17
夢を、見た。
『あっちに行けッ!』
言葉を投げつけてきたのは、母という存在だ。
髪は黒い。俯いて目に入ったのは、前世で来ていた紺色の制服。
『お前なんか、いらないんだ!』
記憶に残る母は、いつも酒の臭いがしていた。饐えた臭いが部屋中に充満して
いて、窓を開けた位では取れない程で。
『こっちを見てるんじゃないよッ!』
何かが投げられたが、感触も痛みも無い。
――――そう、これは夢なのだ。
タビーではなく、前世で何者かであった時の夢。
時折唐突に顕れては、彼女を苛む狭間の夢だ。
世界が、反転する。
投げつけられているのは、無機質で冷たい瞳。
『……忌まわしい子』
吐き捨てる様な言葉に不似合いな、美しい部屋だった。
『どこぞなりと、捨てておしまい』
諫める様な言葉を、だが冷たい瞳の主は聞き入れない。
『早く!その子がいる限り、私に安らぎは訪れない』
――――そう、これも夢。
だが、これはタビーの記憶だ。
忘れ様にも忘れられない。酒に酔った母と、今生の母、いずれにも投げつけ
られた言葉は棘の様で、いつもは隠れていても唐突に目を覚ます。
(大丈夫、二度目だから)
タビーは呟いた。
あの日、冷たい瞳に見つめられた瞬間、彼女は前世の記憶を取り戻したのだ。
その瞬間から、タビーは諦めた。
なんの打算もない、無償で授けられる筈の、家族愛というものを。
前世の自分は、それに気づくまでに時間がかかった。
得られなかったものを得ようとしてあがき、諦めるまで無為の時間を費やし。
諦めてからは、楽になった。
家族には恵まれなかったが、よい友人に囲まれ。
一人で生きて行くには中々難しい時代だったが、精一杯生きた―――と思う。
どんな最後を迎えたかは、思い出せなかったが。
「……」
なのに。
「……」
深く呼吸すると、ほろりと涙が溢れた。
「夢だ……」
一人きりだから、こんな夢をみるのだろう。寮に入ってから、そして学院で
過ごす様になってから、タビーは夢さえ見なかった。
商業ギルドで仕事をしていた日々とは別の意味で充実している。
夢をみる暇すらない。
ラーラ達が笑って言った通り、タビーもそうだった。
「起きよう」
眠気はどこかに行ってしまった。窓の外は白み始めている。もう少しすれば
騎士寮の面々も帰ってくるだろう。
手早く身支度を整える。
教本を準備し、ひとまとめにした。
錠前を開け鎖を外すと、静かな空気が寮に満ちている。
今度は外側から錠前を通し、しっかりと鍵を掛けた。
足早に入口へと向かう。
まだ誰も帰っていないのだろう、入口は汚れ一つない。教本を置き、階段に
腰掛ける。
帰ってくるのを待つ、というのは、案外不安なものだ。
前世での自分は結婚していたのだろうか、子どもはいたのだろうか。
もし家族がいたのなら、やはり不安な思いをしていたのだろうか。
答えは見つからない、思い出せない事を無理に思い出すつもりもない。
ただ、いつもの面々を待つのは不安と、どこか楽しみな気持ちがある。
思っていた以上にこの生活に慣れてしまった、と思いながら、タビーは皆が
戻ってくるのをひたすら待つ。
朝が来る。
夢は、もう思い出さなかった。




