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フリッツが、卒業する。
ジルが騎士課程に進む事になったのと同じ位、タビーには嬉しいことだ。
卒業後の進路は王宮魔術師。しかも最初から役付である。学院で首席、特待
生であったことと、表沙汰にはなっていないが女王の即位に貢献した、という
理由だとタビーは当たりをつけていた。
いずれにしても彼の様な存在が一番下っ端でいることは、上司になる人の迷
惑にも成りかねない。役付になれば学院に顔を出すこともないだろう。
どう転んでも、お別れである。
基礎課程入学時から毎日使い走りをさせられ、時には貢ぎ物を編まされ、更
に様々なことに巻き込まれた。そんな振り回される生活ともお別れだ。
「タビー、これいる?」
だから、これは最後の努めだと思うことにしている。
「あの……これって」
「うん、買ったんだけどもう使わないし」
そう言って差し出された箱の中には、錆びた天秤や何かがこびりついた乳鉢、
欠けているナイフ等が入っていた。
「ええと、申し訳ないんですがもう使えないかと」
「そっか。じゃ捨てよう」
物には頓着しないフリッツは、箱を横に置くと今度は分厚い本を取り出す。
「これは?絶版だから手に入りにくいと思うよ」
『付与魔術の構築理論と実践』と書いてある本は、古いが破損はしていない。
「いいんですか?もう使わないんですか?」
「うん、僕は付与魔術に適性がないみたい。面倒だし」
「……」
適性という言い方は正確ではない。正しくは『自分に合わない』だ。『使い
こなせない』という訳ではない。
分厚い本の頁を、タビーは軽くさばいた。間に挟んであった色々なものが、
ぱらぱらと落ちてくる。
「……」
「あ、こんなところに挟んでいたのか」
乾燥し茶色くなった葉は、強力な解毒剤を作る時に必要なものだ。それも捨
てる箱に放り込む。
「ええと、あと講義メモがあるかな」
講義中、手紙を書いている所しか見ていないタビーは目を丸くする。
「ど、どんなものですか?」
フリッツがどんな風に講義をまとめているかに興味があった。
「これ」
別の箱から取り出されたのは、メモではない。何かの切れ端だ。その小さな
部分に細かい計算式があったり、単語が連ねてある。
「……これ、何の講義のです?」
「これは魔道具だね、こっちは薬学。こっちは……なんだろう、攻撃魔術関係
の講義だと思う」
タビーにはさっぱりわからない。いくつかの切れ端を眺めたが、これを貰う
のは少々怖い様な気もする。
「と、とりあえずこの本だけで……」
「いいの?じゃ、あとは処分と」
卒業間近だが、フリッツの部屋はまだ片付いていない。
様子を見に行ったヒューゴが、顔を青ざめさせる位には酷い状況だ。
「先輩、早めに全部処分した方がいいと思いますよ」
「じゃ、手伝ってよ。燃やしたいし」
「燃やすって……」
錆びた器具は燃えるのだろうか。ナイフは研ぎ直しすれば使える様な気もす
るが。
「なんか、ちっとも片付かないんだよね。教本とかは欲しいって子に全部あげ
たんだけど」
「あげたんですか……」
「あれ、タビー欲しかった?」
「いえ、それはいいんですが」
貰った方はきっとがっかりしているに違いない。フリッツは教本に書き込み
をしない。そもそも講義すら手紙を書く時間に当てている。付与魔術の教本も
タビーのものは書き込み過ぎている位なのに、フリッツのものは新品同様だっ
た。天才の書き込みを見たかったであろう者は、予想が外れてがっかりしてい
る可能性が高い。
「ヒューゴに頼んで、誰かに手伝って貰っては?」
「頼んだけど、断られた」
騎士達は縁起を担ぐ事が多い。王宮魔術師になる者の荷物を触って、何かが
あったら困る、という理由だ。本音は、フリッツと関わりたくないというとこ
ろだろう。騎士寮の面々に取って、彼は『触るな危険』の表示がついている魔
獣と同じなのだ。
「もう、部屋ごと燃すってどうかな」
面倒になったのか、フリッツは物騒な事を呟く。
「いや、火事になりますから」
「範囲指定すればよくない?」
「いえ、寮で実験は駄目ですから、本当に」
タビーの物言いに、彼は溜息をつく。
「いつ終わるんだろう、片付けって」
「捨てるものは捨てる、でいいじゃないですか」
「全部捨ててもいいんだけど」
「……」
タビーは溜息をつく。だが、ここで油断してはいけない。下手に口出しすれ
ば手伝いを強要される。実際、ヒューゴからは『同じ専攻のよしみで』と手伝
う様に頼まれた。無論、即、断ったが。
「ええと、じゃ、これいただきますね。片付け、頑張ってください」
貰った本を大事に抱え、タビーはさっさと身を翻した。
■
各専攻課程の四年生は、卒業を控えて自主登院になっている。
それでも熱心に登院しているのは、卒業に必要な講義を取得できていない者
達か、残念ながら留年になった者達だ。
あと二年もすれば、タビーも卒業を迎える。三年のうちに何を研究するか決
め、卒業に必要な論文の下調べをする必要があった。
「何にするかな」
タビーの得意とする魔術は、どちらかというと補助や増幅に属するものが多
い。特に防御魔術、付与魔術は上級生にも劣らないと自負している。ただ、こ
の世界では魔術師=攻撃魔術という印象が強く、防御や付与はあくまでそのオ
マケ程度の扱いだ。これで論文を書くとなると、資料は少ないし検証にも時間
がかかる。ただ、数が少ない分、新しい防御・付与魔術を作り出すことも可能
だ。新しい魔術を生み出すことは、学院では名誉な事とされている。タビーと
しては、是非挑戦したい。
そんなことを考えつつ歩いていると、声を掛けられた。
顔をあげれば、タビーより小柄な女生徒が立っている。
「あ、あの、タビーさん」
「はい」
タビー自身、見覚えはないが、相手は彼女を知っている様だ。
「あの、あの」
女生徒は何度か躊躇ったあと、ようやく口を開く。
「あの、タビーさんは、フリッツ様と……その、婚約されていらっしゃるので
しょうか」
タビーの時が止まった。
周囲の音が聞こえないのは、気のせいか。
それよりも、とても恐ろしい言葉を聞いた気がする。
ギギギ、という音がしそうな早さで女生徒を見ると、彼女は顔を真っ赤にし
ていた。
「こん、やく……」
「す、すみません!でも、私、どうしても……」
唇を噛む少女は可愛いのだろう。だが、タビーには凶悪な爆弾にしか見えな
い。
彼女は何度か深呼吸する。
「ありえません」
タビーは漸く口にした。
「全く!そんな話はこれっぽっちも!全然!ありません」
「ほ、本当ですか?」
「本当です」
「で、でも、タビーさんは、基礎課程の時から毎日手紙を……」
宛先が違う。タビーはただのお使いだ。
だがそれを言っていいものか悩む――――悩まない。
「ある人に渡す様、言付かっていただけ」
「本当ですか?」
女生徒は笑顔になる。可愛い、だが、タビーにはひたすら恐ろしい。
「よかった……」
頬を染めた女生徒は、心底嬉しい様だ。
「ありがとうございました!」
笑顔のまま、女生徒は去って行く。タビーは、ただその場に取り残された。
「……いや、でも、お勧めできないけど」
彼女はぽつりと呟く。
残念ながら、その言葉は女生徒には届かなかったが。




