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魔術応用を志望する学院生の場合、杖を生み出すことが出来る、出来ないで
結果がすぐに判る。
騎士専攻は説明会で書かされる志望理由書と体力審査の結果で決まるため、
進めるかどうかは翌日に発表されるのが通例だ。
どうにか体力審査を終えたジルは、ふらふらになりつつも侍従達の所へ戻り
侍従達は毎度のごとく凄まじい勢いで彼を寮に連れ帰った。
ジルの情熱には頭が下がる。
タビーが魔術師になりたいと思う気持ち以上に、彼は騎士になりたいのだ。
学院の食堂ではなく、売店で買ったパンを口にしながら、タビーは結果が貼
り出される中庭の階段に腰を下ろしていた。既に志望生徒が集まって、発表を
待っている。ジルの姿も見えた。侍従達に囲まれて、茶色の髪がたまに動くと
ころだけだが。
ここで審査に通れば、騎士への道が開ける。侯爵家の嫡子であるジルならば
近衛ではかなりいい地位まで昇れる筈だ。白い近衛の制服は、彼によく似合い
そうだった。
やがて、数人の教官が掲示板と羊皮紙を丸めたものを持ってくる。タビーは
立ち上がり、パン屑を払うと階段を降りた。
ざわめきの中、立てられた掲示板に羊皮紙が貼り付けられる。既に自分の名
前を確認できたらしい者達が、喜びの声を上げた。
発表は、体力審査の成績順に名前で行われる。
順位が下の学院生は、合格ではあるものの体力審査の成績が振るわない者だ。
その順位を見て騎士専攻に進むのを諦める者もいる。
教官達が掲示板から離れると、学院生がわっと押し寄せた。
あちらこちらから上がる歓声。一定以上の結果が出せれば騎士専攻へ進める。
特に人数制限はないため、基準を満たしていても進めない、という事もない。
タビーは発表を見ようとしたが、人が多すぎた。ジル達を捜すが、やはり見
つからない。背伸びをし、どうにか名前が確認出来る位置を確保する。
ジルヴェスター・ブッシュバウムの名があるか見ようとしたところで、横か
ら衝撃が来た。
「うわっ!」
背伸びという不安定な体勢だったため、相手の勢いを受け止める事ができな
い。支えようとしたが、足がもつれて結局そのまま地面に倒れ込んだ。
「ちょ……」
結果を見に来た誰かがぶつかってきたのだと思い、タビーは相手を見る。
「……ジル……ジルヴェスター様」
大勢の人がいる事を思い出し、彼女は慌てて名を呼んだ。抱きついてきたの
はジルだった。茶色の髪が震え、涙が溢れている。
「じ、ジルヴェスター様。その、なんというか……」
「タビー」
「そ、その、私はジルヴェスター様の志は尊いと思っておりますし……」
どう慰めたものか、タビーは悩む。何時もの様な口調ではなく、あくまで侯
爵家子息に対した言葉遣いをしなければならない。
「財政はやりがいのある課程だと聞き及んでおります」
ジルは首を横に振り続ける。泣いてるせいか、言葉が聞き取れない。
彼は、無言のまま首を振り続け、掲示板を指さした。
タビーは掲示板へ視線を向ける。といっても、人が群がっていて何も見えな
い。ジルを支えつつ立ち上がり、タビーはもう一度背伸びをした。
「!!」
最後から2番目に、その名はあった。
『ジルヴェスター・ブッシュバウム』
呆然としたタビーの横で、ジルは泣き顔のまま何度か飛び跳ねてる。それで
も見えないのだろう。悔しそうに飛ぶのを諦めていた。
「通った……」
ジルがタビーの鍛錬に混ざる様になって、まだ数ヶ月だ。最初は早足で歩く
のが精々だったが、今はある程度走る事が出来る。階段の駆け上り、駆け下り
も出来る様になってきた。
だが、この状態で体力審査を通過するとは、タビーは思ってもいなかったの
だ。
「通った……?」
何度か呟き、そしてタビーは自分の頬を抓ってみる。
