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タビーは慌ただしく退避場を行き来していた。
体術のみで戦う夜間戦闘は、視野が確保できないせいか、手加減をするこ
とが難しい。取りあえず退避場までは戻ってきたものの、酷い打撲等で動け
なくなった者もいる。出血している者も少なくない。
「すみません、水、水お願いします」
タビーと見学していた数人の魔術応用の面々で治療に当たる。といっても
癒やしの術は使えない。傷を判断し、簡単な応急処置をする程度だ。酷い怪
我は教官に申告する必要がある。頭部の出血も怖い。
「い、いてぇ!いてええ!」
「押さえて!」
同期の言葉に、タビーは地面で暴れている男の肩を押さえつけた。どうや
ら足を痛めた様だが、痛がり方が尋常では無い。骨折したか、していなくて
も酷い打撲を負っている。騎士専攻の面々は痛みに強い方だが、やはり限界
はあった。
同期がズボンを裂き、薬を塗ってから足を固定する。タビーともう一人は
その間、怪我人が動かない様に押さえていた。
「ちょっと、これは僕たちでは駄目だね」
「わかった」
一人が立ち上がり、教官へ指示を仰ぎに行く。酷い怪我の場合は、騎士団
付きの薬術師に対応してもらう事になっていた。
唸っている男の顔を布で拭って、そっと横たわらせる。唸っているが、先
程の様に暴れることはない。そうこうしているうちにも、布を取られた院生
が次々に退避場に戻ってきている。
あたりを見回すが、クヌートの姿はない。無事に逃げ切っているといい、
と思いつつ、タビーは腕から血を流している院生に駆け寄った。
「治療します。座って」
水で傷口を洗浄し、傷薬を塗る。浅い傷であればこれだけで充分、多少深
くても包帯を巻き付ければ治療は終わりだ。前世の傷薬とは違う、魔力のこ
められたそれは、回復力を高め、傷口を閉じさせる作用があった。
教官の指示で、怪我の酷い2人が騎士団へと運ばれていく。その間を縫っ
てタビー達は治療に駆けずり回った。
乾いた音が、2発。
顔を上げれば、狼煙の名残が見えた。夜間戦闘終了の合図である。
暫くすると、森から何人かが出て来た。皆、腕に赤い布を巻いている。手
に奪った布を持っている者も数人いた。
タビーは立ち上がり、目を凝らす。松明がいくつも燃やされていたが、人
の顔は判断しにくい。それでも小柄なクヌートであれば見逃すとは思えなかっ
た。
どこかで怪我をして、動けなくなっているのではないか。
そんな心配が胸を過ぎる。無事に残った面々の中にも怪我をしている者が
いた。酷くはなさそうだったが、クヌートは大丈夫だったろうか。
「タビー」
ようやく治療が一通り済んだ彼女の周りに、レオ達がやってくる。
「クヌートは?」
「わからない。まだ戻ってきていない」
「……」
戦った時に怪我をして動けない、気絶している、などの理由で森に取り残
された者がいる様だった。教官が指示を出し、夜間戦闘に出ていなかった騎
士専攻の者達が捜索に出る。
「まさか」
レオが呟いた。
「俺も行ってくる」
捜索に向かう院生達に合流しようとしていたディーターが、ぴたりと足を
止めた。
「ディーター?」
ハインツが立ち止まった彼の肩越しに、その姿を見つける。
「……クヌート!」
肩を落とし、疲れ切ったクヌートが、捜索に行く院生達に逆らう様に歩い
ていた。
「クヌート!」
一番に駆けだしたのはレオ。タビー達も慌ててその後を追う。
「クヌート!!」
レオがもう一度呼んだ。その声に、彼はのろのろと顔を上げる。
怪我はしていない様だった。駆け寄ったタビー達がクヌートを取り囲む。
「お、おい。大丈夫か?」
「うん」
力なく頷く彼の左腕には、赤い布があった。
「逃げ切ったか」
ほっとしたレオがクヌートの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「これ……」
