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タビーと騎士の犬  作者: 弾正
実習
173/1043

173


 必須の騎乗は完全に日が暮れる直前、漸く終わった。

 この後は夜間戦闘だ。そのため、夕食は干し肉と硬く乾燥させた保存の利

くパンである。馬場に隣接する森の側に、夜間戦闘に参加する者達が集まり

始めていた。

「……駄目だ、無理、本当に無理」

 そういって逃げようとするクヌートの首根っこをつかまえ、ここまで引き

ずってきたのはレオである。

「でも、平地じゃないから。勝ち目はあるだろう」

 ハインツの言葉にも『だったら代わりに出てよ』と返していた。

「夜間戦闘は楽というか、まぁ判りやすいって感じだね」

 森はかなり広い。参加者はこの森の中に散り、戦う。自分以外は全て敵、

という想定だ。その中で連携を取るのか、孤独に戦うのかは各自の判断によ

る。全員が赤い布を腕に巻き、これが取られれば負けだ。

 無論、お互い示し合わせて最後まで生き残る、という方法もあるが、相手

を視認しにくい森、しかも夜という環境では難しい。組む相手に騙されて、

布を奪われる可能性もある。

 極限状態でどこまでやれるか、がこの実習の目的だ。


「クヌート、とにかくやるしかないぞ」

 ディーターの言葉に、クヌートはふるふると震えた。小動物の様で可哀想

になってくるが、ここで甘い顔を見せる訳にはいかない。

 タビーはクヌートの左腕に、少々の事では解けない様な結び目で布を巻い

た。引っ張っただけでは取れない。薬術講義で習った、強力な固定方法だ。

 

「ううう、無理だよ、僕」

「クヌート」

 タビーは彼の耳に唇を寄せる。

「……」

 彼は目を丸くした。驚いた様に、タビーの顔を見つめている。


「夜間戦闘の参加者は、集合!」

 教官の声に、クヌートが体をびくつかせた。レオが肩を叩き、彼を送り出

す。

「何を言ったんだ?」

「ちょっと気が楽になることを」

「?」

 ハインツとディーターは顔を見合わせる。レオは長いため息をついた。

「武器無しだから……難しいだろうな」

 体術だけで戦わなければならない。集団戦と同じくらいの肉弾戦だ。


 とぼとぼと歩き、参加者の中に入ったクヌートの姿はもう見えない。

 小柄な彼は、どうしても体格で不利になる。素早さ、身軽さで補えること

は考えるよりも少ないのだ。

「タビー、どうする?俺たちは見て行くけど」

「私も」

 クヌートも心配だったが、純粋に興味もあった。普段、剣や槍を使って訓

練をする彼らの体術は、一体どの様なものかと。

 森の中で行われる戦闘のため、実際彼女が見ることはできないが。


「よし、じゃこっちだ」

 4人は揃って退避場近くへ移動した。ここは布を取られた院生が戻ってく

る場所である。ちらほらと見学する院生の姿があった。


 暫くして、パンという乾いた音と共に狼煙があがる。始まりの合図だ。

 退避所から森は少し離れていて、声は殆ど聞こえない。夕方から吹き始め

た風の音もあり、森の中では相手の動きも判りづらいだろう。

「なぁ、タビー」

「ん?」

「クヌートに、何言ったんだ?アイツ、凄い驚いてたけど」

「逃げろ、って」

 正確ではないが、大まかには合っている。

「は?」

 レオ達3人は顔を見合わせた。

「取りあえず残れば平均以上の点数が貰えるから。正面から当たっても勝ち

目ないし、逃げればいいかと」

「それは……」

 夜間戦闘は最後まで布を取られない事が大事だ。布を取られてしまえば、

即最低点となる。相手の布を取れば加点になるが、それをクヌートに要求す

るのは可哀想だった。夜間戦闘に参加する面々は、いずれも体格が良く、彼

が普通に戦えば直ぐに負けてしまう。

「確かに、アイツじゃ逃げるのが精一杯か」

「逃げるのは、別にいいんだよね?」

「もちろん」

 騎士は戦いになれば基本的に退かない。だからといって無益な戦いをする

ことは許されていなかった。学院を出た騎士は幹部候補生、将来は隊を担う

存在になる。英雄願望だけで部下を突撃させる様な幹部は不要だ。


 退避場に2人ほど戻ってきていた。ほんの少しの時間なのに、ぼろぼろに

なっている。腕の布は、ない。

「……時間の問題だな」

 はぁ、と溜息をついたレオの背を、タビーは軽く叩いた。



 森の中、クヌートは身を潜めている。風の音がいり混じり、気配を探るの

が難しい。だが、ここで動けば見つかるのはクヌートだ。


 彼が今いるのは木の上。それも低い枝ではなく、かなり高い所にいる。


『逃げていいよ。上ならね』


 幸い、身軽さは彼の売りだった。狼煙があがる前、こっそりと木に登り、

状況把握に努めている。

 夜間戦闘では武器が使えない。クヌートの得意とする短い刃の両手剣はと

もかく、弓があれば相手を狙う事もできた。だが体術となると、彼はとにか

く逃げるしかなくなる。体格の差は大きい。

 

