっ!何この扱い!」
「陣にいたら危ないと思って」
「ここにいる方が危ないってば!」
彼を担いでいる騎士専攻の者は逞しく、クヌートを担いだくらいでは問題
ない様だった。
それであれば、タビーにも問題はない。
「頑張って。突出しない様に言ってあるから」
「そうじゃない!」
わめくクヌートをその場に残し、タビーは右側へと走る。タビーを待てな
かった面々が、自分たちでロープを切り、穴を開けていた。これはあらかじ
め打ち合わせしていた通りなので問題ない。タビーを待って好機を逃すこと
の方が怖かった。
騎士専攻に続いて、タビーも西側陣地内へ入る。横から打ちかかってきた
相手をしゃがんでかわし、そのまま杖で脛を叩く。
「だあッ!」
痛みに転がった相手をそのままに、タビーは少し先へ進んだ。
「いた!」
魔術応用の同期達がそこにいる。今は同期では無く敵方だが。
「タビーだ!」
「放て!」
魔術が展開する前に、その前に滑り込んだ。呪と発動の間合いを計ること
が出来るのは、タビーの強みである。
「させない」
杖を伸ばし、相手の手首を叩く。相手が杖を取り落としたのを確認しなが
ら、次の相手へ己の杖を伸ばした。
魔術師は杖を使い魔術を発動する。杖がない場合、発動も展開も遅く不正
確なものになってしまう。大半の呪は発動しないと考えていい程だ。
だから、魔術を使う相手を潰すなら、杖を取り上げるか喉を潰すか、であ
る。
続けて2人目の杖を弾いた。同期としては申し訳ないが、少々強めに手を
打ってるので、直ぐに杖を拾えない筈だ。タビーも含め、魔術応用の院生は
打たれ弱い。
魔術応用の者達を助けようと進路を変えてくる西側の者達を避け、タビー
は柵まで退いた。
どこかでクヌートの悲鳴が聞こえた気がするが、気のせいということにす
る。タビーよりもずっと強い者に守られているのだ、大丈夫、と。
西側の前衛が割れ、槍を構えた面々が突出してくる。その長さで相手の体
を地に押しつけようという作戦だ。交わすにも間が詰まっており、かわせな
い。左肩を叩かれ、杖を落としかける。咄嗟に足で蹴り、どうにか右手で受
け止めた。
「疾く!」
タビーの魔術が発動する。狙うは手か足だ。急所を攻めることは禁じられ
ている。
小さな風の魔術を、複数走らせた。手を狙ったが、軽い傷しか負わせられ
ない。槍を放す程ではなかった。やはり騎士専攻と魔術応用では違う。
「タビー、下がれ!」
低い声がした。上から人が飛び降りてくる。彼女を押さえつけようとして
いた槍が、上からの衝撃に耐えかねて折れた。
「ディーター」
「出過ぎだ」
彼も槍を構えている。武器が壊れた者は直ぐに下がり、その間を他の者が
補った。
「お前、狙われているぞ」
「……やっぱり」
ヒューゴはタビーを警戒してくる。彼女が後衛で暢気に見学している様な
者ではないと読んだのだろう。自隊の魔術応用の院生を守る為には、タビー
を先に潰す方がいいと判断したのだ。
「判ってるなら、適度なところで退け」
ディーターは得意の槍を振るい、間合いをあけることに成功した。そこに
次々と味方が入ってくる。
ここは任せた方がいいと判断したタビーは、味方の合間を抜けて下がった。
次にヒューゴが動くとき、恐らくクヌートを狙ってくる筈だ。タビーは彼
の姿を探しながら、走り出した。
■
「魔術応用から棄権が3名」
報告を受け、自陣に控えていたヒューゴは頷き、図を見下ろす。
タビーが前線に出てくることは判っていた。彼が中衛に置いた魔術応用の
院生達を倒すのは、タビー一人で充分だ。元々彼らは集団戦にそこまで重き
を置いていない。棄権しても隊が勝てば評価点が貰えるからだ。無理をして
大怪我をされるよりも、早めに離脱してくれた方がいい。
「早いな」
ただ、予想より早い離脱だった。魔術応用の院生は少ない。うち3人が既
に離脱、中衛の魔術で牽制する方法は潰された。
「応用の連中に無理をさせるな。下げろ」
「了解!」
伝令役が走って戻って行く。可能であれば、ヒューゴも前に出たい。だが
総隊長としては動く訳にはいかなかった。
左腕の布にそっと手を当てる。
これを取られれば、どれだけ優位に進めていても負けだ。最後の最後まで
力は温存しなければならない。
「総隊長!」
実習の集団戦であっても、役が与えられればそう呼ばれる。
「どうした?」
「クヌートが!」
「?」
「クヌートが、前衛にでてるぞ!」
ヒューゴは反射的に立ち上がった。
■
「……どうなのかしら、これ」
「勝っているの?」
「わからないわ、よくみえないもの」
東側総隊長の陣を守っているのは、魔術応用の女子だけだ。男子は攪乱も
兼ねて弓隊に同行している。
彼女達にしてみれば、戦いの真ん中に飛び込むのは無謀としか思えなかっ
たし、何より戦い慣れしていない。練習用の槍や剣でも、彼女達にとっては
恐怖だ。
「……このままここにいてもいいのかな」
「タビーは前に出てるものね」
「彼女と私たちを一緒にしてどうするの?」
それもそうだ、と彼女達は頷く。講義後には騎士専攻課程に混じって訓練
をし、魔術の成績は誰にも首席を譲らない。タビーの存在は、彼女達にとっ
て遠いものでもある。憧れる気持ちも確かにあるが、あまりに自分たちと違
いすぎて嫉妬する気にもならなかった。
「ねぇ、ここ、もう少し土を削ったらどうかしら」
陣の前を指さし、一人の院生が声を上げる。
「削ってどうするの?」
「段をつくるのかしら」
「ええ。私たちの場所はちょっと狭くなるけど……」
「でも、段差なら乗り越えてきそう」
「そうね。だったら……」
彼女達は頭を寄せ合う。程なく、全員が頷いて杖を翳した。
魔術が発動し、地面が少しずつ削られていく。全員が身を寄せ合って、東
側の陣を少しずつ変え始める。
『陣の周りは好きにして大丈夫。でも相手が攻めてきたら、逃げてね』
タビーは彼女達にそう言い残していた。本陣に辿りつく騎士専攻の院生は
気が立っている。相手が女性であろうと、武器を振るいかねない。
それを聞いただけで、彼女達は恐怖に身を震わせた。誰もこんな戦いを経
験したことがない。だからといって、何もしないまま引き下がるのは悔しかっ
た。
魔術応用の彼女達にも、それなりの矜恃があるのだ。
棄権はいつでもできる。棄権を宣言した相手への攻撃は許されていない。
だったら、出来るところまではやってみようと、彼女達は考えたのだ。
「どうかしら」
「いいんじゃないかな」
「ここに水をかけませんか?」
「あ、いいかも」
「ここ、崩れない?」
「……私たちはともかく、男性が登ったら崩れるかも」
彼女達は顔を見合わせる。
「でも、今は大丈夫そうよ。後ろもあるし」
「そうね、登らなければいいんだもの」
「では……」
彼女達はまた杖を翳す。東側の本陣は、少しずつ形を変えていった。