痛い。夢ではない様だ。
「これは……」
「せん……タビー、通ったぞ!」
いつもの癖で先輩、と言おうとしたジルは、慌てて言い直す。そして、得意
げに胸を張った。初めて会った時の様に。
「通ったのだ!」
胸を反らす彼の後ろで、目頭を押さえている侍従や侍女が見えた。バスラー
に至っては、おいおいと周囲の目も憚らずに泣いている。
「……ジルヴェスター様」
タビーはその前に片膝をついた。
「おめでとうございます」
あくまでこの場は、一般の学院生と侯爵家子息、という立場だ。礼を尽くす
のは当然である。
「う、うむ!」
いつもの通りとはいかないその気持ちは、ジルも同様の様だった。お互いが
目を見合わせ、苦笑する。
タビーは体を起こすと、人が少なくなってきた掲示板を見つめた。
『ジルヴェスター・ブッシュバウム』
その部分だけが、まるで輝いているかの様に見える。
「これからだ。これからが大事なのだ」
横で胸を張ったままのジルは、そう呟いた。
騎士専攻には座学もあるが、訓練実習が非常に多い。どんなことをしてでも
食らいついていかなければ、挫折する。特にジルは小柄で細い。体力面で他の
学院生に追いつけない事もある筈だ。
「……そうですね」
体力審査に通ったとはいえ、ジルの道は平坦ではない。他の者にくらべれば
審査結果は下位だ。苦労するのは目に見えている。
それでも彼は、騎士課程に進むのだ。情熱と、大いなる希望を持って。
「うむ」
鷹揚に頷いてみせるジルの瞳は、きらきらと輝いていた。
■
タビーは、窓の外を見ている。人気のないここは、実習室が集まっており、
講義がないときは誰も通らない。タビーのお気に入りの場所だ。
窓から見える中庭には沢山の学院生がいた。貼り出されている結果を見てい
るのだろう。
歓声が上がり、喜び合っている基礎課程の学院生達が微笑ましい。
窓枠に肘をついて眺めていると、隣に誰かが来た気配がした。
「そんな時期だったな」
彼女は頷いた。
昨日降った雪が、中庭のあちらこちらに残っている。窓の外から流れ込む空
気は冷たく、肌を刺すかの様だ。だが、タビーはこの冷たさが嫌いでは無い。
「今年は志望者が多かったみたいだね」
ヒューゴがそう言っていた。そのため、騎士寮だけでは受け入れができない
可能性もあり、今、寮長である彼と副寮長のタビーは学院側と交渉を続けてい
る。
「貴族も多いみたい」
「そうなのか」
タビーはちらりと視線を横にずらした。立てかけてる杖は、何故か未だに頭
一つ分長い。これでもタビーの身長は伸びた筈なのだが。
「先輩になるんだな、私も」
去年の今頃、隣に立っている彼は自分を『我』と呼んでいた。口癖の『苦し
うない』も封印されている。そもそも、その言葉遣いはどこから来たのか聞い
たところ、英雄譚の影響だったという。
騎士専攻に進み、周囲に揉まれて彼も変わってきたのだ。タビーが首を傾け
ると、視線が合う。
ジルヴェスター・ブッシュバウムと。
初めて出会ったときの小さな彼はもういない。今はタビーと殆ど変わらない
身長と、しっかりとした体格だ。それでも騎士専攻の中ではまだ細身だという。
成長期を迎えたせいか、彼の身長は見かけるたびに伸びていた。このまま行
くと、タビーが追い越される日も遠くない。
最初の頃は訓練実習をどうにかこなしていた彼だが、一年もたてば体は変わ
る。今でも朝は裏庭に来て、タビーの鍛錬に混じっていた。彼の成長を喜ぶバ
スラーを始めとした侍従は相変わらず付いてきているが、今では心配そうな素
振りも見せない。
「一年は、早いな」
心持ち低く聞こえる言葉に、タビーは相槌を打つ。
まもなく新年度だ。春も近くなる。雪にうんざりする日々も終わりだ。
タビーは、魔術応用課程の最終学年を迎えようとしていた。




