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魔術を使うには、内的循環と外的循環が必要だ。
魔力を巡らす内的循環は、タビーが得意とするもので、現在では無意識に
行う程に馴染んでいる。
外的循環は発声や呪そのもの。言葉で、呪で、魔術の発動を促す意志の力
でもある。いずれが足りなくても魔術は正常に発動しない。どの様な場面で
も心を落ち着け、必要な呪を唱える必要がある。威力を高めたいのであれば
尚更集中と意志が重要だ。
「次!」
教官の声に従って、タビーは呪を発する。
「疾く!」
この世界の魔術は長い呪文は持たない。むしろ短い呼びかけの様なものだ。
赤・茶・緑・青・黒、同系統であれば呪が同じ事もある。『疾く』という
呪で発動するのは、攻撃や防御。どれを発動させるかは、意志が強く作用す
る。
鋭い音がして、浮いていた的を術が攻撃した。焦げた的はぽちゃりと落ち
る。
タビーがいるのは、水の中だ。タビーだけではなく、全員が水に入ってい
る。それも、肩まで。
季節は春先、まだ寒い。誰もが唇を紫色にし、震えながら呪を唱える。こ
の状況で正確に呪を放つのは中々難しかった。冷たさを緩和するための魔術
を維持しつつ、攻撃魔術を展開し的を落とす。寒さが集中力を削ぎ、水の不
安定さが攻撃を難しくさせる。この世界では普通より少し身長が高いタビー
でも足がつかない深さだ。
「よし、次!」
教官は新しい的を準備する。タビーの次の院生が攻撃するが、震えで呪が
上手く唱えられない。的に当たったが、落とすまでは行かなかった。
「もう一度!」
的を落とすまで終わらない。そして全員が的を落とさなければ水から上が
ることは許されなかった。緊張と同期に向ける期待や怒り。集中力を削ぐに
は実に良く出来た環境である。
「もう一度!」
歯の根が合わない。かちかちという音が自分の唇から漏れてるのに気づき
タビーは歯を食いしばった。今は、同期の集中力に期待するしかない。
何回かの挑戦の後、的は漸く落ちた。終わるまで、あと数人。これ以上体
温が下がらない様に、魔術を使って水温を上げる。いっそのことこの水全て
を湯にしてしまいたいが、それは禁じられていた。
「次!」
隣に浮いている女生徒の顔色が悪い。真っ白だ。唇だけがやけに濃く紫色
になっている。寒さで自分の体を維持する魔術も使えなくなっているのか。
タビーは教官から見えない様に手を伸ばし、彼女の手を握った。
はっと顔をあげた相手を、タビーはわざと見ない。そのまま少しずつ熱を
渡していく。同時に自分の周囲の水温が下がったが、まだ耐えられる。大き
く体を震わせた彼女は目を閉じ、集中を始めた。少しすると、彼女も魔術を
使える様になったのだろう。指先が熱くなる。
「次!」
あと一人だ。見えない様にゆっくりと指を外し、タビーは浮いている的を
見上げる。
的が落ちた所で、全員が安堵の溜息を吐いた。これで水から上がる事がで
きるのだ。教官は的を確認してから全員上がる様に指示を出す。
水を吸った服は重い。前世であった様なプールとは違い、周囲は土だ。手
を付いても滑る。何度か水に落ちながら、タビーは漸く地面にずり上がった。
息が白い。ぜいぜいと喉を鳴らして息をしながら、タビーは立ち上がる。
「割け!」
杖を翳して、火を作った。攻撃魔術の応用だ。続いて上がってきた男子生
徒達がいそいそとその周りに集まる。
タビーは服の水を搾り、振り返った。女子はやはり自力で上がれない者が
多い。引きずられない様に注意しながら、タビーが手を伸ばす。それに気づ
いた他の院生達も介助に当たり始めた。
(魔術が使えなかったら)
手を貸しながら、タビーは背を震わせる。
この寒さだ。魔術か何らかの手段が無ければ、直ぐに衰弱する。
(付与魔術は、こういう時でもつかえるのかな)
基本的に物に付与する魔術だ。人にかけるものではない。だが防御魔術を
人に使う事が出来る様に、付与魔術も使える可能性がある。
(この場合なら、青魔術で耐久を高めるとか?)
効果があるかは疑問だ。考えつつも、タビーは皆と一緒に生徒達を引き上
げる。
「本日の講義はこれで終わる。解散」
教官はそれだけ言うと、全員の安全を確認せずに歩いて行ってしまう。
それでいいのか、と怒りが芽生えるが、タビーはそれを抑え込んだ。
「よいしょ、と」
最後の生徒を引き上げ、彼女は息を吐いた。ぐったりした様に倒れる生徒
に肩を貸し、火に近い所まで連れて行く。他の生徒がしたのだろうか、タビー
が作り出した時よりも大きく火が揺れていた。
「服を絞って。足下に、気をつけて」
タビーは周囲に声をかける。生徒達はのろのろと服を絞りだした。今日の
講義はこれで終わりだが、あまりにも消耗が激しい。
「全員いるか?」
男子生徒の呼びかけに、皆が声をあげる。タビーは人数を確認した。全員
揃ってる。
「あ、あの」
声をかけられて、彼女は振り向いた。先程、手を握って熱を移した女生徒
だ。
「ありがとう、タビー。助かった」
「うん、良かった」
この講義は厳しい。講義の意図は分かるが、春先に水中は酷だ。教官への
文句を内に秘めつつ、タビーも火に当たる。
「次も、こんなのかな……」
応用実習4は、魔術応用専攻の中でも上位の生徒しか受けられない。その
分、講義が厳しいと聞いていたが、ここまでとはタビーも思っていなかった。
「次は、もう少し楽だといいけど」
タビーはもう一度服を絞った。まだ水が出る。
「次は火の中から脱出、とかじゃないだろうな」
「浮いた状態で二系統の魔術展開とか?」
男子院生達の言葉に乾いた笑いが響く。あり得ないといいきれないのが辛
いところだ。
「動けないやつ、いるか?」
「怪我してる人は?」
幸いそのどちらもいない様だった。ただ、全員が消耗している。火に当た
り、とにかく体を温める事に必死だ。
「……疾く」
タビーは杖を掲げる。
「タビー?」
「割け」
空気がゆったりと動いた。攻撃魔術に使われる緑魔術の威力を落とし、赤
魔術の炎を載せる。暖かい風が、周囲に満ちた。
「うお!」
「助かる」
「え?二系統?どれとどれ?」
生徒達の反応は様々だ。だが消耗していても魔術応用所属、しかも上位の
者達が揃っている。タビーの使い方を真似て、それぞれが魔術を使い出した。
威力を極限まで落としているが、風力は強い。扱いを誤れば、自分が怪我
をする。どうにか半乾きになったところで、タビーは杖を下ろした。一部、
威力を落としきれずに服を切ってしまった者もいるが、全員がタビーの様に
服を乾かしている。
(魔術は、内的循環と外的循環。そして意志の力)
細かい調節が出来るのは、主に外的循環と使用者の意志だ。
『僕は、結界を張り直したい』
神官であるフォルカーはそう言っていた。
彼の様な強い意志があれば、それは夢物語ではなくなる。魔術の発動に必
要な強い意志であれば。
タビーは杖を強く握った。
空気よりも冷たいその感触に、指が痺れるまで。




