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タビーと騎士の犬  作者: 弾正
侯爵家のお坊ちゃま
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 タビーは、侍従の話を要約してみた。


 お貴族様の名前は、ジルヴェスター・ブッシュバウム。

 お家は宰相でもあるノルマン公派ブッシュバウム侯爵家。

 お父様はその名の通りブッシュバウム侯爵、次期副宰相との呼び声も。

 お母様はノルマン公の姪、社交界でもその美貌で名の知れた御方。


 それを言葉を変えて何回も言っている。一度聞けば判る、と言いたい位だ。


 蕩々と並べ立てる侍従を前に、タビーは全てを諦めた。

 

 侍従の前で胸を張っているご子息様は、どこか不安そうな顔をしているが、

それでも胸を張り続けている。


 残念ながら、朝は時間が過ぎるのが早い。

 身支度を調え、朝食を摂る時間が必要がある。


 タビーがちらり、と視線をずらすと、やはり椀を持ったままのカッシラーが

目を丸くしていた。貴族と聞いてはいたが、こんな輩だと思っていなかったの

だろう。

 

 未だに口上は終わらない。


 侯爵家の名産や領内の話をされても、タビーには時間の無駄だ。しかも、彼

らの後ろには、同じ様なお貴族様のご子息様とやらが、列を成している。

 恐らく、学院生なのは3人から5人だ。だが、その周りを侍従や侍女が取り

巻いており、大きな集団になっている。


 タビーは、諦めた。

 横に立っている教官を軽く肘でつついてから、礼をし、口上の途中で逃げ出

す。


(何だ、あれ!)


 さっさと逃げつつ、タビーは引きつる表情を隠せない。


(いくら何でも、あれはない、あれは!)


 『苦しうない』という言葉は、この世界で初めて聞いた。前世でも時代劇で

聞いた位だ。女王になった王女ですら、そんな言葉を使ってはいなかった。


(あれは無理だ、ないわ)


 足早に自分の部屋へ駆け込み、鍵をかける。

 窓を閉め、手早く日よけの布を下ろした。


 自分しかいない部屋だが、更に念を入れて誰もいないことを確かめ、タビー

は持っていたカップを机に置く。


「ぷっ」


 もう、耐えられなかった。


「ないわ、ないわ、あれはないわぁ!」

 げらげらと笑いながら、机を叩く。

「なんなのあれ、ないない」

 笑いすぎで横っ腹が痛くなってきた。いてて、と言いつつ、タビーは風呂場

へ向かう。

 漸く息を整え、風呂に湯を張り始める。朝は忙しい、湯に浸かる時間はない

ので、体と髪の毛を洗うだけだ。


「あー、苦しかった」


 教官の言いつけは、断ろう、とタビーは決める。自己紹介だけで何日もかか

りそうだった。付き合いきれない。

 

 無かったことにするのだ。


 それでおしまいである。



 久々に論文の課題が出た。

 薬学の座学まとめだから、それ程難しいことはない。ここ最近教わった薬草

とその効能、処理方法、考察を書くだけだ。教本の丸写しは許されないため、

少々工夫は必要だが、財政専攻課程の様に難しいものでもない。

 〆切までの日程と予定を頭の中ですり合わせながら、タビーは渡り廊下を歩

く。

 大事なのは考察部分だが、図を入れれば更に判りやすい。薬草のスケッチを

してみようか、と考えた。絵心は普通だと思う。壺を描けば壺と理解して貰え

る位には。

 一度決めるとタビーの動きは早い。立ち止まり、薬学の教官に許可を取りに

行こうと振り向いた。


「!」


 渡り廊下の角から覗いていた頭が引っ込む。


「……」

 隠れているつもりなのだろうが、スカートの裾がひらひらとしている。

 そのままじっとしていると、相手はこちらが見てるとも知らず、恐る恐る顔

を出した。


「!」


 タビーが見ている事に気づいた女性は慌てて頭を下げ、走り去っていった。

 スカートの上にはエプロンの様なものを付けている。学院生ではなく侍女だ。

 恐らく朝の貴族絡みと見当を付けて、タビーは歩き出す。学院生の彼女を尾

行しても得られるものはないというのに、貴族様の考える事は良くわからない、

と思った。


 教官室で薬草園への立ち入り許可を貰う。同じ様な事を考えた学院生が他に

もいる様で、タビーの順番は明日の講義後となった。

 教官室を出た所で、また先程の尾行者を見かける。

 今度は窓の外からだ。髪の毛が見え隠れしていた。こちらを伺う気配がした

が、今のところ害はない。タビーは尾行を無視することに決める。部外者は寮

に入れないし、男だらけのあの寮に入る勇気はなかなか起こらないだろう。タ

ビーは慣れて久しいが、騎士寮の面々は厳つい者が多く、特に訓練後等は山賊

もかくや、という様な風体だ。貴族寮とは根本的に違う。


 まっすぐ寮に向かう。寮までは遮る建物は少ない。タビーは尾行者に同情す

る。何を頼まれたのか知らないが、こんなことをするために侍女になった訳で

もあるまい。

 寮の自室に入り、練習着に着替えるとタビーは杖を持って再び外に出た。

 やはり尾行者はまだついている。木の陰に隠れているつもりだろうが、タビー

から見れば丸見えだ。

 知らないふりで訓練場に向かえば、またついてくる。


 あのお貴族様の侍女なのだろうか。タビーを尾行しても特に目新しいことは

ない。それとも何かタビーの苦手なものでも見つけろという指示なのか。

 侍女という立場にありながら、タビーの尾行を命ぜられてる彼女に同情する。

 

 久々に乗馬の訓練をしようと、タビーは馬場へ向かう。

 厩舎に残っている馬から一頭を選び、鞍を乗せで引いて行く。その間も尾行

者はタビーを見ていた。ハンカチの様なもので口元を覆っているのは、臭い対

策か。確かにここは少々臭う。

 

 杖を持ったまま、タビーは騎乗した。そのまま馬を進ませる。

 一頭だが輪乗りから始め、並足からゆっくりと駆けさせていく。その頃にな

るとようやく侍女は消えた。

 臭いに耐えられなかったのか、目的は果たしたのか。

 タビーにとってはどちらでもいいことだ。


 馬を全速力で走らせるため、馬場外に出る。騎士専攻課程の面々が訓練を行っ

ているところに混ぜて貰い、短い距離を全力で駆け抜ける訓練を何度も行う。

 馬上で風を切るのは気持ちいいが、この状態で魔術を使える様にならないと

意味がない。旅の途中で襲われた場合、馬から降りないと戦えない、というこ

とは大きなハンデになる。相手も馬を下りるまで待ってくれるとは限らない。

 今のところ、タビーは杖を持って全速力で走らせるところまでは出来ている。

 あとは魔術の発動だけだ。杖を翳し、呪を唱える。その為には片手を手綱か

ら外さなければならない。

 今日も試してみようと思ったが、やはり怖くて出来なかった。手を離すと不

安定になり、落馬への恐怖が出てくる。馬に乗ってから、何度も落馬したが、

この速度で落ちればただでは済まない。


 騎士専攻の面々と姿勢や馬についての話をしつつ訓練をする間に、タビーの

頭から尾行者の存在は消え去って行った。



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