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「うわぁ……」
目の前で繰り広げられるそれに、タビーは声を上げた。感嘆でも驚愕でも
ない。目の前で立つ激しい砂埃に対してだ。
「うわ、見えないなぁ」
クヌートは一晩で復活したらしい。レオは反対にぐったりとしていた。ど
んな宥め方をしたのかは判らないけれど。
「ディーターは?」
「さっき、あっちに駆けていった」
馬装訓練は、馬場に放たれた馬を捕まえ、鞍等の取り付けを行うものだ。
馬には長い手綱もついていない、裸馬の状態である。そんな馬が馬場の、
しかも芝ではなく砂場に近い場所に放たれたのだから、とにかく埃が凄い。
騎士団で使われる馬はある程度訓練されている。だが本能的な臆病さは、
どの馬も持っていて、院生達が近づくと逃げてしまう。更に砂埃が視界を遮
り、足場の悪い砂地での馬装は難しい。
まずはとにかく馬を捕まえ、馬装具が置いてあるところまで導き、馬装を
全て準備したら教官の所へ馬を連れて行く。馬はそのまま騎乗型や馬上戦闘
の実習で使われる。そのため馬はある程度まで減ったら直ぐに補充された。
「早くしろ!馬が足りないぞ!」
教官の怒鳴り声に、院生達は必死になって馬を追う。馬の扱い、馬装の素
早い準備、そして追いかけ続けられるだけの体力が必要だ。
「これはなかなか」
ハインツの声が籠もって聞こえる。柵の側で見学しているのは、大体が騎
士専攻の面々だ。そして皆、口に布を当てている。タビーも同じだった。
「馬装って大変だね……」
騎士専攻にいるのだから、クヌートも馬装はできる。だが、裸馬を捕まえ
るところから、となると体力的に難しい。身長的にもだが。
「タビー、そろそろだろ?」
顔半分を布で覆ったレオの言葉に、彼女は頷く。
「いってくる」
「頑張れ!」
「ありがとう」
タビーの選択した種目は騎乗型。馬に乗ったまま、指定の通りに歩かせ、
走らせる。図形の上をなぞる様に動かす必要があるため、集中力が必要だ。
騎乗型を行う馬場は土だった。砂場でないだけいい。口を覆っていた布を
取り、タビーは指定場所に並ぶ。
馬装を施された馬が、次々と連れて来られた。まだ興奮している馬もおり
それらは落ち着くまで乗ることができない。
騎乗型は3つの馬場を使って行われる。騎士専攻の者が多く、その中でも
貴族が大半で、騎士寮では見た事のない者が殆どである。騎乗型は特に近
衛で必須とされるもののため、尚更だった。
最初の院生が馬に乗って馬場に入る。きちんと制御され、図形を外すこと
もない。騎乗している院生の姿勢にもまったくぶれがなかった。
「凄い……」
「あれくらいなら私でもできる」
「私だってそうだ」
交わされる言葉に、タビーは顔を引きつらせる。この院生ですらまだまだ
というのであれば、彼女は全くだめ、という事だ。
(厳しいな)
一位を取れるとは思っていなかったが、逆に最下位の可能性がある。最下
位でも点数は取れるが、隊としては1点でも多く欲しいのだ。
そんなことを考えているうちに、タビーの順番が来た。
騎乗型で魔術応用の院生が出るのは珍しいのだろう。タビーの名前が呼ば
れた時、その場がざわめいた。
注目を浴びつつも馬装を確認し、騎乗する。馬は数歩動いたが、直ぐに落
ち着いた仕草をした。
「入ります」
声に出すと、教官が頷いた。まずは馬場の対角線上を歩き、次に四辺にあ
たる部分を速歩で。そこまでは問題無く走らせることができる。
次は図形だ。馬を落ち着かせながら、最初の円形上を歩かせる。ゆっくり
過ぎても減点だし、加速すれば円形から外れる。細かな手綱の調整で、どう
にか1つめの円は通過した。2つめの円に入った所で、馬が外側に行こうと
する。それを抑えようと手綱を引いたが、今度は内側に入ろうとした。
タビーは一旦馬を止める。騎乗型で馬を止めることは可能だ。規定時間内
であれば。
馬の首筋を軽く叩いて落ち着かせつつ、再度歩き出す。歪ではあるが、と
りあえず円形に回ることができた。
この後にも幾つかの円や静止状態で指定時間待機などを行い、どうにか無
難に終わらせる。最下位を免れたかは判らないが、思ったよりはうまくいっ
た。
馬は次の待機所に連れて行く。ここで騎士団の担当が簡単な馬体確認を行
い、問題がなければ次の馬上戦闘で使われるのだ。
騎乗型を最後まで見てから、タビーは障害に向かう。端に作られた障害の
ルートは、浅い溝や木の塊、網の張られた地面やロープ登り、泥田の様な幅
広の池等で構成されている。タビーが到着した頃は、半分の生徒が実習を終
えていた。
ハインツの姿を探すが、並んで順番を待っている生徒の中にはいない。既
に終わったのだろうか。タビーは競技が終わった院生達がいる方へ向かう。
だが、これは失敗だった。全身泥だらけの面々に、水を要求される羽目に
なる。井戸から水をくみ上げるより早い、と思われているのだ。種目外で魔
術を使う事は禁じられていない。ただし、使えるのは指定されている魔術だ
け、以前寮前で使った様な水を出すことはできなかった。
「今できるのは、こう、じょうろの様な感じなんだけど……」
「無いよりマシだ」