 下で、草を踏みしめる音がした。クヌートは木に寄り添い、動きを止める。

 呼吸を深くし、悟られない様に可能な限り気配を消した。

 少し遠くでは、何かがぶつかる様な音がしている。さほど成績は良くない

が、騎士専攻にいるのだ。それが戦いの音だと直ぐに判った。


 クヌートの足下で、細い枝が少しだけ音をたてる。ひやりとしたが、誰に

も気づかれていない様だ。

 気配を探りながら、彼は枝を伝い、他の木に移る。気をつけるのは、自分

が乗れる細い枝を見極めることだ。折れれば下に落ちる。途中で引っかかっ

ても見つかる可能性が高い。

 ひょい、ひょいとクヌートは木の間を移動する。胸がどきどきしていた。


「くそっ!」

「こい!」

 丁度戦っている場に行きあった彼は、その場で足を止める。誰の声かまで

は判別できないが、どちらが優位かは判った。幹に寄りかかり、気配を抑え

て勝負がつくのを待つ。

 少しして、片方が倒れた気配がした。布を取られたのだろう。何か言いな

がら、退避場のある方向へ行ってしまう。

 勝った方はまた歩き出した。その気配が遠ざかるまで息を殺す。完全に相

手の気配がなくなったところで溜息をついた。


 騎士専攻の同期は、気易い者が多い。クヌートを男爵家の息子、と馬鹿に

したりからかったりするのは専ら貴族の同期達だ。レオは子爵家の息子だが

クヌートの面倒を良くみてくれたし、ハインツもディーターも、同じ隊になっ

てからは色々助言をしてくれた。

 だから、今回の様に敵になってしまうと、クヌートは困惑する。どうして

も割り切ることができない。これは騎士として致命的な甘さだが、それでも

クヌートは相手を敵だと思い込めないのだ。


 だから、タビーの助言にほっとした。


 逃げていい、と背中を押してくれた様な気がする。実際、どう考えても逃

げる以外の選択肢は無かったが、後押ししてもらえたら自信がでた。

 ――――上へ逃げる、というのは思いつかなかったけれど。


 木々を渡っていくうちに、やはり同じ様な逃げ方をしている同期がいるこ

とに気づいた。クヌートよりはずっと下の枝を伝っている。体格から考える

とそこが限界なのだろう。高い所を伝うことができるのは、クヌートが小柄

だからだ。


 相手とは距離を取りながら、木を移動する。


 どの位時間が経ったか判らない。当初は一晩中の予定だった夜間戦闘は、

院生達の消耗を考えて半分以下の時間に減らされている。それでも、緊張感

に晒されての実習は、精神を疲弊させていた。

 下で、鈍い音がする。誰かが戦っている様だ。クヌートは少しだけ下に下

りる。木々の合間から覗いてみるが、暗いせいもあって確認できない。

「……」

 ここでもう少し下に下がることもできたが、恐怖心が勝る。地上近くで見

つかれば捕まる可能性が高い。結局、元の位置に戻った。


 さて、これからどうするか。


 このまま逃げ続けるのが一番いいのは判っている。今の感覚でいけば、恐

らく最後まで残る事ができ、隊に平均点以上の評価点が入るのだ。『隊』の

一人として考えれば、それが最良である。

 だが、加点も欲しい。加点を得るには、相手から布を奪えばいいが、奪う

には相手を倒すか動けなくする必要がある。その為に地上に降りれば、彼は

間違いなく負けるだろう。貰える点数を手放し、最低点の評価になる。自分

だけなら構わないが、『隊』として考えた時、これは無謀だ。無策ならば、

加点を考えない方が良い。


「……」

 

 『隊』の点数がどのくらいなのか、クヌートだけではなくタビー達も把握

できていない。大体この位か、と見積もってはいるが、それが正しいかは明

日の集団戦になるまで判らないのだ。集団戦前に順位が発表され、その順位

によって集団戦としての『隊』が決まる。

 集団戦の判定は自分の所属した『隊』が勝ったか負けたかだけ。勝てば評

価点が、負ければ点数は貰えない。


 集団戦の事を考えて加点を取りに行くか、それとも。


 クヌートは唇を噛んだ。

 風の音が、更に強くなっていく。



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