そして、彼が差し出した右手には、誰のものか判らない赤い布。
「取ったのか!」
ディーターが目を見開いた。たった一枚、しわくちゃになったその布を、彼
らは凝視する。加点の対象でもある赤い布を。
「……った」
「クヌート?」
「こ、怖かった、よ」
「そうだな、よく頑張った」
ハインツが肩を叩く。クヌートは大きくしゃくりあげた。
「怖かった、怖かったよ!もうやだ、こんなの二度とやらない!」
わんわん泣き出したクヌートに、全員が目を丸くする。
「く、クヌート?」
「もう、絶対やらないんだからね!絶対!」
喚いて地団駄を踏みつつ涙を流すクヌートに、4人は苦笑した。
「そうだな」
「よくやった、クヌート」
「うん。加点も貰えるよ。凄いよ!」
皆の言葉に、彼はしゃくり上げつつもどうにか笑う。
「しかし、お前、よく取ったな」
レオが握りしめられたままの赤い布を見た。
「う、うん……」
顔を赤くしたクヌートは、少し俯いてから顔を上げる。
「その、ね」
クヌートが布を取れたのは偶然だったという。
木の上部を伝って逃げていた彼は、最後の最後まで逃げ切るつもりだった。
取れるか取れないか判らない加点を狙うよりも、生き残って点をとる方がい
いと判断したという。
「その時にね、偶然同じ事してたのがいてね」
「木の上にか?」
「うん、僕よりずっと下の方を移動していたけど」
クヌートは何度か彼と行き会ったという。とはいえ、高さが違うため相手に
気づかれる事は無かった。
「最後になって、偶然なんだけど……」
様子を見に少し下へ下りたクヌートを、相手が発見したという。
相手はクヌートを追いかけた。勿論、木を伝いながら。
「逃げたんだけど、追いつかれて」
終わった、とクヌートは思ったそうだ。だが、相手が彼に迫ろうとした瞬間
その足下の枝が折れたという。
「それじゃ……」
「うん、ほんとに偶然っていうか、何というか」
そのまま落下した相手は地面に体を打ち付け、動かなくなった。クヌートは
どうにか自分を励ましながら、その布を取ってきたのだ。
「そういうのは運がいい、って言うんだよ」
ハインツの言葉にクヌートが笑う。
「相手は?」
「気絶したみたい。揺すってもおきなかったから」
布を翳した彼に、タビーは微笑んだ。
「そういうのもありなんでしょ?」
「うん」
「クヌートを追い詰めた所で油断した、そいつの甘さだな」
クヌートのは小柄で、力も弱い。身軽ではあるが、それは有利には程遠かっ
た。それもあって相手は油断したのだろう。
「あ、でも、僕、放ってきたんだけど」
「今、捜索隊が出た」
「じゃぁ大丈夫かな?」
首を傾げた彼の背を、レオが軽く叩いた。
「ほら、教官とこ行ってこい!」
「え?あ、うん」
夜間戦闘担当の教官へ駆けていくのを見送って、タビー達は顔を見合わせる。
「クヌートのお手柄、だね」
「生き残った上に1枚か」
「最低点じゃなかっただけ、凄い」
この加点が順位にどれだけ響くか。
今回の実習は30組に分かれている。明日の暫定順位発表で、何位かが判り、
集団戦の組合わせも決まるのだ。明日の段階で最低限真ん中にいたいタビー達
に、クヌートが加点を持ってきたのは大きい。
「……何だか、ほっとしたら眠くなってきた」
タビーがぼそりと呟くと、ハインツが笑う。
「気が抜けた?」
「明日があるぞ」
「うん、でも、なんか……よかった」
怪我人の手当もして、妙に疲れてしまったタビーは、ほうっと溜息をつく。
「あとは、明日だね」
「そうだな」
明日は最後の集団戦。負ければ評価点が貰えない、だが自分たちのがんばり
だけではどうにもならないもの。
「なんか、腹も減ってきたな」
「簡易食料だったからね」
「あー、肉食いたい、肉」
貴族らしからぬレオの言い回しに、残りの3人が笑った。
実習は、3日目を迎えようとしている。