それほど大量に流せない、威力も殆ど無い、ということをもう一度だけ説
明して、杖を掲げる。
「……」
まさにじょうろの様な、ちびちびとした流れに全員が沈黙した。想像以上
の貧相さだったのだろう。
「……取りあえず、これで手を洗って井戸から水を汲めば早いから!」
言い訳の様な事を口にしつつ、タビーは杖を軽く振る。範囲を広げる事は
可能だったため、こまめに杖を振っていると後ろから声をかけられた。
「私もご一緒に」
「私も」
やってきたのは、魔術応用の女生徒だ。障害にでる、隊の仲間を応援して
いたという。タビーの姿を見つけて、こちらに来たという女生徒が、杖を取
り出して同じ様に魔術を使った。
一人、また一人と加わる。
最終的には7人の院生が魔術を展開した。
一人ではじょうろの様でも、7人も集まれば威力は高まる。魔術同士を重
ねれば、泥を落とすのには充分だった。
「助かった!」
「ありがとう」
騎士専攻の面々は口々に礼を言いながら、泥を落としていく。ある程度の
人数がさばけたところで、今度は2人ほどが弱めの緑魔術を展開した。さら
に1人が別の魔術を重ね、風を暖かくする。
このどれもが使用可能な最低限の魔術だ。こんな時には役に立つが、集団
戦では使いどころのない魔術でもある。
「手伝ってくれて、ありがとう」
障害が終わり、参加者の院生達が泥を落とし終えたところでタビーは杖を
下ろした。
「お気になさらず。昨日はタビーのおかげでゆっくりと休めましたし」
微笑んだ女生徒に、タビーは少し顔を赤くする。
「そ、それほどじゃ……」
「私の隊の仲間もいますから。ちょっとしたお手伝いだけ」
女生徒達は顔を見合わせ、くすくすと笑っていた。嫌な笑い方ではなく、
育ちの良さを感じさせる可愛らしい笑みだ。
「あら、もう時間だわ。私、次の応援に行きますね」
「私も」
「ええ、では皆様、また夜にでも」
女生徒達はばらばらに散っていく。人数の多い隊であれば、魔術応用の女
生徒達は応援要員だ。可愛らしい彼女達の応援が男性陣の力になるのは、今
も前世も同じだった。
「タビー」
見計らった様に、声がかけられる。
「ハインツ。どうだった?」
「水、助かったよ。ありがとう」
「そっちじゃなくて……」
「わかってる」
半乾きの服を来たまま、彼は歩き出した。
「取りあえず、真ん中くらいだと思う」
「真ん中?」
「平均点は取れてる、ってとこかな」
それでも充分だ。
「タビーは?型、難しかった?」
「うん……ちょっと外れちゃって」
「ありゃ」
「最下位ではないと思うんだけど……」
型に出た他の面々は、誰もが見事だった。タビーの様に外れそうになる者
もいたが、静止せず手綱で元に戻していたのだ。タビーとて規定時間内の静
止だから減点は無いと思うが、自信は無い。
「となると、レオの馬上戦闘にかけるしかないな」
「強いの?」
「馬上戦闘はね」
レオはディーターと並んで槍が得意だと言っていた。馬上戦闘は槍を使い
騎乗したまま戦う種目である。どちらかが落馬するか、降参と言うかまで何
度も続けられるのだ。馬と槍、両方の扱いに長けていても、勝つのは中々難
しいという。
「レオは、手綱を握らなくても馬に乗っていられるから」
「……それって凄くない?」
「うん」
当然ながら馬は常に動いている。人だけではなく、馬同士も体をぶつける
ため、馬の状況にも気を配らなければならない。
「でも、レオは剣術苦手だから」
「騎士課程なのに珍しいね」
「レオは槍馬鹿なんだよ。ディーターは剣術もある程度できるけど」
そう言うハインツの言葉は、柔らかかった。けなしている訳ではなく、純
粋にそう思っているのだ。
「あ、ハインツ!タビー!」
覚えのある声が後ろから聞こえる。振り向くと、クヌートが走ってきた。
「ディーターは?」
「まだやってる」
「終わってないの?」
「終わってないよ。そろそろレオの方が始まるから、ちょっと抜けてきただ
け」
馬装訓練は準備された馬に馬装をし、その時間と正確さを争うものだ。だ
が今年は馬を捕まえるところから、となったため、時間がかかっているとい
う。
「下手したら、必須の騎乗は夕方になるんじゃ」
「夕方ならまだマシ。夜かもよ」
馬装した馬は全てが使えるとは限らない。1種目終える毎に馬体確認が行
われ、疲労が激しい馬は馬房へ戻される。そうなると今度は代わりの馬が必
要になり、新しい馬の馬装が必要になるのだ。
「それって、延々と続くんじゃ……」
「体力持たなくなるから、多分、昼ご飯くらいになったら止めると思うけど」
時間的にはもうすぐ昼だが、2日目の昼食は遅めに設定されている。これ
は夜間戦闘がある為だ。
「夕方までに騎乗の実習が終わればいいね」
「終わったら、お前は夜間戦闘だな」
「言わないで!考えない様にしてるんだ」
聞きたくない、という様に、クヌートは顔を背ける。ハインツとタビーは
顔を見合わせて苦笑した。
「ま、取りあえずレオの応援行こうぜ」
「うん、タビー、きっとびっくりするよ!レオは槍馬鹿だからね!」
得意そうにそう言うクヌートに、彼女は吹き出す。
「見逃したくないね……行こう」
3人は速歩で馬上戦闘が行われている馬場へと向かう。
太陽が、南天にさしかかろうとしていた。




